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My Wandering MUSIC History Vol.79 THE ROOSTERS『DIS.』

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1983年10月21日、日本コロムビアよりリリース。 ザ・ルースターズ、4作目のアルバム。 『DIS.』については こちら(2001年1月の古い記事だけど)でも書いたので、繰り返しになるところもあるが補足的に紹介。 1983年6月、来日したイギー・ポップのフロントアクトとして行ったライヴ・ツアーを最後にドラムの池畑潤二がルースターズを脱退。 確かに池畑の脱退のニュースは驚きだった。井上・池畑による鉄壁の、日本のロックバンドとしては最強のビートとグルーヴを生み出してきたリズム隊から、ドラマーが欠けてしまうとは…。当時の雑誌では、実家の稼業の事情で九州へ戻るためバンドを脱退すると書かれていたが、後々のインタビューで池畑は “ずっと4人でやってきてて、それが崩れてゆくことへの恐怖感が途中から常に付きまとうようになっていた” と当時の池畑にかかっていた重圧について語り、そこから“もしかしたら逃げ出したかったのかもしれない”と心情を語っている。 フロントマンであり作詞作曲も手掛ける大江慎也の健康状態は否応なくルースターズというバンド活動に影響を及ぼしていた。大江とは薔薇族(1976年)~人間クラブ~ルースターズと長くバンド活動を共にしてきた池畑。なんとかバンドを維持しようという責任感が強くあっただろうことは想像に難くない。病を抱えた当時の大江を池畑が支えていた部分が強くあった、と花田もインタビューで語っている(Rockin'on Japan vol.36 1990)ことから、様々な調整役として動いていくことに池畑が疲れてしまった結果、バンドを離れたとも想像できる。 それにしても実家の仕事をする為の脱退という記事を読んで、あんな才能と技術のある人がドラムスティックを置くんか…と思ったものだが、翌1984年4月には九州でレッドスティック&スペクターを結成、バンド活動を再開している。 池畑最後のツアーになったイギー・ポップのフロントアクトでは、大江の復帰直後だったこともあり、花田が歌う「Drive All Night」や「Bad Dreams」、ロキシー・ミュージックのインスト・ナンバーのカヴァー「The Numberer」を演奏するなどヴォーカリストの負担を軽減する選曲だったようだ。大江も参加して「Case of Insanity」、「ニュールンベルグ」、「C.M.C」を