投稿

ラベル(TRACEY THORN)が付いた投稿を表示しています

私の放浪音楽史 Vol.127 EVERYTHING BUT THE GIRL「NIGHT AND DAY」

イメージ
1982年、Cherry Redよりリリースのシングル。 チェリーレッドからシングル「Cant」を1981年にリリースしていたベン・ワットと、当時マリン・ガールズに在籍していたトレイシー・ソーン。この二人でシングルを出そうとチェリーレッドのマイク・オールウェイが画策、かくして同じハル大学に入学することになったベンとトレイシーは急接近し音楽的にも親密になる。マイクの思惑通りというか、二人が最初のクリスマス休暇に西ケンジントンのアルヴィック・スタジオでレコーディングしたのがこのシングル曲で、二人のユニットはEVERYTHING BUT THE GIRL(女の子以外ならなんでも)と名付けられた。 コール・ポーターのスタンダード「Night And Day」を取り上げたのは“ジャズを復活させようというヴィック・ゴダードの些か物騒な試みに、微力ながら加担しよう”というのが理由だったとトレイシーは自伝に記している。カップリングにはベン・ワット作「Feeling Dizzy」とマリン・ガールズがリリースしていたトレイシー作「On My Mind」のEBTGヴァージョン。上の画像はおそらく1990年代前半にリリースされたと思われるCDシングル。スリムケースでインサート(ジャケ)は白で曲名などのレタリングのみ。オリジナル・アナログ盤リリース時のジャケットであったトレイシーとベンの写真はCD盤にプリントされている。 エヴリシング・バット・ザ・ガールのシングル「Night And Day」は英インディ・チャート1位を獲得、エルヴィス・コステロ等がこのシングルを気に入り、特にポール・ウェラーはロンドンのICAで行われたETBG初ライヴに飛び入り参加するほどの熱の入れようだった。当時のセットリストをトレイシーの自伝から抜き出してみよう。 at London, Institute of Contemporary Art (ICA) 「Rock Week」5th January, 1983  1. On My Mind  2. Nevertheless (cover : The Mills Brothers etc..)  3. Waiting Like Mad  4. English Rose (cover : The Jam)  5. Nigh...

私の放浪音楽史 Vol.126 TRACEY THORN『A DISTANT SHORE』

イメージ
1982年、チェリーレッドよりリリース、トレイシー・ソーンのソロ・アルバム。 オリジナル・パンクに影響を受けギターを手に取ったトレイシー・ソーンが、マリン・ガールズでのギタリストとしての活動に迷いを感じ、自分の書いた曲を自らの声で歌うことに未来を見出していた頃、1981年の冬に書き溜めていた曲を、以前マリン・ガールズのアルバム『ビーチ・バーティー』を録音したパット(パトリック・バーミンガム)所有の物置スタジオ(物置に設置された移動式録音スタジオ)で録音。全てを2日か3日で録音し費用は179ポンド、トレイシーはデモのつもりだったがチェリーレッドのマイク・オールウェイの勧めもあり、そのままの形でリリースすることになった。この時トレイシー二十歳。 アルバムはトレイシーの“歌声とギターに、時折パットがリバーブをかけているだけ”の最小限のサウンドだが、その耳心地の良さで聞き流されることにトレイシーは、“バックグランド・ミュージックの類と一緒にされてしまうことは、正直言って気に食わないの”と厳しい言葉で反発している。そのサウンドはトレイシーがジョナサン・リッチマン&モダン・ラヴァーズやパトリック・フィッツジェラルドを評した “喧しいほどの音を立てることなどせずとも生々しくかつ挑戦的であることは可能なのだ” という言葉に通じていると思う。 リリース時の日本盤解説などにはニューセンシティヴィティー(New Sensitivity)と言われたように、苦く不安定に揺らぐ繊細な気持ち・感性が歌われている。 “日が暮れて暗くなると気持ちが昂って(言わなくていいこともあるのよ)  感情だけ 取り残されてしまうことがある  だから、あなたの愛はそのままにしておいて、私も胸にしまっておくわ  あなたの愛はそのままにしておいて、私の愛も胸にしまっておくから  小さな田舎町の生き方から今も抜け出そうとしてるけど  私の大部分は過去の恥ずかしい出来事で形作られているの  あなたは気にしないっていうけど  その場にいなかったのにどうしてそんなことが言えるの?  そしてこれら全ては、小さな田舎町の女の子にとっては手に余るのよ  ただ立ちすくむだけ  私が見る、 あなたの世界 全てに私は戸惑ってしまって ...

