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Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.2 藤沢映子著『ZELDA物語』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 JICC出版局より1988年に刊行された、ゼルダのヒストリー本『ZELDA物語』。著者は1986年夏のイベント「秋田ロックシティカーニバル'86」で初めてゼルダを観た・聴いた藤沢映子。小嶋さちほより少し年上という著者はライヴハウスで紅蜥蜴のライヴを体験しているが、“ただ怖い変人に見えた”というし、東京ロッカーズの時代、さちほとは、“どこかのライヴ・ハウスで一緒になっていたハズだ”という。東京ロッカーズが決して楽しいものに思えなかった著者だったが、ゼルダに出会ってこのバンドのことをもっと知りたいと思うようになった。それはゼルダ結成者である小嶋さちほを知ることであり、ゼルダが生まれた東京ロッカーズ・シーンを知ることでもある。 基本的に執筆当時のゼルダのメンバーへのインタビューをもとに構成しており、小嶋さちほ、高橋佐代子、石原富紀江、小澤亜子の生い立ちを第一章に、さちほの東京ロッカーズ・シーンとの関わり〜ボーイズ・ボーイズ結成〜脱退、ゼルダ結成〜初期メンバーのヨーコ(鈴木洋子)、マル(野沢久仁子)脱退〜石原と小澤加入までが第二章。ここまでで全体の3分の2の分量。第三章では新メンバーとなっての活動、ファンキーに変遷していった音楽スタイルやカラフルになったファッションなども交えて1988年9月の日比谷野音ライヴあたりまでが描かれている。 S-KENスタジオで初めてベースの音を出したあのシーンも、バンドとして不本意な作業となったファースト・アルバムのレコーディング現場もゼルダ側の言葉として書かれている。 本文の下段にはゼルダに関係・交友のあるアーティスト等のコメントが載っていて、セカンドアルバム『カルナヴァル』をプロデュースした白井良明やそのアルバムに収録された「Are You Lucky? ラッキー少年のうた」を提供した鈴木慶一、バンドでゼルダのコピーをしていたという森高千里らのコメントを掲載。 巻頭や文中には執筆当時のメンバーのライヴやオフショットの写真、巻末には1980年から1988年(9月)までのライヴ・ヒストリー(年表)、メジャーからリリースしたディスコグラフィー(1988年リリースのアルバム『シャウト・シスター・シャウト』まで)を掲載している。

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.1 菅原庸介著『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 (株)ドールより1987年に刊行された、東京ロッカーズの代表的バンドであるリザードのモモヨ(菅原庸介)が執筆した自伝的小説『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が当時のアーティスト・関係者達の、主にピュアな部分を抽出して作り上げられた物語だとしたら、このモモヨが“視た夢幻をつらつら書き写した”という”自伝的小説”は、同じ時期を描いた部分もありながら、時にけしの森で迷い囚われ、享楽と邪な情念が渦巻く狂おしい人間関係の中に生きた経験を振り返った物語であり、破局の後に日本の古の歌人とロックンロールを重ね合わせていくことで新たな道を探り出し再生を告げた書でもある。 モモヨの中学・高校時代のエピソードや、もちろん<通底器><幻想鬼><エレクトリック・モス>といったバンドを経た後、紅蜥蜴を結成しリザードと改名した音楽活動の足跡も知ることができる(リザードとして1986年に発表した4曲入りミニアルバム「Book of Changes」まで)。 モモヨ自身が”自伝もどき”と記しているが、レコードのリリース、記された事件や事故の一部は他の出版物に記録されたものと表面的には変わらない事実であり、多くの人物やバンド名は変名となっているが実名で登場している箇所もある。もちろん書かれている修羅場と化した人間関係は知る由もないが、日本のアンダーグラウンドシーンやパンクロックシーンの裏側で何があったのかを知る・夢想するには格好の書だ。 “まず、この道に至らんと思わん者は、非道を行ずべからず” と世阿弥『風姿花伝』の言葉を引いた後、こう記している。 “ただ、ひたすらロックン・ロールするばかりでよい、他に示すべき何もない”(「あとがき 夢現」より)。 この本の中でモモヨが”家では画集を眺めることが多かった。ギュスターヴ・モローという、世紀末フランスの画家やデルフトのフェルメールが好きだった”と記しているが、私が後にフェルメールの絵画を好きになり(2000年に大阪で開催されたフェルメール展観に行った)、最初読んだ時は気にしてなかったけど、読み直したときフェルメールの名前を見てうれしかったな。

