追悼・山口冨士夫「ひとつ」
山口冨士夫。私が音楽にのめり込んでいった1980年代の初め、既に伝説のギタリストだった。リリース数が少ないこともあるが、どうにか耳に出来るのは『ライブ村八分』だけ。だけど山口冨士夫は80年代徐々に伝説から現実の音楽シーンへと姿を現していく。
1983年テレグラフ・レコードからEP「RIDE ON!」がリリースされ、この頃にはタンブリングス等でライブ活動も再開。1984年には『ライブ村八分』がVIVIDから再発、1986年には長らく入手困難だったソロ・アルバム『ひまつぶし』がやはりVIVIDから再発。この年シーナ&ザ・ロケッツへのレコーディングとライブ参加も話題となった。
1974年にエレックからリリースされたオリジナル『ひまつぶし』のジャケットは、その頃付き合っていた彼女が当時の山口冨士夫を描いたと言う可愛らしいとも言えるイラストだったが、 1986年の再発に際しては、そのイラストを冨士夫の希望で使用せず、サイケデリックな、風景というか、心象風景というか、イメージを全面に描いたもの(龍や河童が塗り込められている)に変更されている。個人的には初めて手にしたこちらのジャケットの方が馴染み深いかも。
ダイナマイツのローディをしていた高沢光夫が多くの作詞を手掛け、高沢の友人の高橋清がドラムを担当。1986年に聴いたときには、既にロック・クラシックという感もありつつ、ポップな面もあり聴きやすいが、勿論毒気も充分感じられ、手応えのある曲の揃ったこのアルバムは、カセットテープに録音して随分愛聴したものだ。
『東京ニューウェイヴ'79』で自殺がカヴァーしていた「ひとつ」のオリジナルを聴けたのがうれしかったなぁ。花田裕之の1995年カヴァー・アルバム『レンタソング』に、2曲も冨士夫のカヴァー(『ひまつぶし』から「ひとつ」と「おさらば」)を収録していたのも当時は意外だった。2000年代のヤサグレ・バンド、日本脳炎も2004年のアルバム『狂い咲きサタデーナイト』でこのアルバムから「からかわないで」をカヴァーしていた。冨士夫のロックンロールはいつの時代にも継承されていた。
山口冨士夫が亡くなった。8月14日のことだ。そのひと月前に暴行を受け意識不明となり、いったんは意識が回復したということだが、14日9時30分に死去。警察が司法解剖を行った結果の死因は肺炎という。8月15日に新聞で訃報を知らせる記事を読んで釈然としなかったのだが、数日を経た今となっても本当に憤りを感じる。本当に無念と思う。享年64歳。
2008年に再刊された『SO WHAT』を取り出して、チャー坊や清志郎、ジョニー・サンダースと一緒に写っている写真を見ていると、急逝が悔しいけれど、これから冨士夫が辿り着く地で待っている仲間達との再会を思わずにはいられない。
誰にも云いたくない事がある
誰にもわからない事がある
だけど ひとつだけわかる
確かに何かひとつ