トレイシー・ソーン著・浅倉卓弥訳『アナザー・プラネット:郊外の十代』

イメージ
2020年6月3日 ele-king booksより出版。 『安アパートのディスコクイーン』に続くトレイシー・ソーン・二作目の著書。 帯には“ トレイシー・ソーンの自伝第二弾! ”と書かれている。が、こういうのを自伝というのかな?郊外に家族と暮らすということが十代のトレイシーにあたえた影響、ということに焦点をあて、 ルーツ探訪、またはファミリーヒストリー(by NHK)的なエッセイ、コラムをまとめたものになっている。音楽的な面の記述はそれほど多くない。 トレイシーによれば、これはイギリスの郊外に育ったトレイシー自身の成長を語る「グリーンベルト」という長いエッセイとして始まり、並行して書き起こしていたレビューや小さな記事やコラムを飲み込み、再構成、削除、書き直しをしてこの姿になった 、と本書の著者覚え書きに記している。 帯にはさらに “「これから恋人はオレンジ・ジュースだけ」” というトレイシーの日記から引用したキャッチコピーとか、“ この本に登場するアーティスト、バンド、作家、映画など ”として、デイヴィッド・ボウイ、バンシーズ、ピストルズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、キュアー等々が紹介されているが、多くはジャムやコステロやドゥルッティ・コラムやエコー&ザ・バニーメンのレコードを買ったとか、バンシーズやキュアーをテレビで見たとか、マキシマム・ジョイのギグに行ったとかという十代当時の日記の短い記述であったり、ボウイやJ.G.バラードにしても彼らと郊外という土地についての考察、ジョイ・ディヴィジョンはブルックマンズパークにある電波中継塔に絡めてとりあげ、クリッシー・ハインド、スリッツ、スリーター・キニー、ビキニ・キルの行動や言動からフェミニズムを論じる、といった具合だ。 エヴリシング・バット・ザ・ガールは名前もでてこなかったよ(歌詞は登場する)。 短いエピソードを重ね、組み合わせてひとつの流れをつくり上げたように思える今回の著作は、ブルックマンズパークという地域の極めて英国的な内容を描いた部分があるものの、前作同様シニカルでユーモアもあり興味深く読むことができる。 まるでガイドブック的に書かれているブルックマンズパークの地名、建物、店名を読めば、グーグルのストリートビューで見てみたくなるし、実際見た。ブルックマンズパークの人口は約3,500、緑に囲まれた村...

