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WILKO JOHNSON『TOKYO SESSION 2013 at REDSHOES』

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2013年8月3日 socketTVよりリリースのDVD。 2013年1月13日に南青山のレッドシューズで行われたウィルコ・ジョンソンを囲んだセッションの模様を収録したDVDで、当日の収益と同じようにDVDも全ての収益金を「BENEFIT FOR NIPPON」を通して福島県の震災被災者に寄付する「チャリティDVD」として販売された。リリース記念としてチャリティーTシャツもDVDとのセットで販売され、その収益金についても同様寄付されるということだ。 ウィルコの親友というベンジャミン・テホヴァルが器用に複数の楽器を操りながら歌う「San Francisco Bay Blues」が1曲めに収録されている。2曲めの「I Can Tell」からウィルコ登場。そこからは怒涛のロックン・ロール・セッション。バンドは鮎川誠、奈良敏博、川嶋一秀、シーナのシナロケ組に数曲で花田、チバ、浅井健一などが参加した。 演壇も客席との区切りもなく、観客の押し寄せる激狭のステージで演奏する姿は、見ているこちらがもっとやりやすい会場はなかったのか、と思うほどだが、レッドシューズはウィルコが指定した場所らしい。会場のスタッフは常に観客を押しとどめているため、もはやほぼ出演者となり映像にもその姿が常に映っている状態だ。 セッションだからぶっつけ本番みたいな、あるのはただロックンロールのルールだけ。 「Sneakin' Suspicion」、「Dr. Dupree」、鮎川が歌う「Roxette」などウィルコの持ち歌でキレた演奏を見せてくれる。観客をかき分け花田登場。「Little Queenie」を歌い、ウィルコのカッティングに花田がソロを決める場面も。ゲストも次々登場し、チバの歌う「Do The Boogie」は違う曲になりカオス状態、「Walking The Dog」、「Route 66」、「King Bee」等のロック・クラシックをゲストと共に爆奏。 再びフィールグッズの「Back In The Night」を聴かせ、「She Does It Right」をバッチリ決め、一旦退場。アンコールは「Bye Bye Johnny」。途中でスローダウンして“俺は俺のギターを弾く”と、ギターを掻き鳴らし、 “遠くの列車の音を聞け”と日本のミュージシャンと観客達にロックンロールとブルースのスピリットを

追悼・山口冨士夫「ひとつ」

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山口冨士夫。私が音楽にのめり込んでいった1980年代の初め、既に伝説のギタリストだった。リリース数が少ないこともあるが、どうにか耳に出来るのは『ライブ村八分』だけ。だけど山口冨士夫は80年代徐々に伝説から現実の音楽シーンへと姿を現していく。 1983年テレグラフ・レコードからEP「RIDE ON!」がリリースされ、この頃にはタンブリングス等でライブ活動も再開。1984年には『ライブ村八分』がVIVIDから再発、1986年には長らく入手困難だったソロ・アルバム『ひまつぶし』がやはりVIVIDから再発。この年シーナ&ザ・ロケッツへのレコーディングとライブ参加も話題となった。 1974年にエレックからリリースされたオリジナル『ひまつぶし』のジャケットは、その頃付き合っていた彼女が当時の山口冨士夫を描いたと言う可愛らしいとも言えるイラストだったが、 1986年の再発に際しては、そのイラストを冨士夫の希望で使用せず、サイケデリックな、風景というか、心象風景というか、イメージを全面に描いたもの(龍や河童が塗り込められている)に変更されている。個人的には初めて手にしたこちらのジャケットの方が馴染み深いかも。 ダイナマイツのローディをしていた高沢光夫が多くの作詞を手掛け、高沢の友人の高橋清がドラムを担当。1986年に聴いたときには、既にロック・クラシックという感もありつつ、ポップな面もあり聴きやすいが、勿論毒気も充分感じられ、手応えのある曲の揃ったこのアルバムは、カセットテープに録音して随分愛聴したものだ。   『東京ニューウェイヴ'79』で自殺がカヴァーしていた「ひとつ」のオリジナルを聴けたのがうれしかったなぁ。花田裕之の1995年カヴァー・アルバム『レンタソング』に、2曲も冨士夫のカヴァー(『ひまつぶし』から「ひとつ」と「おさらば」)を収録していたのも当時は意外だった。2000年代のヤサグレ・バンド、日本脳炎も2004年のアルバム『狂い咲きサタデーナイト』でこのアルバムから「からかわないで」をカヴァーしていた。冨士夫のロックンロールはいつの時代にも継承されていた。 山口冨士夫が亡くなった。8月14日のことだ。そのひと月前に暴行を受け意識不明となり、いったんは意識が回復したということだが、14日9時30分に死去。警察が司法解剖を行った結果の死因は肺炎という。8月15日に新