松山晋也監修・別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』

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2026年3月31日、Pヴァインより刊行。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』、いくつかレビューを読んだけど、当時を経験した世代、または東京ロッカーズ周辺を日本のロック史として知っている(聴いている)人たちは、ああしたらよかった、これが足りないみたいなレビューもあったが、当時の音楽シーンを知らない若者、世代には概ね好評のようだ。それは監督や原作者が望んでいたことでもあると思うので、なんか安心した。 その映画ではとりあげていなかった関西パンクシーン、関西NO WAVEと呼ばれたバンド・アーティスト群も1978年〜1979年には活躍し東京でもライヴをおこなっていたが、その代表的なバンドのひとつであるアーント・サリーを表紙にした、別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』が出版された。 映画『ストリート・キングダム』が公開され、ここにきて書籍『ストリート・キングダム 最終版』、写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』と購買意欲を刺激される出版が続き、この他にもフリクションのシングル「Crazy Dream」や「I Can Tell」のアナログ再発もあり、さすがにシングルの音源はCD等数種持ってるので買わなかったけど。この『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』は、かつて雑誌『ロック画報』08号で吉祥寺マイナーについて回想録を書き、“何よりも「東京ロッカーズ」などといういちゃついたネーミングに嫌悪感を抱いていた”という松山晋也が監修している(『ロック画報』08号に掲載されていた記事は、松山晋也のブログに「 吉祥寺マイナーのこと 」として公開されている)。 地引雄一へのインタビューでは、地引が田舎の生活を撮影した写真が見られる(1枚だけど)。見たかったんだよねぇ…地引雄一が東京のロックシーンを撮影する以前の写真。福島県の農村を撮影した写真には、傾いた土壁の納屋と頰かむりをした農夫が写る。写真雑誌にも掲載されたというが他も見てみたい。インタビューはその頃の話題から最近のインディーズ・シーンとの関わりまでを語る、写真を含め16ページ。S-Kenのインタビューは写真を含め12ページで、ポジティヴな波動に満ちた内容。 小嶋さちほのインタビューは短いけど(写真を含め8ページ)、自身の音楽活動がパンクからスピ...

地引雄一撮影・写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』

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2026年3月25日、Record shop BASEより刊行。 地引雄一が1978年から1985年にかけて撮影したフリクションの写真集が発売された。フリクションの写真集というとレック撮影写真集+佐藤ジン・地引雄一・広瀬忠司らによる撮影のフリクション写真集という2冊組(+ライヴCD)『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』(カラーフィールド刊・2008年)があったし、地引雄一の写真集は様々なバンド・アーティスト写真を収録した『TOKYO STREET ROCKERS 1978→1981』(リトルモア刊・2009年)があったが、地引雄一単独の撮影によるフリクション写真集は初の刊行となる。 巻末に掲載されたRecord Shop BASE・飯嶋俊男の「制作、発刊にあたって」によると、“あくまで主役は地引氏”と記されている。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』と同じく主役はユーイチ、そのファインダー越しの眼差しだ。オンステージでは強烈に放射されるエネルギーが感じられ、オフステージではリラックスしユーモラスにも感じられる写真の数々。フリクションのバイオグラフィーと写真のINDEXを含む160ページ、A4サイズの写真集だ。 地引雄一の写真の魅力というとなんだろう…臨場感、それに被写体/バンドとの近さ…かな。音圧を感じるような接近戦といってもいいかも。 A4サイズなのでこれまで見たことのある写真もドーンと大きく見ることができる。恒松の弾くギター、ダブルカッタウェイのレスポールジュニアのヘッドには「Burny」のロゴ。 写真集には未発表の5曲入りCDが付属している。 曲目は下記、 1. I CAN TELL 1978年5月28日 六本木S-KEN スタジオ(レック、チコ・ヒゲ、ラピス) 2. CRAZY DREAM 1979年4月22日 新宿ロフト 3. ニューセンセーション 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター 4. CYCLE DANCE 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター (Track 2, 3 & 4 レック、チコ・ヒゲ、ツネマツ・マサトシ) 5. ニューセンセーション 1981年1月10日 市ヶ谷法政大学学生会館大ホール(映像では既発) (レック、チコ・ヒゲ、ゲスト:ノン G&Key ) 『J...

地引雄一著『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』

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2026年3月27日、SLOGAN/indies Pressより刊行。 1986年に ミュージックマガジンより 刊行された初版から40年、 2008年に K&Bパブリッシャーズより刊行された改訂版 『ストリート・キングダム 東京パンク/インディーズ・シーンの記録』から18年、 田口トモロヲ監督・映画『ストリート・キングダム自分の音を鳴らせ。』公開と同日に映画の原作『ストリート・キングダム』が最終版として刊行された。 巻頭に掲載された著者撮影のライヴやオフショット写真は、2008年版から若干追加あり紙質も見易いものになっている。本文の下部にある補足資料・画像も追加されている。最終章としてあとがきに2009年以降の事柄を記載、雑誌『ミュージック・マガジン』1985年3月号から13回にわたって掲載された「地引雄一の現場報告」が再掲載されリザード、フリクション、オート・モッド、くじら、G-シュミット、A-MUSIKなどを取り上げている。巻末には当時のチラシ、ポスター、ファンジンを掲載した「パンクアート・ギャラリー」で、こちらも2008年版から幾つか追加されている。 地引雄一はこの本のまえがきで「ストリート・キングダム」とは、 “何者にも従属しない自由な活力にあふれた異世界”であると記している。それは都市の地下に、路上に、ビルの中に、都市と対峙しながら生きる者達の生活空間に出現したのだと私は思う。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』はバンドの再現シーンについつい目が行きがちだが、この本を読み返して主人公ユーイチの物語だったんだなとあらためて思ったのである。 私が購入したタワーレコードではオリジナル特典があった。 タワーレコード購入特典:ポストカード(ザ・スターリン) タワーレコード購入特典その2:スマホサイズ・ステッカー(ノンバンド)

