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Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.6 ばるぼら著・100% Project監修『NYLON 100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 2008年8月、アスペクトより刊行された、渋谷にあったロック喫茶ナイロン100%の歴史を7章に分け、それぞれを証言者が語る。著者・ばるばら、監修は100%プロジェクト。 「PRE-NYLON」   証言者:中村直也、菅野秀夫、ブラボー小松 「NYLON 1978」   地引雄一、坂本みつわ、他 「NYLON 1979」   巻上公一、高木完、Phew、戸川純、他 「NYLON 1980」   サエキけんぞう、平沢進、他 「NYLON 1981」   上野耕路、太田蛍一、ブラボー小松、他 「NYLON 1982-1985」   KERA、大槻ケンヂ、他 「NYLON 1986」   林茂助、椎橋夏奈子、増戸実 中村直也はナイロン100%の店長、この店のオーナーはニャンコ(本名;津野田)という女性で資金はニャンコの両親が出資したという。ニャンコはナイロン100%のはじまりを知る重要な人物だが行方が分からずこの本にインタビューは掲載されていない。 それぞれが自身とナイロン100%との関わりと同時に当時の音楽シーンの状況や、パンク/ニューウェイヴからの影響についても語るようなインタビューになっており非常に興味深く読める。なかでも戸川純のナイロン愛の伝わるインタビューがとても印象に残る内容。ナイロンとは関係ないけどテレビ局で高木完と久保田慎吾をキョンキョンに紹介したエピソードが笑える。Phewのインタビューもナイロン100%を冷静に観察したような内容で、これもナイロンと関係ないけど”東京ロッカーズは嫌だった。五バンドも一緒にやってね。いい大人が(笑)。何年か経ったら、理解はできましたけど”とバッサリ。 地引雄一のナイロンで打ち合わせをしたとかリザードのモモヨもナイロンを気に入ってたとか、マイナーよりナイロンの方が古い時代を吹っ切っていて共感できたとか、といった話も面白かったし、地引雄一が撮影したプラスチックス、巻上公一、Phew、戸川純、81/2などの写真も掲載されている(撮影場所はナイロン100%や新宿ロフト)。地引の写真からはナイロン100%の内装が伺える(白黒だけど)。白いプラスティックの椅子、小さな四角いテーブル、壁に貼られたリーナ・ラヴィッチ、ジャン=ジャック・バーネル『ユーロメン・カメス』のポスターやロキシー...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.4 巻上公一著『宇宙の右翼 水中の左翼』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 1982年、PARCO出版より刊行されたヒカシュー・巻上公一の初めての著書(エッセイ)。劇団出身だけに演劇についての話は多い。音楽についての話はむしろ少ないかも。これについては巻上がこの本のあとがきで“意識的に音楽に関する記述を避けたようにも見うけられるが、そんなことはない。無知なのである。無知でも音楽をやれる生き証人なのだ”としている。音楽に関する話題では、ニューヨークで見たロックコンサートの逸話、ダンサーのベアトラン・レゾンの舞台やテキスタイル/ファッション・デザイナーのヨーガン・レールのファッション・ショーや石井聰亙監督の映画『シャッフル』の音楽を担当した経緯などが記されている。 巻上の幼少期〜高校時代〜東京キッドブラザースのロンドン公演、その時に誘われてルミエール&サン(ロンドンのアンダーグラウンド劇団)の舞台参加、ミスタースリムカンパニー〜自身の劇団ユリシーズの活動やその公演の概略などを掲載、また大森一樹監督の映画『風の歌を聴け』に俳優として参加した経緯も。巻末には野田秀樹との対談を掲載。 タイトルは、巻上公一がこの時点で全く新たな価値観の獲得に向けて突き進むイメージを言語化したものと思われる。