OMNIBUS a Go Go Vol.100『GUITAR POP JAMBOREE STEPPING (MORE)~レア・トラックス Warner Music Editon』

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“ギター・ポップ・ジャンボリー”シリーズは1999年~2000年にかけてソニー、ワーナー、BMG、東芝EMIの各社からリリースされたコンピレーション。もとはミュージック・マガジン社の増刊“CD BEST 100”シリーズ『ギター・ポップ・ジャンボリー』として刊行されたディスク・ガイド本を発展させた企画、といえるもので、各社あわせて計6枚のCDがリリースされた。1999年7月にリリースされた『Guitar Pop Jamboree Stepping (more)』は副題に『~レア・トラックス Warner Music Editon』とあるように、ワーナーが所有するレア音源を集めたものだ。 このコンピを購入したきっかけはただ一つ、ストロベリー・スウィッチブレイドによるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァー「Sunday Morning」が収められていることだ。ジルとローズの女性二人組ストロベリー・スウィッチブレイドはエコー&ザ・バニーメンのギタリスト、ウィル・サージェントの個人レーベル、92ハッピー・カスタマーズから1983年デビューシングルをリリースした後、1984年にワーナー傘下のコロヴァからシングル「Since Yesterday c/w By The Sea」をリリースし全英5位のヒット、人気は日本へも波及して日本のみのミニ・アルバムやシングルもリリース、1986年には来日もしている。 そのヒット・シングル「Since Yesterday」の12インチのみカップリングに追加収録されていたのが「Sunday Morning」だった。まぁ12インチも友人に譲ってもらって持ってるんだけど…。 ヴェルヴェッツのファースト・アルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』の1曲目に収められている「Sunday Morning」は、ジョン・ケイルのチェレスタのキラキラとした音色と、次第に霧がたちこめるように表れるさまざまな楽器、エコーが深くなってゆくルー・リードのヴォーカルが幻想的な曲。 ストロベリー・スウィッチブレイドのヴァージョンは、ギターとオルガンの演奏に、ジルとローズのヴォーカルとハーモニーのみのシンプルなものだが、土曜の夜を眠らずに迎えた日曜の朝の気分を歌ったというヴェルヴェッツのフィーリングを損なうことなく表現している。ストロベリー・スウィッチブレイド