映画・田口トモロヲ監督作品『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』

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映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』。最寄りの映画館では上映なし。少し離れた町のシネコンまで電車で出かけた。公開直後なので少しだけ。 映画の冒頭、監督の田口トモロヲがナレーションを務めるNHKドキュメンタリーを模したような主人公ユーイチ(峯田和伸)の語りから始まりクスッと笑わせてくれる。1978年というあと少ししたら半世紀前になろうかという出来事をもとにした作品のため全体的にやや説明が多いと感じるものの、日本パンク黎明期の熱意と熱気、シーンの高揚と喪失、そして拡散をうまく捉えていると思う。 フォトグラファーという表現者でありながらもシーンを客観的に見ているという立場でもあり、交渉ごとや清算など実務的なものにルーズになりがちなバンドの人間に代わってそれらを担当せざるを得なくなったユーイチ役を峯田和伸が好演。印刷屋の娘という設定でミニコミを発行しているサチ(ゼルダのチホがモデル)を吉岡里帆が明るくパワフルにそして爽やかに演じている。吉岡里帆から「リディア・ランチ」という言葉を聞いたときは新鮮だったなぁ。それに若葉竜也が演じるバンド・TOKAGEのモモ(リザードのモモヨがモデル)の3人を中心に物語は進む。 どうしてもモデルのバンドの再現力に興味がいってしまうところだけど、ロボトメイア(ゼルダがモデル)が「うめたて」を演奏するライヴシーンはなかなか感動的な再現力。吉岡がベースを弾く姿も絵になっていてかっこいい。音はオリジナルの音源を使用した当て振りだが映画館の大音量で聴けるのもうれしい。それに新宿ロフトの外観の再現力は驚異的だ。ロフトの建物はもちろん、隣の家とその奥の建物を完全再現(VFXか)。素晴らしい。 1978年から1981年頃までのシーンをギュッと圧縮、同時進行していなかった事柄も並列で描いており、パンフレットには事実にフィクションを織り交ぜドラマ性を高めて観客が理解し易くした、と監督が語っている。宮藤官九郎が脚本ということで何となく想像できたがややコミカルなタッチ、でもホロリとさせる部分もあり、リアリティをキープしながらポジティブな作品となっている。原作にあったエピソードで幾つか入れてもよかったんじゃないかとか、あのバンドのこの曲を使って欲しかったと思うところはあるけど、まぁ、おっさんのノスタルジーというより現代の若者が観てどう感じるかが重要だ。

地引雄一著『ストリート・キングダム』再刊!

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3月27日公開、田口トモロヲ監督・映画『ストリートキングダム自分の音を鳴らせ。』の原作、地引雄一著『ストリート・キングダム』が最終版として再刊。タイトルは、 『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』 刊行はSLOGAN / indies pressより。 下記はSLOGAN HPのインフォメーション。 https://www.slogan.co.jp/streetkingdom/ 上の画像は『ストリート・キングダム』2008年改訂版刊行時のフライヤー ミュージックマガジンより1986年に刊行された初版 『ストリート・キングダム 東京パンク/インディーズ・シーンの記録』 K&Bパブリッシャーズより2008年に刊行された改訂版 『STREET KINGDOM 東京ロッカーズと80'sインディーズシーン』

安田潤司著『パンクス青の時代』

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2025年2月7日、DU BOOKS刊 ジャパニーズ・ハードコア・パンクのドキュメンタリー映画『ちょっとの雨ならがまん』(1984年)等を監督した安田潤司の自伝的エッセイが刊行された。ハードコアの記録というと武勇伝的な内容が多いから、どうしようかなと思っていたけど、結局購入。事件並みヴァイオレンス、パフォーマンスの逸話もあるが、“暴力騒ぎの先に未来はない”と考え、“初期衝動のその先へ” を問い続けた著者の視点から描かれているように思う。 冒頭の石井聰亙監督『狂い咲きサンダーロード』やパンク・ハードコアとの出会いから8mmカメラを手に取り、自らジャパニーズ・ハードコア・シーンに飛び込んで撮影を始めるところは、東京ロッカーズとの出会いを描いていた地引雄一著『ストリート・キングダム』(1986年刊)のハードコア編だな、と感じた。 安田潤司監督デビュー作『ちょっとの雨ならがまん』は1984年3月、池袋文芸坐ル・ピリエで公開された。 1990年に頭脳警察が復活、朝霞の米軍基地跡で行われたライヴを記録したビデオ作品『万物流転』が安田潤司監督だったと改めて認識。確かにアグレッシブなカメラワークと編集の作品である。 頭脳警察『万物流転』(1991年・VHS・ビクター) 監督・安田潤司 その後、GISMの活動再開、MASAMI追悼GIG、GISM永久凍結ライヴ、クラブ・DJカルチャーへの接近、そして親しい者たちが他界した。東日本大震災、新型コロナウィルス・パンデミックの過酷な状況を経て、最近の活動が綴られている。 『ちょっとの雨ならがまん』の上映が決まってからは、“たとえどんなにハードなことが起きても、その状況を笑いながら楽しむこと”を“初期衝動の先”に見ていたという著者だからこそ幾つものタフな現場を潜り抜け撮影してこられたのだろう。やはり映画監督だけあって場面の編集の仕方がうまく、全体を通して読み易い。 G.I.S.M.『+R Regicide Reverberation』(2002年・VHS・Beast Arts)  DIRECTED BY JUNJI YASUDA

