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TH eROCKERS「涙のモーターウェイ」

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2016年7月20日、ポニーキャニオンからリイシューのアルバム『SHAKIN'』より。 ザ・ロッカーズの7インチ・シングルリリース3枚目は「涙のモーターウェイ c/w TVエンジェル」で1981年8月にリリースされた。シングル盤ジャケットのメンバー写真は『COME ON』の別カットが使用されているが、レタリングなどデザインはポップな仕上がり。「涙のモーターウェイ」は陣内作詞作曲の、あの娘と深夜の街を突っ走るロマンチックなナンバー。 “くちびるにメロディ ジェラシーはトランクに”ってフレーズが秀逸。キマってる。それにこの曲のメロディ、陣内のヴォーカルにピッタリなんだよな(自作だからあたりまえだけど)。  “憂鬱な明日を 占うよりも  とぼけた奇跡を じっと待つよりも  ロマンスを手に入れた 夜をころがせ  スクラップに なっちまう前に” スクラップ寸前の人間にとっては、やけに染みる曲だぜ。 このシングル・ヴァージョンの「涙のモーターウェイ」が今回リイシューされた『SHAKIN'』のボーナストラックとして収録された。今回のリイシュー、最初のアナウンスでは『SHAKIN'』にボーナストラックは無いような記載だったので、購入を見合わせようかなぁと思っていたのだが、どうせ買うんなら3枚同時に…と思って、買ってみてびっくり。買ってよかった…。 ロッカーズのサード・アルバム『SHAKIN'』は1981年9月にリリース。「涙のモーターウェイ」はアルバムのラストに収録されたが、アルバム収録ヴァージョンはシングル・ヴァージョンとヴォーカルトラック、演奏トラックは基本的に同一と思われる。 シングルをもとにすると、ギター等の音の付け加え、コーラスの変更、音量バランスや音の定位置変更などによりアルバム・ヴァージョンとしているようだ。アルバム・ヴァージョンはナチュラルなギターの音色をプラスしてギターの弦の響きを活かした印象、コーラスは抑えられ、ややシンプルに聴こえる仕上がり。途中タンバリンの追加も効いている。こちらのほうがエンディングが25秒ほど長い。シングル・ヴァージョンはコーラスが随所に際立っているように思う。 特に3分過ぎ演奏がドラムのみになるところ“Hurry Up~”部分のコーラスは気持ちいい。 1980年3月上京~1980年9月アルバム・デビュー~1

TH eROCKERS「シャープシューズでケリ上げろ!」

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2016年7月20日、ポニーキャニオンからリイシューのアルバム『COME ON』より。 これまでアルバム未収録だった「黒い眼をしてU.S.A.」と「シャープシューズでケリ上げろ!」が今回リイシューされたロッカーズのセカンド・アルバム『COME ON』にボーナストラックとして収録された。 ザ・ロッカーズの7インチ・シングルリリースは3枚。ファーストアルバムのリリース後、1980年11月にリリースされた1枚目のシングルは「黒い眼をしてU.S.A. c/w ショックゲーム」。A面の「黒い眼をしてU.S.A.」は作詞/陣内孝則、作曲/陣内孝則・チャック・ベリーとクレジットがある通り、チャック・ベリーの曲「Sweet Little Sixteen」に日本人の盲目的なアメリカ好きを揶揄した陣内作の日本語詞をのせたロックンロール・ナンバー。スピード感のあるアレンジでイントロやコーラスなどロッカーズ流に工夫されている。 この歌詞の内容でファーストシングル・リリースっていうのは個人的にはどうなんだろうと思うが、まぁロッカーズとしては気合入っていたんだろう。日本語詞の洋楽カヴァーといえばロッカーズのラストアルバム『ハンキー・パンキー』も同趣向(作詞はバンド外に依頼)だったので、今にして思えばなんだか妙な繋がりを感じる。 B面は陣内/谷作の「ショックゲーム」で『WHO TH eROCKERS』に収録されている。 2枚目のシングルは1981年2月リリースの「プライベートタイム c/w シャープシューズでケリ上げろ!」。 A面の「プライベートタイム」はバディ・ホリー的なノリの陣内作。歌詞の内容は「黒い眼をして~」に似たアングリ―なムード。翌月リリースされたセカンド・アルバム『COME ON』に収録されている。 B面の「シャープシューズでケリ上げろ!」は作詞/陣内孝則、作曲/谷信雄でレコードデビュー前からステージでは演奏されていたようだ。うねるベースとキレたギターのカッティングが絡み合う重心の低い演奏と陣内のハイなヴォーカルが魅力的なナンバーで個人的に好きな曲。『爆裂都市・バースト・シティ』サントラ盤に映画の効果音が被りエディットされたヴァージョンが収録されていたが、完全な楽曲として収録されていたのはシングル盤のみだった。 今回めでたく「黒い眼をしてU.S.A.」と「シャープシューズでケリ上げ