OMNIBUS a Go Go Vol.99『NORTH OF NO SOUTH COMPILATION ONE』

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日本でスウェディッシュ・ポップ・ブームが起こる少し前、1992年にスウェーデンのジャカランダ・レコードからリリースされたコンピレーションCD『ノース・オブ・ノー・サウス・コンピレーション・ワン』。 タイトルはチャールズ・ブコウスキーの短編集『South of No North』をもじったものらしいが、いい音楽を南のストックホルムからではなく北のウメオ(Umea)から、という意味合いでつけられたのだという。その名の通り、多くの曲がウメオのトーンテクニックというレコーディング・スタジオで録られたもの、一部がウメオよりもっと北のルレオのゲイトウェイ・スタジオで録音されたものだ。カタログNo.はNONSCD-01で、ノース・オブ・ノー・サウス(NONS)の第一弾リリースとされている。 このコンピには日本でカーディガンズと人気を2分したバンド、クラウドベリー・ジャムが初期にレコーディングした楽曲が2曲収録されている。「Are You Happy?」はこれがあのジェニー嬢か?と思ってしまう、やけっぱち&やさぐれた感のあるボーカルが聴けるストレートでパンキーなナンバー。もう1曲の「Love Song」はアコースティックながらニューウェイヴィーな曲調。クラウドベリー・ジャムといえばジャズ・テイストのコード感があるギター・ポップ・バンドだったが、この頃というかこの2曲はポップというより、ややダークな面が強調されている感じの曲。クラウドベリー・ジャムは1992年この2曲を含むCDシングルをリリース(もう少しポップな曲もあった)、1994年トーレ・ヨハンソン・プロデュースのミニアルバム『アート・オブ・ビーイング・クール』で変貌と遂げる。 ジャカランダからシングルをリリースしていたハネムーンズは「You Never Say」と「Tell Me Why」の2曲。どちらもギターの響きを大切にしたポップ・ナンバー。オルガンの使い方も良い。武骨なギター・バンドといった感じのサテライト・サーカスは「Carmine Sky」と「Gallery of Ghosts」の2曲。後のNONSを代表するバンドのひとつとなるコメダは「Magnifying Glass」と「Mellow Song」でどちらもストレンジな魅力がある。 このコンピを購入したのはシーシェルズの初期録音が2曲収録されていたからだった。シーシ

OMNIBUS a Go Go Vol.98『THE COOLEST FROM THE COLDEST Super Swedish Compilation』

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1990年代中頃は先に紹介したソープ・レコードのコンピも含め、色々なスウェディッシュ・ポップのコンピレーション・アルバムが日本でリリースされていた。 例えばウェスト・サイド・ファブリケーションのアーティストを集めた『コーヒー・カップとアップル・ソース』(1995年)、日本の江戸屋レコードのレーベルとしてリリースされた『スウェディッシュ・スウィーツ』(1995年)、同じく江戸屋の『ウィンター・ギフト』(1995年)、トーレ・ヨハンソン・プロデュースでタンバリン・スタジオ録音を集めた『タンバリン・スタジオスVol.1』(1995年)、同様の趣向ながら日本のボニー・ピンクやカジヒデキ、イギリスのセイント・エティエンヌも参加している『タンバリン・スタジオスVol.2』(1997年)、ノース・オブ・ノーサウスのアーティストをカジヒデキがセレクトした『ブースカ』(1997年)などなど。有名無名、ベテラン組から新人まで組み合わせて多数リリースされていた。 この『ザ・クーレスト・フロム・ザ・コールデスト』は日本のポリドールが独自企画したコンピレーションで1996年3月にリリースされた。まぁ改めて紹介するコンピでもないのだが、カーディガンズの「カーニヴァル」が入っているということで。 日本でのスウェディッシュ・ポップ・ブームの火付けとなり大ヒットした「カーニヴァル」。1995年当時FMラジオでは超ヘヴィー・ローテーションだった。当時の日本のロック・クリティックからは無視されていたような気がするが、スウェディッシュ・ポップの扉を大きく開いた超名曲。今聴いてもまるで色褪せていないエヴァーグリーンな曲だ。 もちろんメロディやキュートなニーナの歌声も好きだし、アコースティックなフィーリングを感じさせつつ、ギターやオルガン、ハンドクラップのグルーヴィなアレンジも好きなのだが、 虜になったのはドラムだった。軽やかで手数が多いけれどメロディの邪魔にならないドラミング。躍動感があるけど非常にクールなドラムのフレーズが記憶に残る、忘れ難い楽曲だ。もっともこの軽妙さと楽曲を覆う洒落たムードは多分にトーレ・ヨハンソンのプロデュース・ワークによるものだろう。ドラムのベングトのプレイも含め、ライブではもっとワイルドなパフォーマンスだった。 このコンピレーションの1曲目に収録されているのは、イントロに17秒程の