BOLSHIE『1979 UNRELEASED STUDIO TRACKS』

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2022年2月25日、BASEよりリリースのアルバム。 BOLSHIE『THE BOX』 で書いたが、売切れ状態だった同時リリースの『1979 UNRELEASED STUDIO TRACKS』が4月に再プレスされて入手可能になった。よかったー。 『THE BOX』に収録されていた上野耕路プロデュースによるデモ音源が “ 自分達の表現したいものと乖離していた ”(『1979 UNRELEASED 〜』ライナーノートより)ため、バンドのセルフ・プロデュースで1979年5月にレコーディングした音源13曲を『1979 UNRELEASED STUDIO TRACKS』に収録している。録音場所は渋谷ヤマハ・エピキュラスと記載がある。 メンバーに不評だった上野デモではキーボードが大きめ(というかギターとドラムがやや抑え気味)にミックスされていたが、この『1979 UNRELEASED STUDIO TRACKS』ではギターとドラムの音がソリッドに録音されており、全体としてラウドな聴感になっている。バランスはキーボードが右チャンネル、ギターが左チャンネルに振り分けられている。 『THE BOX』にも収録されていた1979年5月8日新宿ロフトでのライヴ4曲をはさんで、実はこれが聴かせたかったのでは、と思えるのが、石田健司+岩井誠の2人により1982年春に録音されたプライベート・レコーディングの2曲。 「Cut and Carve」は打ち込みのドラムに、石田のスムースなベースラインと岩井のシンセをこれまでになく活かしたアレンジのアンビエントなナンバー。8分余りのやや長めの曲だが退屈させることはない、驚きのボルシー進化形、かっこいい。「Early C」はノイジーともいえるレゲエ/ダブなナンバーで、裏打ちのキーボードに、女性の語りが被さり、石田のヴォーカルもエフェクトがかかって雰囲気がある。打ち込みのドラム、ベースラインも工夫されているし、最後のコーラス部分も曲を魅力的にしている。 『1979 UNRELEASED STUDIO TRACKS』に封入された、石田健司(ベース&ヴォーカル)のライナーノートに、これまで2回BOLSHIEの音源リリースの話があったが途中頓挫した、と記載があるが、いぬん堂の掲示板にも“ OZ、いぬん堂と出なかった ” と書き込みがあった。 今回リリース...

BOLSHIE『THE BOX』

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2022年2月25日、BASEよりリリースのボックス・セット。 先日紹介 した真島昌利著 “自伝的ディスク・ガイド” 『ロックンロール・レコーダー』に交友関係が記されていたバンド、ボルシーのCD5枚組ボックス・セットがリリースされた。これまで公式に発表されていたボルシーの楽曲は、1979年4月にビクターよりリリースされたオムニバス・アルバム『 東京ニュー・ウェイヴ'79 』に収録されていた「ロボット・イン・ホスピタル」、「クロックワーク・アーツ」、「ノスタルジック・ボーイ」の3曲のみ。1978年5月頃にバンド結成、8月13日の初ライヴから1979年5月8日のラスト・ライヴまでほぼ1年の活動をパックしたボックス・セットとなった。 各CDの内容だが、 CD1 Track1〜12:1978年11月19日、ライヴ at S-KENスタジオ Track13〜19:1978年 デモ音源 at S-KENスタジオ  CD2 Track1〜11:1978年9月24日、ライヴ at 新宿ライヒ館モレノ  Track12〜21:1979年1月21日、ライヴ at 新宿ライヒ館モレノ CD3 Track1〜13:1979年2月10日、ライヴ at 新宿ロフト CD4 Track1〜15:1979年5月8日、ライヴ at 新宿ロフト CD5 Track1〜16:1979年 デモ音源 at PARISスタジオ(上野耕路プロデュース) となっている。 クラッシュやダムド等のレコードを聴いて影響を受け、楽器を手にし、バンドを組み、歌い始めた若きパンクス・ボルシーの激しいエナジーとクールな感覚を聴く事ができる。当時メンバー全員高校生・平均年齢16.5才と紹介されていたが、ベースラインやロックンロールなギター、コーラスなど工夫された楽曲の構成・アレンジ、歌詞の内容は非凡なものと思う。 1978年11月19日の S-KENスタジオでのライヴ(CD1)は、「ロボット・イン・ホスピタル」を除く曲が全て3分未満で、ミッド・テンポで凡庸への埋没を歌う「Heavy」以外はカッ飛びチューン連続、その勢いが魅力的だ。1978年9月24日の新宿ライヒ館モレノでのライヴ(CD2)も曲目は若干異なるが同様のハイ・スピード、ショートチューンのライヴ。個人的にはこのCD1のライヴ部分が好み。 ボックスのハイ...