TH eROCKERS「可愛いあの娘」

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2016年7月20日、ポニーキャニオンからリイシューのアルバム『WHO TH eROCKERS』より。 「可愛いあの娘」。ザ・ロッカーズの代表曲でありながら一般リリースはVo陣内、G谷、G澄、B橋本、D船越というメンバーで行われた1991年の再結成ライヴの模様を収録したライヴ盤『LIP SERVICE』で聴けるのみ(曲の表記は「可愛いアノ娘」)。 Vo陣内・G谷、G鶴川、B穴井、D船越というロッカーズがレコードをリリース(『WHO TH eROCKERS』~『Hanky Panky』)していた時のメンバーで演奏された「可愛いあの娘」は、1980年7月6日に日比谷野音で行われたライヴを収録したプロモ・オンリーの『REAL ROCK SEE SAW SCNENE VOL.1』というライヴ・アルバムでしか聴くことが出来なかった(というか私は聴いたことが無かったんだけど)。 私がこのプロモ盤の存在を知った時には既に高額で売られていて、とても手に入るようなもんじゃなかった。このライヴはSEE SAWレーベルのショーケース・ライヴだったようで、プロモ盤にはロッカーズの他に子供ばんど、TENSAW、ジョニー・ルイス&チャーのライヴが収められている。ロッカーズは「1999」、「気をつけろ」、「可愛いあの娘」、「キャデラック」の4曲が収録されていたが、今回ロッカーズ結成40周年を記念して再リリースとなったファースト・アルバム『WHO TH eROCKERS』のボーナス・トラックとしてこの4曲が収録された。待望のリリースだ。 「可愛いあの娘」は作詞が山部善次郎&陣内孝則、作曲は坂東嘉秀(田舎者~ドリル~ソロまで山善の相棒ギタリスト)。エディ・コクランというよりはTHE WHO版の「Summertime Blues」を下敷きにしたと思われる曲/アレンジで作られていて、歌詞はとてもシンプル。 “可愛いあの娘を自分のものにしたくてバラの花を一輪持ってくけれど、あの娘はつれない態度”っていう内容。念願の初期ライヴが聴けたわけだが、どーしてスタジオ録音が無いのだろうか。 ファースト・アルバム『WHO TH eROCKERS』のレコーディングは千葉県の成田空港近くにある観福寺本堂での1発録音。なんでも洋楽のアーティストが古城で録音するなら俺達日本人は寺だろ、という発想らしい…。1980年6月7日午

山下毅雄「AFRO"LUPIN'68"INTSTRUMENTAL」

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1999年、VAPからリリースのアルバム『ルパン三世 '71ME TRACKS』より。 TOKYO MXでファースト・TVシリーズ『ルパン三世』が放送されている。 今まで何回も再放送で見てるけど、今見ても新鮮だなぁ。ハードボイルドタッチで峰不二子(声優は二階堂有希子)のセクシーさも際立ち、 “魔術師のバイカル”や“お子様ランチ”や“摩毛狂介”等々、毎回登場するキャラクターも個性的。ストーリーも結構ぶっ飛んで、ハチャメチャなところもあり、無理に辻褄合わせをしないところも面白く見られる。それで音楽もやっぱり良いんだよね。このファーストTVシリーズは山下毅雄のスコアで、このアニメのアダルト感を増すことに貢献していると思う。 そんなファースト・TVシリーズ『ルパン三世』のオープニングを見ながらある時、 あれっ?この背景の写真どっかで見た事あるな、もしかしてLed Zeppelinの…と思ってレコーダーをスロー再生すると、やはり峰不二子の背景にロバート・プラントとジョン・ボーナムの写真が。サイケデリックな雰囲気に合わせたのだろうか…。たぶんYouTubeにあると思うので興味ある方は探してみては…。 オープニングに使われているのはチャーリー・コーセイがヴォーカル、 “ヤッパ・パ・パ”とコーラスが特徴的な「AFRO"LUPIN'68"」(実際は第4話から第15話までオープニングに使われた)。オープニングの音楽や映像は度々変更があったようで、なかなかマニア向け。 ファースト・TVシリーズ『ルパン三世』のサウンドトラックのマスターテープは紛失しており、マスターをもとにした商品化はされていない。なので再録音盤が作られたり、ME(Music & Effects)テープから楽曲を取り出した商品が発売されている。 今回ファースト・TVシリーズ『ルパン三世』の音楽が聴きたくてオリジナルを聴くには現在これしかないって感じて入手したのが『'71 ME TRACKS』。放送に使用していたMEテープから取り出したので、台詞は入っていないものの、音楽は使用された部分だけで収録時間は短く、効果音(足音とか銃声とか車やバイクのエンジン音とか)が被さったままだ。モノラルでの収録。 ブックレットの解説(このCDの企画制作者・高島幹雄)によると“全23話分のME