トレイシー・ソーン著・浅倉卓弥訳『安アパートのディスコクイーン:トレイシー・ソーン自伝』

イメージ
2019年6月12日 ele-king booksより出版。 トレイシー・ソーンの自伝が刊行された。 スターン・ボップス(Stern Bops)というバンドの紅一点リズムギタリストから始まり、マリン・ガールズ、ソロ・アーティスト、エヴリシング・バット・ザ・ガールと進んだミュージシャンとしての経歴はもちろん、プライベートな事柄も出生から家庭環境、ベン・ワットとのエピソード、子供達の事なども詳しく書かれている。それも終始シニカルでビターな筆致で、捻れたユーモアがたっぷり。少しだけかいつまんで紹介すると、 トレイシーが “自分が真にパンクの子供であった” とこの自伝に書いている通り1977年6月にトレイシーはパンクに目覚めた。いわく “危険分子を気取っては周囲を威嚇してばかりいるようなものに心底惹かれた” その時を境に、いい子ちゃんだったトレイシーは、髪の毛をスパイクカットにし、両親は我が子の部屋から聴こえてくる音楽に恐怖した。 ジャムにストラングラーズ、アドヴァーツ、ブームタウン・ラッツ、ミンク・デヴィル、そしてピストルズ、クラッシュ…。通販でクラッシュやエックス・レイ・スペックスなどの7inchシングルを手に入れた。 トレイシーはこの時の両親との軋轢をこう書いている。 “ 今から三十年余り前というこの時代、十代の若者達とその両親達との間における世代間ギャップというものは現在のそれよりよほど大きかったのだ。この隔たりは、多分この時期を頂点にしてじわじわと縮まっているはずだ。だから、今日では子供と親が一緒のレコードを好きでいたり、あるいは親子が連れ立ってグラストンベリーのロックフェスへ嬉々として足を運んだりすることは、最早ありふれた光景とさえなっている ” 今の時代、たかがパンク(ロック)を聴いたり観たりしているだけで親子の溝が深まり断絶が起こる、などということはヨーロッパやアメリカ、それに日本でも無いと思う。 パンク以後、ロックンロールやソウル、ジャズに限らず、ワールドミュージック、非音楽的なノイズ、アヴァンギャルドを含め様々な表現方法を積極的に取り入れ、異種交配しポップに昇華させる、という試みを繰り返し、作り上げ、それを聴いていた若者達が成長し親になれば、その子供が何を聴こうがほとんど許容できる範囲となるし、もはやパンクという音楽を聴いたり演奏することなどなんの反抗の...

OMNIBUS a Go Go Vol.75『PILLOWS & PRAYERS』

イメージ
イギリスのインディ、チェリー・レッド・レコードから1982年12月にリリースされたコンピレーション。チェリー・レッドはイアン・マクネイとリチャード・ジョーンズによって1978年に創立、同年6月にThe Tightsというパンク・バンドの7インチ・レコードが第1弾リリースだった。 『Pillows & Prayers』はA&Rとしてチェリー・レッドに参加していたマイク・オールウェイが企画、1982年時点でのレーベル・パッケージといえるアルバム。彼はイアンにアルバムの売価を1ポンド以下にする事を提案、イアンはこのコンピレーション・アルバムをプロモーション・プロジェクトと位置づけ、アーティストに対する印税支払いを無くす同意を取り付けることで制作コストを安く抑える事ができた。オリジナル英盤のスリーブ右上には“PAY NO MORE THAN 99p”と印刷されている(日本盤LPはそれほど廉価ではなく定価2,000円だった)。 このアルバムを初めて聴いたのは、たぶん1984年頃、輸入盤を友人から借りたんだと思う。エコー&ザ・バニーメンやジョイ・ディヴィジョン、バウハウス、ザ・スミス、アズテック・カメラなんかのニュー・ウェイブを聴いていた時で、それらのグループと聴き比べるとハンドメイドな印象を受けた覚えがある。アコースティック・ギターやノン・エフェクトのエレキ、リズム・ボックスを使った楽曲や、小さな部屋で録音されたような(宅録的な、手っ取り早く言うとヘタウマ的、DIYな)音響を感じさせるパーソナルなイメージだった。 中でも特に印象に残ったのは、ベン・ワット「Some Things Don't Matter」、エブリシング・バット・ザ・ガール「On My Mind」で、ニュー・ウェイブを聴いていた自分がボサノヴァを意識したのってこのコンピなんじゃないかと思う(それかスタイル・カウンシルの『カフェ・ブリュ』)。アコースティックでナチュラルな録音が気に入り、チェリー・レッドから出ていたトレイシー・ソーンのアルバム『ア・ディスタント・ショア』を購入、かなり愛聴した。 他にはトレイシー・ソーンが在籍していた女子3人組マリン・ガールズ、ネオ・サイケデリックのフェルト、ユニークなモノクローム・セット、手作り感のあるサウンドのアイレス・イン・ギャザ、 ポエトリー・リーデ...