イヌイジュン著『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』

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2020年6月26日 シンコーミュージック・エンタテイメントより出版。 ザ・スターリンのアルバム『trash』再発とほぼ同じタイミングで刊行されたイヌイジュンによるザ・スターリンと遠藤ミチロウ回顧録。 この本は、東京・国立市にあったぶどう園のアパートのシーンから始まる。 国立にあったぶどう園アパートについては、これまでに読んだことがあった。たとえば、元ミュートビートでDUBトランペッターのこだま和文は、 “ 国立市の西、当時「ぶどう園」と呼ばれていた一画があった。ぶどう畑を囲むように百軒ほどのバラック風のアパートがあった。売れないミュージシャンや画学生、ヒッピー風の若者たちが住んでいた、ぼくも、その中の一人だった。忌野さん縁の地でもある。” (こだま和文著『空にあおいで』K&Bパブリッシャーズ刊より) また、ガセネタのベーシストだった大里俊晴は、 “ 一橋大学の裏手にある、ブドー畑とか、ミュージシャン長屋、というと、知る人は知っているが、何十何百と知れぬミュージシャン、ミュージシャンの卵、自称ミュージシャン、その他モロモロの巣窟だ。 この、年間家賃滞納額が数百万とも噂される大集合住宅地に(中略)くだんのドラマー、乾の部屋を探し続けていた。”(大里俊晴著「ガセネタの荒野」月曜社刊より) ここでガセネタのメンバー(大里、浜野純、山崎春美)3人が訪ねて行ったのがイヌイジュン(乾純)だった。 イヌイはガセネタのドラマーになり、1度だけガセネタとしてライヴをおこなう。イヌイが遠藤ミチロウと出会う以前1978年のことだ。そして1979年春、イヌイは同じくぶどう園に住む遠藤ミチロウに声をかけた 。「パンク、好きなん?」 イヌイジュンはドラマーとして、ザ・スターリン以前のコケシドール〜バラシ〜自閉体から遠藤ミチロウと音楽活動を共にしていた。 コケシドール(1979年4月〜6月)〜バラシ(1979年7月〜10月):Vo&G・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、B・辻村信也 自閉体(1979年10月〜1980年2月):Vo・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、G・尾形テルヤ、B・立山ヒロキ 尾形と立山が脱退した1980年初頭、ミラーズ のヒゴ・ヒロシがミチロウとイヌイの写真を撮りたいと連絡があり、吉祥寺マイナーがあったビルの屋上で撮影。この本の巻頭にこの時撮影された7枚の写真が...

THE STALIN『trash』

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2020年7月1日、ポリティカル・レコードからリイシューのアルバム。 1980年6月26日、ザ・スターリン(Vo&B遠藤ミチロウ、G金子あつし、D乾純)が渋谷屋根裏(昼の部)でデビュー・ライヴ。しばらくしてベースに杉山シンタロウが加入、フレキシ「電動こけし/肉」、5曲入りEP「スターリニズム」を自らのポリティカル・レコードよりリリース、ギターが金子あつしからタムに代わったのち、ファースト・アルバムの制作に着手、1981年9月スタジオ(MOD-STUDIO)での録音に加えて、1981年10月31日の市ヶ谷法政大学学館大ホールと11月7日の京都磔磔においてアルバム収録用のライヴ・レコーディングをおこなった。 1981年12月24日、ファースト・アルバム『trash』をポリティカル・レコードよりリリース。A面スタジオ録音、B面ライヴ録音。定価2,000円。ディストリビューションはシティ・ロッカー・レコード。当初プレス枚数限定1,000枚だったが予約殺到により限定2,000枚に変更するも発売1ヶ月で完売となった。売切れ直後には1日100人以上の問合せと、追加プレスを望む抗議と怒りの声があがったものの、追加プレスされずに早々に入手困難、コレクターズ・アイテムとなった…。それから38年後…。 2019年12月31日、THE STALIN【公式】twitterで『trash』がCD(紙ジャケ仕様)、アナログ盤で再発売されると発表。デビュー・ライヴから40年後の2020年6月26日、渋谷WWWXで開催のTHE STALIN 40執念GIG「大破産」の会場にて『trash』が先行販売される…はずだったが、新型コロナ(COVID-19)感染拡大およびその予防により40執念GIG「大破産」の延期を6月12日に発表した。 2020年5月29日、『trash』CD、LP予約開始。 2020年6月4日、遠藤ミチロウのマネージャー伊藤玲育(遠藤ミチロウオフィス)がエンドウ ミチロウTwitterに「THE STALIN『trash』再発によせて」を掲載。 長らく再発されなかった『trash』がミチロウ逝去約8ヶ月後と短期に再発決定したこと、そこにミチロウの意思はあったのかという懐疑的な意見に対して発せられたものと思われる。 2020年7月1日、『trash』再発CD(税込2,750円)、...

