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DATE OF BIRTH

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大江慎也のソロでかかわりの深かった、Date of Birthについて紹介。 Date of Birthは自らスタジオを所有する博多出身のバンドで、メンバーは、 重藤功(ギター・キーボード) 重藤進(ドラム・パーカッション) 重藤賢一(コンピュータ・プログラミング)の3兄弟に Norico(ボーカル) の4人。 1985年10インチ・アルバム『Around + Around』をインディーズでリリース、1986年には12インチ・シングル『思い出の瞳』でメジャーデビューをした。 ルースターズとのつながりでは、1985年リリースの大江脱退後初のアルバム「Neon Boy」でストリングス・アレンジ、エンジニアとして、その『Neon Boy』からの12インチ・シングル・カット「Strangers In Town -Super Mix c/w Mega Mix」でB面のMega-Mixerとしてクレジットされている。 ルースターズ脱退後の大江慎也とは、大江が参加した1984のアルバム『Birth of Gel』やソロ・アルバムのレコーディング、ミックス作業をDate of Birth所有の淵上レコーディングスタジオで行ったり、Date of Birthのメンバーが演奏やコーラスで参加したり、歌詞や楽曲を提供するなど深く関わっていた。 大江のソロ4作目『Peculiar』(1989年リリース)でサウンド・プロデュースを重藤功が担当、アレンジや演奏でも参加している。収録曲の"Say Hello!"はNoricoが作詞(日本語詞と英語詞)を、功が作曲を担当、「Get Happy」と「Peculiar」では大江の歌詞に功が作曲をしている。また、ビデオ『True Story』では大江とNoricoが「Say Hello!」や「Great Big Kiss」をデュエットしている姿が見られる。Date of Birthは「Say Hello!」、「Get Happy」、「Peculiar」の3曲をリメイク、自身のアルバムに収録している。 「Say Hello!」のリメイク/その1 Date of Birthが1989年にリリースしたメジャー2ndアルバム『Greatest Hits 1989-1999』に収録されている、「Hello! Hello! Hello!」は大江の

THE SMITHS『RANK』

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1988年8月31日、Rough Trade/ビクター(JPN)よりリリースのライブ・アルバム。 1987年2月7日、イタリアでの「サンレモ・フェスティバル」がスミスの最後のライブになった。わずか5曲の演奏だった。その後、スタジオ・アルバム『Strangeways, Here We Come』をレコーディング、同アルバムを9月にリリースするも、スミスは解散を発表。その一年後にリリースされた、スミスのライブ・アルバム『Rank』は、グレイグ・キャノン(Blue Bellsなど)をギターに迎えた5人組として活動していた頃のパワフルな演奏の記録だ。 このころ、スミスはアルバム『Queen Is Dead』をリリース後、英国ツアー、アメリカとカナダツアーを経て、再び英国ツアーをしていた。 「ロミオとジュリエット」からのオープニングSEが流れる中、モリッシーの“Hello!!”のかけ声と共にマイク・ジョイスのドラム・ロール、ジョニー・マーのフィード・バックで「Queen Is Dead」が始まる。スタジオ・テイクよりもさらにパワーアップした演奏、マーはワウワウを利かせて、キレの良いギターを聞かせる。バッキンガム宮殿に今にも押し入ろうかというモリッシーの迫力あるボーカルも聞き物だ。 全英11位シングルの「Panic」、マーとジョイスがスタジオでの何気ないジャムから生まれた、カントリー・サウンドの「Vicar In A Tutu」、当時の最新シングルだった「Ask」と続く。聞き物の一つは、エルビス・プレスリー1961年のNo.1ヒット「His Latest Flame」をツーコーラス演奏、「Rusholme Ruffians」へつながる絶妙なメドレー。 1985年8月リリースのシングル「The Boy With The Thorn In His Side」では、のびやかなマーのギターが印象的。ブルージーなアドリブから激しいパンキッシュな「What She Said」、続く「Is It Really Strange?」は87年になってシングルのカップリングとしてリリースされることになる。モリッシ-お気に入りのオスカー・ワイルドが登場する「Cemetry Gates」は墓場での語らい。マーのギター・カッティングが素晴しい。 ハードなナンバー「London」から一転して、美しい「I K

川村かおり「悲しきRADIO」

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1996年8月31日、bounceからリリースのトリビュート・アルバム『BORDER  A Tribute to MOTOHARU SANO』より。 カバー曲のおもしろさは演奏するバンド、ミュージシャンの選曲の妙(例えば”知る人ぞ知る曲”、”演奏している人とイメージの違う曲”など)ということもあるが、選んだ曲を素材にして自分のスタイルや好きなパターンに作り変えてしまう、という技が聴けることもあると思う。 今回紹介するのは、佐野元春のトリビュート盤『BORDER』に収録されている、川村かおりの「悲しきRADIO」。この曲は、佐野元春が1981年2月に発表した2ndアルバム『Heart Beat』のB面1曲め(アナログ)に収録されている。都市の夜や車、恋、カーラジオのロックンロールを、当時の佐野が影響されていたと思われるブルース・スプリングスティーンの様な疾走感とともに描き出した。 川村かおりのバージョンは、The Whoの「Substitude(邦題:恋のビンチヒッター)」のようなアレンジで演奏されていて、「Substitude」のイントロのギターフレーズをボーカルの合間に取り入れたり、まるでキース・ムーンの”ハイ・ハットなんていらないぜ”シンバル叩きっぱなしのドラム、フレット上を動き回るベースはThe Whoそのもの。間奏は「The Kids Are Alright」を織り交ぜ、ピート・タウンゼントばりのピック・アップ・セレクタ-のノイズ。少々のリズムの狂いやミスはおかいまいなし!の一発取り風な演奏は、とにかくエネルギッシュ&パワフルだ。ベース、ドラムにはDr.Strange Loveの根岸孝旨と古田たかし(1997年にDSLを脱退)、ギターにはHorikoshi Nobuyasu、川村かおりの飾り気のないボーカルも演奏にびったり。Dr.Strange Loveは「ストレンジ・デイズ」でこのアルバムに参加している。 アルバムにはこの曲の他、The Grooversの「New Age」、インダストリアルなアレンジがカッコいいHAL FROM APOLLO '69の「Sunday Morninng Blue」、ルー・リードを思わせるGreat 3の「サンチャイルドは僕の友達」等の名カバーが収録されている。 なお、川村かおりはSorrow名義のアルバムでルースター

