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9月, 2014の投稿を表示しています

My Wandering MUSIC History Vol.33 THE ROOSTERS『THE ROOSTERS』

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1980年11月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 前回の『à-GOGO』に書いたFMライブで特に「ロージー」が気に入った私はさっそく同曲が収録されているルースターズのファースト・アルバムを入手。といってもやはり誰か持っている人に借りたんだと思う。 まずジャケットに目がいく。大江の剃った眉、花田のコンポラスーツ、井上の白いエナメルのシャープシューズ、池畑の髭と黒いサングラス。3人は吸いかけの煙草を手に、大江は地面に埋めたセメント袋に上に立ち、後ろの井上と池畑の足の開いたポーズは何がしかの主張を感じる。だけど大江の黒いスーツは三つ釦でシャツはボタンダウン。三つ釦のスーツは当時一般的じゃなかったし、ボタンダウンシャツとの組み合わせも英国モッズ的というか、初期ストーンズ、キンクス、フーなどのブリティッシュ・バンドのファッション・スタイルを思わせる。他の3人もスーツにネクタイ着用。ストーンズのセカンド・アルバム『No.2』のジャケットに東映ヤクザ映画のムードを混ぜたような仕上がり。いわゆるツッパリ/ヤンキーとは一線を画してはいるものの、廃工場(と思われる)でのロケーション、壁にスプレー書きしたバンド名、歌詞カードにはバイクに集うメンバー(中指立てている人もいるし)の写真、アナログ盤の歌詞カードに記載されていたメンバープロフィールには好きな服装の質問に“特攻服”と答えているメンバーが1名いることから、ファースト・アルバムの帯キャッチコピー“腑抜け野郎の脳天をたたき割れ!!”に違わぬキケンな雰囲気を漂わせてはいる。 収録曲でカヴァーは4曲。エディ・コクランのカヴァー「カモン・エブリバディ」はシド・ヴィシャスの歌うビストルズのヴァージョンで聴いて知っていたが、ルースターズはスピード感とタイトさが魅力。この曲のカヴァー・ヴァージョンは数多くあると思うが、このルースターズ・ヴァージョンは最高の部類に入るだろう。サーフイン・ホットロッド系のインストグループ、チャンプスのカヴァー「テキーラ」はもちろん聴いたことがなかった。この曲もジャキジャキしたギター・カッティングと締まったリズムで、アルバムのイントロダクションとしての効果も大。ボ・ディドリーの「モナ(アイ・ニード・ユー・ベイビー)」はストーンズ・ヴァージョンが下敷きだが、私はクラッシュの“No elvis, beatles

My Wandering MUSIC History Vol.32 THE ROOSTERS『THE ROOSTERS à-GOGO』

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1981年6月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。 ルースターズのレコードを始めて聴いたのはセカンド・アルバムだった。たぶん友人のKBちゃんに借りたのだろう。同じころ出ていたアナーキーの『亜無亜危異都市』を貸しレコード屋で借りて、一緒にカセットに録音した覚えがある。 当時はアナログA面の「One More Kiss」や「Girl Friend」のスウィートな感じが、んー、ちょっとなぁという感想だったが、B面「Dissatisfaction」からの流れが好きだった。まぁ同時にカセットに録音したアナーキーも聴きつつ、他のバンドと同じようにルースターズも特別贔屓にしているバンドというわけではなかった。 ある日友人からまわってきたカセットにはFMのライヴ録音が収められていて、A面にはモッズのライヴ、B面にはルースターズのライヴが録音してあった。ルースターズのライヴは「ロージー」、「Dissatisfaction」、「Fade Away」、「Do The Boogie」の4曲だった。後にこの録音は『The Basement Tapes~Sunny Day Live At Shibuya Eggman 1981.7.14』として完全版がリリースされるエッグマンでのライヴなのだが、当時はこのライヴがいつ、どこで録音されたのかもわからなかった。 “まぼ、まぼろしのシングル”と紹介して始まる「ロージー」のコーラスを効かせた花田のギター・プレイはファンタスティックで、池畑のドスドスと突き進むリズムも迫力満点。大江の少ししゃがれてるけど艶のあるヴォーカルも魅力的だった。セカンド・アルバム収録の2曲「Dissatisfaction」と「Fade Away」のライヴはドライヴ感を増しているし、「Do The Boogie」の混沌とした演奏にも惹き込まれた。 『à-GOGO』がリリースされた当時、大江はよく自分達の魅力を“最新型ロックンロール”と口にしていたが、確かにこんなに格好良いRock'n'Rollを演奏しているバンドは稀有な存在だ。スリーコードを使った曲でもこれだけの表現力があり、スピード感があり、スリリングな瞬間を作り出せる、しかも迸る新鮮さと腰の据わった落ち着きをも兼ね備えている。とにかく4曲のFMライヴ、これが私をルースターズの虜にし、スペシャルなバンド

My Wandering MUSIC History Vol.31 ARB『BAD NEWS』

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1980年5月ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 1980年代の初め頃になると私のまわりではそれまでフライングVを持ってマイケル・シェンカーのコピーをしていた友人達は、ジャズ・マスターにギターを変えARBの「TOKYO CITYは風だらけ」を演奏するようになっていた。そのソリッドなロックンロールと日本語で歌われる1980年を生きる若者達に向けた歌詞の描写は新鮮で、私達にとってはこれが今の・等身大のロック・歌なんだと受け取られていたと思う。 当時雑誌に掲載されていたARBのメンバーの写真はナイフのようにシャープだった。校則に逆らって伸ばしていた髪は短く刈った。ブラックジーンズにハイカットのコンバースを履き、Tシャツに古着か親父の古ぼけたジャケットを着るのが普段着になった。 私が聴いてきた日本のハード・プログレ、東京ロッカーズ周辺とは違った流れにある博多・北九州周辺のバンドとしてはARBを最初に聴いたのではないか。もっともARBは東京の音楽事務所主導で作られた企画バンドだった。当時少女達に絶大な人気のあったスコットランドのアイドル・バンド、BCR(ベイ・シティ・ローラーズ)の日本版として1977年の春頃に作られたバンドで、BCRに似せて頭文字がARBになるようにアレキサンダー・ラグタイム・バンドというバンド名も決まっていた。またメンバーもアルバム『バッド・ニュース』リリース時で言えば、石橋凌は久留米、田中一郎は博多と九州出身だが、ドラムのキースは秋田出身、ベースのサンジは大阪出身なので、九州から出てきたバントとは言い難い。それでも凌と一郎はARBのコンポーザーであり、凌は作詞作曲、一郎は作曲とサウンド・クリエイトのリーダーとしてARBの核となる部分を担っていた事から、九州という地方色は出ていたと思う。ARBを聴き始めた時にはそんなメンバーが九州出身とか気にもしなかったけど。 1979年10月、パンクにヤラレたメンバーはアイドル・バンドを強要し続ける所属事務所を飛び出す。5人だったメンバーは石橋凌、田中一郎、キースの3人になった。その3人でシングル「魂こがして c/w TOKYO CITYは風だらけ」を録音、1979年12月にリリース後、ベースに野中“サンジ”良浩が参加、再出発となるアルバム『バッド・ニュース』は1980年5月にリリースされた。 針を落とす