遠藤ミチロウ著『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』

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2019年10月筑摩書房(ちくま文庫)より出版 遠藤ミチロウのファースト・エッセイ『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』が文庫となって再刊された。今回が3回目の再刊となる。 これまでの出版経歴は、 1982年にダイナミックセラーズから出版されたオリジナル版 2003年にマガジン・ファイブから出版されたDVD付きの2003リミックス版 2007年に2003リミックス版からDVDを無くして出版された2007リミックス新装版 となっているが、私はダイナミックセラーズ版と2003リミックス版を持っているので、どうしようかなぁーと思っていたが本屋で見かけそのままレジへ…。 今回のちくま文庫版は下記の章から構成されている。 第1章【1980年代初期】「玉ネギ病のあやしい幻覚」 第2章【1980 - 1985】「嫌ダッと言っても愛してやるさ!」 第3章【1983.7.20】「カルチャーの瓦礫の中で」 第4章【2000 - 2003】「TALK ABOUT THE COMICS」 第5章【歌詞と詩と未収録エッセイ】 第1章は、 1982年〜1983年にかけて雑誌に発表したエッセイを集めたもので、2003リミックス版で追加された。なかでも雑誌宝島1982年11月号に掲載されていたエッセイ「死にたくない!」は、“ 北へ帰る「演歌」の時代は終わった。しかしそろそろ、北からやって来る「スターリン」の時代は「北方領土」より夢がないのだよ”という名フレーズを含む、東北・福島という出自を自虐的、差別的、肯定的に扱ったもので、ミチロウの東北への愛憎が感じられる必読のエッセイ。 第2章は、オリジナル・ダイナミックスセラーズ版に収録されていたエッセイ集。ZOO、DOLL、ロッキンオンといった音楽雑誌に掲載されたエッセイのためか、ピストルズーPIL、ストーンズ、ジャックス、宮沢正一、自主レーベル、ROCK SONGについて等の音楽的な主題を扱ったものが多い。雑誌ZOO1980年2月号に掲載されていたエッセイ「DISCOMMUNICATION FOR FUTURE!」には “ マスコミの発達・情報の過剰によって何かを表現しようとしたとたん、いやがうえでもたくさんの人々と強制的にコミュニケートさせられてしまう” となにやら表現ということについて、2019年の現代にもぴったり当てはまるような記述があるし、さらに ...

追悼・遠藤ミチロウ COMMENT ALLEZ-VOUS?「天国の扉」

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1996年3月15日、CITTA RECORDINGSからリリースのアルバム『愛と死を見つめて』より。 遠藤ミチロウが2019年4月25日に永眠したとミチロウ公式Twitterで明らかにされた。 日本のオルタナティヴ・ミュージックのリスナー、プレイヤーにとどまらず、アート、文芸など広く影響をあたえた…いや、遠藤ミチロウの作り出す音楽を聴き、パフォーマンスを体験して、ある者は遠藤ミチロウを溺愛し、ある者は嫌悪した、と言った方がいいのかもしれない。 エロもグロもサルも豚もアナーキストもロマンチストもインテリゲンチャーも天プラもニワトリも金メダリストもお母さんも父も、あらゆるコトバという生ゴミと臓物をバラ撒いてきたミチロウが亡くなったと発表されたのは2019年4月30日、翌日の改元祝賀に湧き返る日本への強烈なカウンターパンチだった。 それは偶然だったのだろうか…。共同幻想をブチ壊す事を至上命題としていたミチロウにとって改元一色のこの日に己の死を世に差し出すことは何よりミチロウらしかった、というのはあまりに礼を失するだろうか。 初期のTHE STALINについては以前書いたけどアルバム『STOP JAP』の後、私にとってエポックだったのは、1984年4月にリリースされ当時フォーマットも話題を集めたカセットブックの『ベトナム伝説』だった。「仰げば尊し」のパンクカヴァーや邦楽/洋楽カヴァー(ミチロウが日本語詞をつけた曲もあり)に加え3曲のオリジナル・ソングが収録されていたが、強烈な印象を残したのがオリジナル・ソングでミチロウ曰く “ボブ・ディランに捧げた” という「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」だった。 “日本語ラップを実験してみたんだけど、ディスコ・ビートにどうも合わない。だから演奏も全然ファンクしないようにして、思い切って、ぶっきらぼうな福島弁を使った” とミチロウは語っている。歌詞に出てくる “パンツのはけない留置場は〜” の部分はミチロウが逮捕され留置場にいた時のエピソードを元にしているという。パンク/ヘヴィな演奏にディランの「Subterranean Homesick Blues」並みにコトバを詰め込んだミチロウの語りをのせたハードな曲。 演奏と語りというのはTHE STALINの「アーチスト」や「先天性労働者」からの流れとも言えるが、政治...

