My Wandering MUSIC History Vol.28 INU『メシ喰うな!』
PILのファーストとピストルズ『勝手にしやがれ』のイエローを意識しつつ余白を生かしたデザインに、町田町蔵の“飢えた”眼差しのモノクロ写真を使用したジャケットが鮮烈だ。鮎川誠『クール・ソロ』やサザン・オールスターズの猫ジャケ『タイニィ・バブルス』等を手掛けた、フォトグラフ・半沢克夫とデザイン・原耕一のコンビによるもの。
音楽評論家として活動していた鳥井ガク(賀句)は、1979年秋のウルトラビデとのセッションをした町田のステージや、1980年3月5日の新宿ロフトに出演したINUのステージ(“東京サイキッカーパラダイス”他に絶対零度、パラデントフェイスが出演)を見て強烈な印象を受け、3月のライブ終了後に町蔵と会話を交わすようになり交流も始まる。この時の上京ライブには2月に発売されたばかりの自主制作オムニバス『ドッキリ・レコード』(INU、ウルトラ・ビデ、変身キリン、アルコール42%、チャイニーズ・クラブ収録)を携えたものだったが、鳥井はこのオムニバスに収録されたINUの楽曲を繰り返し聴く毎日をおくり、次第にINUのアルバムを世に出したいと願うようになる。彼はレコーディングに向け奔走、最終的に1980年に発足したばかりのジャパン・レコードを選択、バンドにとってもレコーディング環境・条件をより良いものに出来るよう準備し録音に臨んだ。
レコーディング時間はトラックダウンまで含め130時間を用意、機材費等として100万円を前払い、エンジニアの鈴木隆一にはINUの楽曲テープはもちろん、音作りの参考にダブやアンディ・パートリッジ、ポップ・グループなどのレコードを前もって渡しておいたという。かくして鳥井ガクのプロデュースのもと、池袋のサンライズ・スタジオにて1980年10月17日にレコーディング開始、11月22日にトラックダウン終了という期間で制作され、1981年3月1日にリリースされた。
デビュー・アルバム録音時のメンバーは町蔵の他、ギター北田昌宏、ベース西川成子、ドラム東浦真一というフォーピース。INUは1978年末には結成されているが町蔵の他はメンバーチェンジが度々あり、この4人が最終メンバーだ。ギターの北田はアンミュージックスクール・ギター科で学費免除の特待生、変身キリンのオリジナルメンバーでもあった。この北田のずば抜けた演奏力・表現力、 収録曲の「つるつるの壺」、「ライト・サイダーB(スカッと地獄)」、「インロウタキン」、「305」、「気い狂て」での作曲能力の素晴らしさ、彼のこのアルバムへの貢献度は高い。コード一発なバッキングは無く、どれもよく練られたギターフレーズ、ノイジーありブリリアントあり様々な音色が聴ける。
ベースの西川成子も収録曲では「フェイド・アウト」、「おっさんとおばはん」の2曲を作曲。どちらもポップな曲調をもつ。もともとブランク・ジェネレーションというバンドでキーボードを担当していた西川は、ベース初心者でINUに参加したという。ブランク・ジェネレーションは東京ロッカーズが初の関西ツアーを行った1978年10月6日には京都磔磔でフリクションとリザードと、10月10日のツアー最終日には京大西部講堂で東京ロッカーズの5バンド、地元関西のSSやジェイルハウス等と共演している。
町田町蔵は全曲の作詞、そして「ダムダム弾」、「夢の中へ」、「メシ喰うな!」、「メリーゴーラウンド」を作曲している。北田と西川の作品とは異なりどれもフリーキーな、メロディとは言えぬ、初期INUの混沌とした楽曲を引き継いだ作品ばかりだ。
“日本の歴史は犯罪
血まみれの豚が今でも肥りくさって
腹立つ
血まみれの豚をいただくのはしかし
おまえ
日本の歴史は血ぬられた犯罪
俺はそれを高校で習うた”
「ダムダム弾」より
この曲を聴いたというか、歌詞を読んだときは衝撃だったなぁ。クラッシュなんかの外国のパンク・グループやニューウェイヴのバンドが、自国(例えばイギリスの)歴史や現状の政治に言及したり、その時起きている紛争に自国が直接/間接的に関わっているか、例えば紛争地域で使われている兵器はイギリス製じゃないのか? みたいな意識の持ち方があったと思うけど、それに近いものを感じた。
“おまえはライト・サイダー
びんづめの解決
映画の中の愛しの大君
コカ・コーラを叩き割った”
「ライト・サイダーB(スカッと地獄)」より
Light CiderというよりRightsider(こういう言い方は無いようだけど)、Rightsider Boy・右翼少年の意味合いだろうか。
「インロウタキン」は大阪の金物・家庭用品メーカーの商標 “金太郎印” を逆さ読みしたタイトル。ここでは日用品から“生活”を暗喩する言葉として使っているのだろうか。取り上げていたらきりないけど、
“沢山の人間が居て
俺はその中の一人
定まらぬ視線の中で
みんなお互い窒息寸前
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ”
「気い狂て」より
町蔵のコアな部分はこの曲に集約されていると思う。
歌詞に関しては、浪花ことば混じりのユーモラスでありながら攻撃的でもあり、当時でも今でもこの表現力は抜きんでていると感じる。この頃町田は17~18歳、後の発展が頷けるものだ。 卓越した表現は遠藤ミチロウにも影響を与え、ザ・スターリンでの「メシ喰わせろ!」の演奏へと向かわせることになる。
先にも書いたけど北田の演奏力はフリーキーな曲でも鋭く、その表現力はノイジーだけど聴くに値する優れたもの。「メシ喰うな!」での破壊力も抜群だ。東浦真一のドラムも変幻自在で、ポップな曲でのハネたリズムや突っ込み気味のパンクナンバー、渦巻くサイケデリックなナンバー、どれも緩急つけていたり、 ビート/リズムは工夫されている。1曲目「フェイド・アウト」での破裂したスネアの音作りも特筆もの。西川のベース・プレイも初心者だったとは思えない程の上達ぶりとセンスでクールな演奏だ。
ただこの絶妙なバランスのバンドが長く続くことはなく、『メシ喰うな!』リリース後、数ヶ月してINUは解散してしまう。町田と北田の関係に亀裂が生じたのと、INUとしての音楽的な行き詰まりが一因とも言われている。
小野島大監修『NU SENSATIONS』の町田町蔵(康)の記事を執筆したECDが、 “町田の登場は絶対的なものだった。「あのバンドよりはこのバンドがいいよ」みたいな相対的な評価の対象ではなかった。”と記しているが、これがINU『メシ喰うな!』が今も絶えなく聴き継がれている理由に他ならない。
トータルで優れたアルバムだが個人的に好きな曲は「305」。詩の世界、ウォオオオ…と唸るヴォーカル、緊張感にあふれた演奏ともに素晴らしい。
WEB本の雑誌で町田康へのインタビュー 作家の読者道 第52回 に「ライト・サイダーB(スカッと地獄)」の作詞についてのエピソードが語られている。
また、音楽ナタリーでの吉田豪による遠藤ミチロウのインタビュー 吐き気がするほどロマンチックなパンクレジェンド30年史 でINUについての言及がある。
参考文献:鳥井賀句著『ワイルド・サイドを歩け』、『パンク天国4』"INU"西村明、『レコード・コレクターズ2001年9月号』“Jacket Designs1 In Japan”他