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My Wandering MUSIC History Vol.55 PANTA『唇にスパーク』

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1982年7月21日、ビクター/フライングドッグよりリリースのアルバム。。 パンタのスウィート路線第二弾。 初のCMタイアップ曲「レーザー・ショック」収録。 自伝『歴史からとびだせ』によれば、CMとの関わりは以下のようだった。 パンタ側の承諾なしで広告代理店側が勝手にパンタの起用を進めており、ビクターに打診があるがパンタ側は断りの連絡。内情を聞くと代理店内のパンタファンが進めていた模様で彼らの立場を考慮しパンタが了解する。広告代理店・トヨタ側からはビスタの新型レーザーエンジンをプッシュするため “レーザー” という単語を入れた新曲制作の要望。当初 “レーザー革命” というタイトルだったがパンタの運動歴に配慮し“レーザー・ショック”に変更。 ここからが重要だが、このアルバムにも収録されているスローなナンバー「渚にて」が “レーザー・ショック” になるはずだった。つまり「渚にて」のメロディに “レーザー・ショック” という言葉をいれた歌詞で作られた曲で、パンタによれば詞と曲の相性も抜群。レコーディングもされており、スタッフ全員、トヨタ側の課長・部長もお気に入り、だったがトヨタの取締役が “宣伝にスローな曲を使った車は売れない” とダメ出し。それで急遽リリース版「レーザー・ショック」が作られ、アレンジは伊藤銀次に依頼。ここでも伊藤銀次が怒り出すほど代理店・トヨタ側のアレンジに対する要求があったという。 長々と書いたけど、何が言いたいのかというと、この「渚にて」の別歌詞ヴァージョンである「レーザー・ショック early Version」の音源が存在する、ということだ。発表してくれ~。聴かせてくれ~。 さてアルバムの内容はというと、前作『KISS』は歌詞を他人に依頼したがこのアルバムでは全てパンタ(中村治雄)作詞。編曲は前作の矢野誠に加えて伊藤銀次が参加。フランジャーの効いたギターのイントロで始まるニューウェイヴならぬ「P-WAVE」。アレンジは伊藤銀次。パンタ・ウェイヴは大きな波にならなかったけどね…。アルバム全体に言えるけどパンタのヴォーカルはメロディを丁寧にトレースするものでとても聴き易い。前作よりは断然ヴォーカルが“立って”いる。 野球に見立てた恋の駆け引き「Hipにストライク」。“そんなにおびえた目でオレを見ないで”ってところがスウィート路線。パンタって野球好きなの

My Wandering MUSIC History Vol.54 巻上公一『民族の祭典』

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1982年2月、東芝EMIよりリリースのアルバム。 ヒカシューの巻上公一のファースト・ソロ・アルバム。発売当時かなり聴きこんだなこれ。 童謡、歌謡曲、異国の民謡やポップス、ヒカシューの曲の再演、オリジナルの新曲まで全10曲。ヴァラエティに富んでいてコンパクトにまとまっている。民族 “歌の” 祭典といったところ。アナログの帯には “聴く奴の偏差値が暴かれる!…とはいうものの若者達の心に滲みる名曲の数々” と書かれてる。そう “カヴァー” なんて気の利いた言葉は使ってなかったんだ、この頃は。アナログ盤には歌詞カードの裏に巻上・上杉清文・南伸坊・鈴木祐弘による曲解説のような座談会が載っているが、ここでもカヴァーなんて単語は一度も出てこない。 演奏はヒカシューで、ゲストに立花ハジメ、ゲルニカの上野耕路と戸川純、チャクラの板倉文明が参加、何故ヒカシューとしてではなく巻上のソロ名義としてリリースしたのかは分からないが、大正後期~昭和終戦直後くらいの間に発表された曲を取り上げた巻上の趣味的な面があったからだろうか。いにしえの名曲をエレクトリックでシンセなども使いながらフリーキーでアヴァンギャルドも織り交ぜたアレンジ。当時音楽に限らず映画やイラスト、デザインなどにも現れ始めていたレトロ・フューチャー的な表現方法と言える。 エキゾチックな雰囲気のフェードインによる「森の小人」でアルバムは始まる。前年の1981年にリリースしたヒカシューのアルバム『うわさの人類』は映画『フリークス』に影響を受け制作されたものだが、その流れともいえる選曲。小人たちのカーニヴァル。これもちろん元の歌を知っていて取り上げたんだろうな…。久しぶりにこのアルバム(アナログ)聴いたけどベースのフレーズとドラムの音がくっきりしっかり録音されていて、いい音だなと感じた。 続く昭和初期の満州/ソ連の国境的イメージの「国境の町」。または巻上にとっては夢野久作「氷の涯」がイメージとしてあるという。読んでみるかな。これは知っている人が多いと思う軽快なアレンジの「桑港のチャイナ街」。続いてヒカシューのアルバム『夏』のオープニング・ナンバーだった「アルタネイティヴ・サン」の再録。チャクラの板倉文明がギターで参加。インド・ラーガ的とも取れるアレンジで原曲とは違った魅力がある。これもお馴染み、アメリカのスタンダード・ナンバー「私の青空

My Wandering MUSIC History Vol.53 アナーキー『亜無亜危異都市』

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1981年5月21日、インビテーション/ビクターよりリリースのアルバム。 このページの少し前に書いたけど、ルースターズの『à-GOGO』と一緒にカセットに録音して聴いてたアナーキーのサード・アルバム。たぶんアナーキーはこのアルバムを最初に聴いたと思う。ファーストはそれなりに話題になってたと思うけど聴いてなかった。なんだろうなぁ。暴走族からパンクバンドへっていう情報が入ってたからかなぁ。バンド名の漢字表記とか当時は馴染めなかったし。まぁそんな関係かどうか各種武勇伝やら色々とあるバンドでもある…。 で、サード・アルバムはプロデュースがマイキー・ドレッド、エンジニアにスティーヴ・ナイ、録音はロンドン・エアー・スタジオで行われた、という話題やクラッシュの面々がスタジオに遊びに来ていたという情報もあり、聴いてみようかなと…思ったのかもしれん。 全体的にクラッシュ直系のタイトでドライなサウンドで作られたアルバムは、 “金であやつるヤツも居なけりゃ あやつられるヤツも居ない” というアナーキーの面々が考える都市の姿を描き出した「アナーキー・シティ」で始まり、1980年代初頭の日本の右傾化に反応した「戦争」、「右」、「心の銃」と3曲続く流れ。安易にピストルが欲しいなんて言わず、心の銃ってところが当時も共感出来た。聴く者に演奏者と同じだけのエネルギーを求める「醒めるな」なんて曲を聴くとアナーキーというバンドは熱いバンドだったんだなとあらためて思う。今回聴いていいなと思ったのが「自由」。ファースト(象徴をピー音で消された)やセカンド(タレントを揶揄する曲が外された)の過去アルバム制作時の事をベースにしたのか、自由に歌えない、発表出来ない不自由さを歌ったもの。のちのアナーキー~ザ・ロック・バンドに通じるルーズなサウンドもいい。 アナログではB面にうつって、テレビに慰めを見出している日常を歌にしたレゲエ・テイスト「TV」とそのダブ「TV(DUB)」が続きマイキーの本領発揮。この後は「都市(まち)」、モータウン調のハネたリズムの「探し出せ」、スカビートの「SAFETY ZONE Ⅱ」といったお前らの生活それでいいのか、という内容の歌が続き、ラストは大人達に異議申し立て、作り変えちまおうというロックンロールナンバー「改革子供(REVOLUTION KIDS)」で終了、そのメッセージはアルバム1