THE STALIN『STALINISM NAKED』

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2019年4月20日、いぬん堂からリリースのアルバム。 1987年1月にIndependent Recordsよりアナログ盤でリリースされた編集盤『STALINISM』。 THE STALINが初期〜解散する直前までにインディからリリースしたソノシート、シングル、オムニバス参加の音源を集めたものだった。 アナログ盤『STALINISM』の内容は、 SIDE A 1. 電動こけし 2. 肉 3. バキューム 4. 解剖室 5. Chicken Farm Chicken SIDE B 1. 豚に真珠 2. サル 3. コルホーズの玉ネギ畑  4. 猟奇ハンター 5. アーチスト A-1.2は、THE STALIN最初の音源で1980年5月ポリティカル・レコードからリリースのソノシート「電動こけし/肉」収録曲、 A-3.4は、1984年11月BQレコードからリリースのアルバム『Fish Inn』の通販特典ソノシート「バキューム/解剖室」収録の2曲、 A-5は、アメリカの雑誌『MAXIMUM ROCK N ROLL』が1984年5月にリリースしたオムニバス『Welcome To 1984』参加曲、 B-1〜5は、1981年4月ポリティカル・レコードからリリースのEP『スターリニズム』収録5曲全曲。 しかし音源は加工されており、「電動こけし/肉」とEP『スターリニズム』収録曲はエフェクト/イコライジングされた音像のものが収録されていた。個人的な想像でしかないが、オリジナルの簡素な録音を多少1987年当時の現代的な音に加工/補正した、ということだったのではないか(ミチロウやバンドがどこまで関与したのか定かではないが…)。 「コルホーズの玉ネギ畑」に顕著だが、オリジナルはよく言えばシンプルでタイト、悪く言えばやや貧弱な音質だったのだが、編集盤『STALINISM』ではエコー感の非常に強い音像になっている。残響が強調され、高音が耳につく。 『STALINISM』は1990年3月にMajor RecordからCD化。2005年にはSS Recordings/スカイステーションから「電動こけし/肉」とEP『スターリニズム』がアナログ盤とCDで再発、24bitデジタル・リマスタリングされたということだが、ソースとしては編集盤『STALINISM』と同じと思われる。2007年にリリ...

私の放浪音楽史 Vol.75 THE STALIN『STOP JAP』

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1982年7月1日 クライマックス/徳間音工よりリリースのアルバム。 ザ・スターリンのメジャーデビュー・アルバム。 インディでのEP『スターリニズム』やアルバム『トラッシュ』は借りて聴いた気がするが、当時スターリンは放尿、臓物投げなどの過激パフォーマンスの話題が先行しており、それほど身を入れて聴いてなかったなぁ…。この時期じゃがたらも流血などの過激パフォーマンスが話題になっていて、私が両バンドともこのあたりの音源に興味を持つのはずっと後になってからだ。 イギリスやアメリカの初期パンク、東京ロッカーズ、九州勢のルースターズ等と聴いてきて、 この頃にはイギリス・ニューウェイヴへ興味が急速に傾きだした頃。ピストルズ・スタイルのパンク・サウンドのザ・スターリンは逆戻り感があったことは確かなのだが(なにしろピストルズ実質解散から4年以上たってるからね)、黒地に日の丸、黄色い矢印付Sのジャケットも鮮烈な印象を残す『ストップ・ジャップ』はよく聴いた。 オープニングナンバーはアルバムと同日にシングルとしてもリリースされた「ロマンチスト」。インディの『トラッシュ』に収録されていた「主義者(イスト)」の再録で歌詞が追加されている。「STOP JAP」、「極楽トンボ」、「下水道のペテン師」は次作へ通じるハードなパンク・ナンバー。EP『スターリニズム』から「コルホーズの玉ネギ畑」の再録「玉ネギ畑」、別ミックスがシングル「アレルギー」として翌月リリースされた「アレルギーα」、性急な演奏と激しい言葉を叫ぶミチロウのラヴ・ソング「欲情」、もろピストルズな「MONEY」までアナログではA面に9曲が収録されている。 個人的にはB面のマイナーコードを使ったややウェットな印象の「STOP GIRL」~一転してドライな「爆裂(バースト)ヘッド」~ ギター・カッティングがカッコいい「MISER」の流れが好きだった、というか今も好き。ハード・コアな「負け犬」、抑えたヴォーカルの「アレルギーβ」、インディの『トラッシュ』ではライヴ・ヴァージョンが収録されていた「メシ喰わせろ!」はタイトルを「ワルシャワの幻想」として再録してアルバムは終了。 メジャーデビュー後、ミチロウは “サウンドのオリジナリティはどうでもいい”というような事を言っていたが、ドアーズ、イギー・ポップ、パティスミス・グループ、コントーションズ、ピ...