私の放浪音楽史 Vol.54 巻上公一『民族の祭典』

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1982年2月、東芝EMIよりリリースのアルバム。 ヒカシューの巻上公一のファースト・ソロ・アルバム。発売当時かなり聴きこんだなこれ。 童謡、歌謡曲、異国の民謡やポップス、ヒカシューの曲の再演、オリジナルの新曲まで全10曲。ヴァラエティに富んでいてコンパクトにまとまっている。民族 “歌の” 祭典といったところ。アナログの帯には “聴く奴の偏差値が暴かれる!…とはいうものの若者達の心に滲みる名曲の数々” と書かれてる。そう “カヴァー” なんて気の利いた言葉は使ってなかったんだ、この頃は。アナログ盤には歌詞カードの裏に巻上・上杉清文・南伸坊・鈴木祐弘による曲解説のような座談会が載っているが、ここでもカヴァーなんて単語は一度も出てこない。 演奏はヒカシューで、ゲストに立花ハジメ、ゲルニカの上野耕路と戸川純、チャクラの板倉文明が参加、何故ヒカシューとしてではなく巻上のソロ名義としてリリースしたのかは分からないが、大正後期~昭和終戦直後くらいの間に発表された曲を取り上げた巻上の趣味的な面があったからだろうか。いにしえの名曲をエレクトリックでシンセなども使いながらフリーキーでアヴァンギャルドも織り交ぜたアレンジ。当時音楽に限らず映画やイラスト、デザインなどにも現れ始めていたレトロ・フューチャー的な表現方法と言える。 エキゾチックな雰囲気のフェードインによる「森の小人」でアルバムは始まる。前年の1981年にリリースしたヒカシューのアルバム『うわさの人類』は映画『フリークス』に影響を受け制作されたものだが、その流れともいえる選曲。小人たちのカーニヴァル。これもちろん元の歌を知っていて取り上げたんだろうな…。久しぶりにこのアルバム(アナログ)聴いたけどベースのフレーズとドラムの音がくっきりしっかり録音されていて、いい音だなと感じた。 続く昭和初期の満州/ソ連の国境的イメージの「国境の町」。または巻上にとっては夢野久作「氷の涯」がイメージとしてあるという。読んでみるかな。これは知っている人が多いと思う軽快なアレンジの「桑港のチャイナ街」。続いてヒカシューのアルバム『夏』のオープニング・ナンバーだった「アルタネイティヴ・サン」の再録。チャクラの板倉文明がギターで参加。インド・ラーガ的とも取れるアレンジで原曲とは違った魅力がある。これもお馴染み、アメリカのスタンダード・ナンバー「私の青空...

私の放浪音楽史 Vol.19 ヒカシュー『ヒカシュー』

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1980年2月イーストワールド/東芝EMIよりリリースのアルバム。 ヒカシューで強く印象に残ったのは、メンバーが真っ赤なブレザーに白いパンツスタイルの東京オリンピック(1964年)日本選手団制服を着ていたヴィジュアル。 “金曜娯楽館”だったか“ステレオ音楽館”だったか定かではないが1980年頃のテレビ番組のニュー・ウェイヴ/テクノ・ポップ特集を見た時だ。それに巻上公一のユーモラスで不気味な表情と強い発声、コミカルなイメージがありながらも機械的でユニークな楽曲も印象に残った。バンド名の“ヒカシュー”も奇妙ですぐ覚えられる。武満徹の “悲歌” に由来するが、無意味化するためカタカナにし、無意味な “ヒカ” として様々な楽曲を演奏する、そういった意味を無化する“集” 合体であることから、 “ヒカシュー”と名付けたと巻上が語っている(ばるばら著『ナイロン100%』アスペクト社発行)。 オリンピックの制服はファースト・アルバムのジャケットでも着用している。このアルバム・ジャケットで使用されている椅子は渋谷にあったニュー・ウェイヴ・バー“ナイロン100%”(ヒカシューのメンバーも訪れ、ライヴもしている) で使われていたものと同じものらしい。だけどこのアルバム・ジャケットはイメージが散漫な気がする。裏ジャケの滝本淳助による“路上でこたつに入りインターフェースのケーブルを抜き差しするヒカシューの面々”のほうが このグループの特徴を良くとらえていると思うけど。 当時ヒカシューはドラムレスでリズム・ボックスを使用していたが、ファースト・アルバム(プロデュースは近田春夫)では、ゲスト・ミュージシャンで泉水敏郎(8 1/2、ハルメンズ)や高木利夫(近田春夫&BEEF、ジューシー・フルーツ)がドラムで参加している。ドラムスのクレジットがないのは「20世紀の終りに」、「プヨプヨ」、「炎天下」、「ヴィニール人形」、「幼虫の危機」だが、「20世紀の~」はスネアだけ入れようとかリズム・ボックスのレコーディングには苦心したようだ。 アルバムの内容はどの曲も個性的。「レトリックス&ロジックス」や「ルージング・マイ・フューチャー」はロックンロール・ベースな スピード感があるナンバー、Xレイ・スペックスを彷彿とさせる。「モデル」はクラフトワークの日本語カヴァー。怪奇大作戦なムードの「ヴィニー...