LED ZEPPELIN「TRAIN KEPT A ROLLIN'」

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1991年、OH BOYからリリースのブートレグ・ライヴ・アルバム『Don't Mess With Texas』より。 たま~に見かけるんだよねブックオフでブートを。で、500円とか安ければ買っちゃうんだけど。 これは1969年にダラスでおこなわれたテキサス・インターナショナル・ポップ・フェスティバルから8月31日に出演したゼップの演奏を収録したCD。ブックオフで見かけて、ブートでは音質がいいものが多いOH BOYレーベルだったので買ってしまった。でもハードロックのブートLPを購入していた数十年前、ゼップは買ったことが無かったと思うので、ゼップのブートは初めて手に入れたことになるかな。 裏ジャケの曲目表では1曲目は「Sweet Baby」と記載されているが、曲は「Train Kept A Rollin'」で、“Please welcome Led Zeppelin!”の紹介のあと、ボーナムのパワフルでトリッキーなドラム。ペイジのギターストロークに続いてお馴染みのリフが演奏される。ハイトーンのプラントのヴォーカルと挿入されるハープ。ジョン・ポール・ジョーンズのベースに支えられながら、 ペイジとボーナムのワイルドなプレイが堪能出来るエキサイティングなライヴ・ヴァージョン。 「Train Kept A Rollin'」は約3分と短い演奏だが、2曲めのブルージーな始まりの「I Can't Quit You Baby」との対比も良い。他に「Dazed And Confused」、マディのカヴァー「You Shook Me」、メドレーの「How Many More Times」、おなじみ「Communication Breakdown」を収録。途中カットされている箇所があったりするが、サウンドボード録音で音質も良く楽しめるライヴだ。

My Wandering MUSIC History Vol.74 ZELDA『ZELDA』

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1982年8月25日 フィリップス/日本フォノグラムよりリリースのアルバム。 1978年9月ボーイズ・ボーイズ結成(メンバーはBチホの他Gエミ、Voクミ、Drカズミ)~1979年3月頃チホ脱退、チホは自身が発行していたミニコミChange2000の創刊号で新バンドのメンバーを募集、ゼルダ結成。この時サヨコはオーディションで落選している。 1980年1月3日新宿ロフトで“80年にスパークするモダンガールズ”と題されたライヴに出演(共演はボーイズ・ボーイズ、水玉消防団、ノンバンド)、Bチホ、Gヨーコ、Drマル、ヴォーカルは後にP.T.A'Sに参加するケイという女性でサヨコは客席から見ていたという。 1980年3月30日新宿ロフトでライヴ。ヴォーカリストが抜け、この日から当時まだ15才だったサヨコが参加(共演はS-Ken、不正療法、スタークラブ)。 1980年4月6日アトリエ・フォンティーヌにてサヨコが参加して2回目のライヴ、このライヴの後サヨコが正式加入。 1980年10月ジャンクコネクションから3曲入りEP「ASH-LAH」、 1981年アスピリン・レコードから3曲入りソノシート「MACKINTOSH-POPOUT」のリリースを経て、1982年8月にリリースされたのがゼルダのメジャー・デビュー・アルバム『ZELDA』。  アルバムと同時にシングル「ミラージュ・ラヴァ― c/w 密林伝説」がリリースされている。 デビュー・アルバムの制作は難航したようで、自分たちでレコードを作ってそれをレコード会社に買ってもらうという原盤システムをとったようだが、ゼルダのメンバーの思い描いた通りには進まなかった。プロデュースは彼女たちがシンパシーを感じていたリザードのモモヨだったが、モモヨ自身はアルバム全曲が彼女たちの作詞・作曲の楽曲では大衆性に欠けるとして、 楽曲を提供するもののゼルダのメンバーは反発、特にヴォーカリストのサヨコは他人の詞を歌う事に強く抵抗したが結局涙ながらに歌入れをしたという。 メイン・ヴォーカルを数曲ほかのメンバーが担当するという案も出されたがサヨコはこれを拒否した。また、彼女たちメンバー以外のミュージシャンをレコーディングに使用(モモヨ作3曲は、じゃがたらのていゆうがドラム、リザードのワカがベースを演奏、モモヨがギターで参加)するなど、モモヨの強引なプロデ