TYPHUS「ノータッチ」

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2016年6月22日発表のアルバム『Typhus』より。 日本のハードコア・パンク黎明期に活動していたチフス(1980年秋結成~1981年7月解散)の “ほぼコンプリート音源集” CDがリリースされた。 ソノシート、カセットリリースの音源からセレクトされているが、チフスがポリティカルから1981年1月にリリースしたソノシートは今では非常に高額で売買されているから、こうして手軽に聴けるようになったのはありがたい。帯なし、歌詞記載も解説書も無し、厚紙ジャケット1枚封入のみでクレジット記載は裏ジャケのみ、という簡素な作りではあるが…。 全13曲26テイク収録。 やはりソノシートの4曲は強烈な印象を残すが、その他の音源、スタジオリハーサルやライヴ音源を聴くのは私は初めてなので興味深い。 14曲目に収録されている1980年10月28日のスタジオライヴ・テイクの「ノータッチ」は、ロミという女性メンバーがヴォーカルをとっているのも新鮮で、あのハードなチフスの演奏と“傷んだハートにノータッチ”と歌うやや脱力気味の女性ヴォーカルが妙にマッチしていてよい。この曲イギリスのスリッツの曲をもとにしているらしい。まぁどの曲も歌詞はユニークで極めて辛辣。 チフスはVoのイズミはあぶらだこへ、ギターのタムはザ・スターリンへ、ベースのシンはガーゼへ、ドラムのタクはスティグマへ、 とその活躍の場を移していく。

日本脳炎「流線型」

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これは並べておきたい動画。 日本脳炎でもっともポップな楽曲「流線形」にのせて、石井聰亙監督『狂い咲きサンダーロード』のシーンをメインに、『Hard Hit Virus』や『Dead Heat Disco』に収録されている日本脳炎の演奏シーンやプロモ・ビデオも使用、さらに柳町光男監督・1976年公開のドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』からのシーンも織り交ぜながら作られている。 『狂い咲きサンダーロード』のヴィヴィッドでスピーディなシーンと、ビルディングに切り取られた“流線形”の夜空の下を駆け抜けるモノクロの映像がマッチしている。

日本脳炎「BACILLUS BRAIN」

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よくできた『爆裂都市』のダイジェストともいえる。“We Want Battle!”から1984の「ソルジャー」をイントロに日本脳炎の「Bacillus Brain」にのせて。 “20000Vでぶち込め!” ラストの黒沼&ブルーのシーンで流れるのはThe Bacillus Brains「Temptation Feelin'」。

私の放浪音楽史 Vol.28 INU『メシ喰うな!』

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1981年3月ジャパン・レコードよりリリース。 PILのファーストとピストルズ『勝手にしやがれ』のイエローを意識しつつ余白を生かしたデザインに、町田町蔵の“飢えた”眼差しのモノクロ写真を使用したジャケットが鮮烈だ。鮎川誠『クール・ソロ』やサザン・オールスターズの猫ジャケ『タイニィ・バブルス』等を手掛けた、フォトグラフ・半沢克夫とデザイン・原耕一のコンビによるもの。 音楽評論家として活動していた鳥井ガク(賀句)は、1979年秋のウルトラビデとのセッションをした町田のステージや、1980年3月5日の新宿ロフトに出演したINUのステージ(“東京サイキッカーパラダイス”他に絶対零度、パラデントフェイスが出演)を見て強烈な印象を受け、3月のライブ終了後に町蔵と会話を交わすようになり交流も始まる。この時の上京ライブには2月に発売されたばかりの自主制作オムニバス『ドッキリ・レコード』(INU、ウルトラ・ビデ、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブ収録)を携えたものだったが、鳥井はこのオムニバスに収録されたINUの楽曲を繰り返し聴く毎日をおくり、次第にINUのアルバムを世に出したいと願うようになる。彼はレコーディングに向け奔走、最終的に1980年に発足したばかりのジャパン・レコードを選択、バンドにとってもレコーディング環境・条件をより良いものに出来るよう準備し録音に臨んだ。 レコーディング時間はトラックダウンまで含め130時間を用意、機材費等として100万円を前払い、エンジニアの鈴木隆一にはINUの楽曲テープはもちろん、音作りの参考にダブやアンディ・パートリッジ、ポップ・グループなどのレコードを前もって渡しておいたという。かくして鳥井ガクのプロデュースのもと、池袋のサンライズ・スタジオにて1980年10月17日にレコーディング開始、11月22日にトラックダウン終了という期間で制作され、1981年3月1日にリリースされた。 デビュー・アルバム録音時のメンバーは町蔵の他、ギター北田昌宏、ベース西川成子、ドラム東浦真一というフォーピース。INUは1978年末には結成されているが町蔵の他はメンバーチェンジが度々あり、この4人が最終メンバーだ。ギターの北田はアンミュージックスクール・ギター科で学費免除の特待生、変身キリンのオリジナルメンバーでもあった。この北田のずば抜けた演奏力・...