My Wandering MUSIC History Vol.33 THE ROOSTERS『THE ROOSTERS』

1980年11月25日、日本コロムビアよりリリースのアルバム。

前回の『à-GOGO』に書いたFMライブで特に「ロージー」が気に入った私はさっそく同曲が収録されているルースターズのファースト・アルバムを入手。といってもやはり誰か持っている人に借りたんだと思う。

まずジャケットに目がいく。大江の剃った眉、花田のコンポラスーツ、井上の白いエナメルのシャープシューズ、池畑の髭と黒いサングラス。3人は吸いかけの煙草を手に、大江は地面に埋めたセメント袋に上に立ち、後ろの井上と池畑の足の開いたポーズは何がしかの主張を感じる。だけど大江の黒いスーツは三つ釦でシャツはボタンダウン。三つ釦のスーツは当時一般的じゃなかったし、ボタンダウンシャツとの組み合わせも英国モッズ的というか、初期ストーンズ、キンクス、フーなどのブリティッシュ・バンドのファッション・スタイルを思わせる。他の3人もスーツにネクタイ着用。ストーンズのセカンド・アルバム『No.2』のジャケットに東映ヤクザ映画のムードを混ぜたような仕上がり。いわゆるツッパリ/ヤンキーとは一線を画してはいるものの、廃工場(と思われる)でのロケーション、壁にスプレー書きしたバンド名、歌詞カードにはバイクに集うメンバー(中指立てている人もいるし)の写真、アナログ盤の歌詞カードに記載されていたメンバープロフィールには好きな服装の質問に“特攻服”と答えているメンバーが1名いることから、ファースト・アルバムの帯キャッチコピー“腑抜け野郎の脳天をたたき割れ!!”に違わぬキケンな雰囲気を漂わせてはいる。

収録曲でカヴァーは4曲。エディ・コクランのカヴァー「カモン・エブリバディ」はシド・ヴィシャスの歌うビストルズのヴァージョンで聴いて知っていたが、ルースターズはスピード感とタイトさが魅力。この曲のカヴァー・ヴァージョンは数多くあると思うが、このルースターズ・ヴァージョンは最高の部類に入るだろう。サーフイン・ホットロッド系のインストグループ、チャンプスのカヴァー「テキーラ」はもちろん聴いたことがなかった。この曲もジャキジャキしたギター・カッティングと締まったリズムで、アルバムのイントロダクションとしての効果も大。ボ・ディドリーの「モナ(アイ・ニード・ユー・ベイビー)」はストーンズ・ヴァージョンが下敷きだが、私はクラッシュの“No elvis, beatles or the rolling stones”にならいストーンズのファーストも聴いていなかったので、ましてボ・ディドリーという名前も知らなかったし、ボ・ビートというものがあることもこのカヴァー・ヴァージョンを通じて初めて知った。
「ドゥ・ザ・ブギ」はサンハウスの「踊る阿呆(ブギしよう)」を原曲としたジョン・リー・フッカー・スタイルのブギ。私は2004年に雑誌『ロック画報 17号』の付録CDで「踊る阿呆」をはじめて聴いた。このサンハウス・ヴァージョンは1973年のライヴ・ヴァージョンで歌詞がルースターズのものと違う。クレジットを見ると作詞作曲は鮎川誠となっているから、ルースターズのレコーディング(またはレパートリ―に加える)に際しては柴山俊之が歌詞を新しく提供した可能性も考えられる。

オリジナルでは「恋をしようよ」や人間クラブ時代の曲「どうしようもない恋の唄」の直情ソングが耳に残るが、聴いていて恥ずかしいとか下品だなという印象は受けず、ラヴ・ソングの歌詞としては削ぎ落として、削ぎ落として出来たものと受け止めてそれがカッコよかった。「どうしようもない恋の唄」はコード進行もよくって(「Heatwave」だけど)ベースラインが凄く気に入っていた。特にギターソロのところがいい。フィールグッズやいろんな人がカヴァーしている「Homework」を下敷きにした「フール・フォー・ユー」、ヴィンス・テイラー~クラッシュの「Brand New Cadillac」ならぬ「新型セドリック」、これも人間クラブからのレパートリー「ハリー・アップ」、高速ロックンロールビートの「気をつけろ」、どれも才気走ったものを感じさせる仕上がりだ。パイレーツ経由の「Peter Gunn」のリフに気怠いハーモニカをのせたインスト「イン・アンド・アウト」も渋い魅力を放つ。アルバムのラストは「ロージー」。FMライブで聴いたギターアレンジとは違うストレートな音色だったが、これはこれで気に入った。スカっていうのもマッドネスの「In The City」がテレビのCMに使われて流行ったころかなぁ、そういう呼び名の音楽ジャンルがあるって知ったのは。

ルースターズの初期代表曲となる「ロージー」はアルバムに先駆け1980年11月1日にシングルリリースされている。こちらはイントロや間奏、エンディングを編集し1分10秒ほど短くしたエディット・ヴァージョンとなっている。シングルのB面は「恋をしようよ」だった。また翌1981年2月1日は「どうしようもない恋の唄」がシングル・カットされ、B面にはファースト・アルバムに未収録だった「Hey Girl」がカップリングされた。

このファースト・アルバムについてはひとつ不思議なことがあって、アナログ発売時A面7曲、B面5曲の計12曲入りなのだが、1983年リリースの『CMC』と1984年リリースのアルバム『グッド・ドリームス』に付けられた帯の裏側のファーストアルバム(アナログ盤)を紹介している記載には 「リトル・バイ・リトル」の表記があり13曲入りとなっていたことだ。これが単なるミスプリント、間違いなのかどうかは知らないが、この13曲入りのファースト・アルバムを探した人や問い合わせた人もいただろうな。

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