映画『アラビアのロレンス』

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砂漠の高温を焦がれているかのように、ロレンスがマッチの火を指でもみ消す。ここでのロレンスは、退屈な陸軍司令部での仕事を嫌い、形式にとらわれず、機知に富み、学力があり、そして野心もあるアウトサイダー。自ら進んでアラビア勤務を願い出て、望み通りアラビアへ赴任したロレンスは、砂漠の民と同じ強さで苛酷な自然と向き合う。アラビア赴任からアカバ攻略まで、前半のロレンスはとても魅力的な人物で、圧制に苦しむアラブ人達をトルコから解放、そしてイギリスの支配下ではなく、アラブ民族を統一、独立を掲げるヒーロー、でありながら身近に感じられる存在として描かれている。 広大なネフ-ド砂漠をアカバを目指して進撃していたロレンスの隊から、一人の兵士が遅れ、もうすぐ砂漠を渡りきるというときになってそのことに気付いたロレンスは、単独捜索に戻り、無事兵士をつれて戻る。この一件でロレンスはアラブの民から信頼を寄せられ、純白のアラビア服をプレゼントされる。それを身に纏ったロレンスは子供のように嬉しがり、小躍りし、服を風になびかせ、ひとり悦に入っている。それは、アラブ人になりきろうとしていたロレンスが、憧れの衣装を手に入れた時のナルシズムだが、私には微笑ましいシーンだった。 また、自分の隊の兵士をロレンスが処刑するシーンの後、その処刑を「楽しんでいた」と告白するシーンも戦時下の指揮官の苦悩をよく表している。ここでは、ロレンスの心に潜むダーク・サイドを少しだけ垣間見せるのだ。その他、各所で人なつこい笑顔で情け深く、力強い行動力をみせる。しかしアカバ攻略の後、ロレンスは少年二人を連れてシナイ半島横断の旅に出る。この長い旅でロレンスのヒロイズムは、徐々に砂漠の砂の中へ沈み、消えてゆくように思える。 Intermission後、再開された映画の後半は、なぜか見るものを落ち着かなくさせる。ロレンスの顔には、前半での人なつこい笑顔は見ることは出来ない。砂漠へ戻ることに恐怖を感じている様にも見える。さらにアメリカから来た新聞記者がロレンスを扱った記事で名を上げようと野心を見せつける。 しかし、ようやくロレンスは砂漠へ戻ることを決意し、さまざまな活躍でトルコ軍に打撃をあたえ続けた。ロレンス率いる遊撃隊はトルコ軍の補給列車を爆破、兵士ばかりか乗客を殺し、略奪を繰り返す。その略奪が終わるたびにアラブ人達は隊を離れて行った。アラブ

E.D.P.S『BLUE SPHINX』

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1983年11月25日、徳間ジャパンよりリリースのアルバム。 1980年12月Frictionを脱退した恒松正敏は、1981年3月にソロ12インチEP『TSUNEMATSU MASATOSHI』をPassからリリースし、打ち込みとギターのソロ・ライブを行っていた。この時期の音は、金属的で反復するリズムにフリーキーなギターワークをのせた、アバンギャルドな演奏だった。「もうバンドはやりたくない」と思いソロを始めた恒松だったが、もう一度「共同幻想」を見てみようと結成したバンドが『E.D.P.S』だ。 E.D.P.Sは1982年5月に結成、メンバーは恒松(ギター/ヴォーカル)に、元スピード(81年9月に解散していた)の二人、ヴァニラ(ベース)とボウイ(ドラム)。グループ名は、コンピュータ用語(おそらく情報処理関係の"Electronic Data Processing System")とギリシア神話の王の名オイディプス(Oedipus)=エディプスに由来している。バンド結成後ライブを重ね、1982年12月15日には初のEP『Death Composition』をテレグラフよりリリース、8インチで3曲入り、ジャケットにはグループ名の通り、恒松が1977年に描いたオイディプス王の絵画(自らの運命を嘆き、両目を刺して血を流している場面)が使用されていた。 E.D.P.Sの1stアルバム『Blue Sphinx』は1983年3月~8月にかけてレコーディングされ、同年11月25日にリリースされた。一時期グループを離れていたヴァニラに代わり(82年10月29日、芝ABCホールのライブ後に脱退)、チャンス・オペレーション、午前四時などでベースを弾いていた井手裕之がベースを担当している(一部恒松がベースを弾いている)。オリジナル・アナログ・リリースには、初回プレスのみ「Keep On」のソノシートが付属していた。こちらは恒松、ヴァニラ、ボウイのオリジナルE.D.P.Sの演奏。 ジャケットには恒松が描いた「変容-牙」と題されたテンペラ画(1977年作)が使用されている。1996年に徳間ジャパンから再発されたCDにはソノシートの演奏を追加収録。 今回の全曲解説はアナログ盤の形となっています。  SIDE A : 1.  To Rule The Night(作詞・作曲/恒松正