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THE DARLING BUDS『POP SAID...』

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1980年代後半、イギリスのミュージック・シーンで “ブロンド・ムーブメント” というのがあったという…。ザ・プリミティヴスとトランスヴィジョン・ヴァンプのファースト・アルバム・リリースは共に1988年、日本で洋楽を紹介する雑誌(『ロッキンオン』とか)でもこの2バンドはよく記事やピンナップが掲載されていたし、プリミティヴスのトレイシー嬢とトランスヴィジョン・ヴァンプのウェンディ嬢がお互いに罵り合っているという記事を何回か読んだ記憶がある。しかし当時 “ブロンド・ムーブメント” なる呼称を聞いたり読んだりした覚えはなかったと思う。ブロンド・ヘアーの女性ヴォーカリスト+楽器担当の野郎どもという見てくれでカテゴライズしたものらしい。先の2バンドの他にザ・ダーリン・バッズという3バンド目が存在していた。まぁ3バンドでもムーヴメントと言うには無理あると思うけど…。 ザ・ダーリン・バッズはギタリストのハーレー・ファーとヴォーカリストのアンドレア・ルイスが中心になり1986年、ウェールズ・ニューポートで結成。バンド名はシェイクスピアのソネットまたはH・E・ベイツの著作に由来すると思われる。バンドの自主制作シングル、インディのNative Recordsから2枚のシングルをリリースした後、メジャーのエピックと契約、1988年9月にシングル「Burst」、12月にシングル「Hit The Ground」、1989年1月にファースト・アルバム『ポップ・セイド…』をリリースした。 バンド結成時にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドやクランプスのカヴァーも演奏していたということだが、このファースト・アルバムではノイジーな部分は抑えられ、ひたすらポップ!ブライト!メロディアス!&スピーディ!な仕上がり。アルバムのラスト「Things We Do For Love」ではボ・ビートも盛り込んでいる。 THE DARLING BUDS「Burst」 THE DARLING BUDS「Hit The Ground」 ダーリン・バッズのファースト・アルバムは日本盤リリースされなかったんだよな…。日本盤がリリースされたのはセカンド・アルバム『クラウダディ』(日本盤リリースは1991年2月)からで、ファースト同様ポップな曲もありつつ、ヴェルヴェッツ的な感触や当時のマッドチェスター、セカンド・サマー・オブ・

THE PRIMITIVES『LOVELY』

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ザ・プリミティヴスはギタリストのポール・コート、ベーシストのスティーヴ・デュラハン、ドラムのピート・トゥイーディー、ヴォーカルのキーロン・マクダーモットにより1985年、イギリス・コヴェントリーで結成。まもなくヴォーカルがトレイシー・キャッテルに交代、彼女はトレイシー・トレイシーというステージネームを使用した。バンドとマネージャーのウェイン・モリスが設立したLazy Recordsよりシングルをリリース、その後メジャーのRCAと契約し、ドラマーがティグ・ウィリアムスに交代、1988年にリリースしたのがファースト・アルバム『ラヴリー』だった。 ヴェルヴェッツからの影響を感じさせるラフなガレージ感に、ジャングリーなギターポップとパンクのスピードをあわせ持ったサウンド、それにモンローが革ジャンとエレクトリック・ギターを抱えたようなルックスのトレイシー嬢(1967年生まれ)も魅力的だった。ファースト・アルバムからの先行シングルで1988年2月にリリースされたシングル「Crash」は全英シングル・チャート5位のヒットとなり、アルバム『ラヴリー』も全英アルバム・チャート6位をマークした。 THE PRIMITIVES「Crash」 アルバムからのセカンド・シングル「Out of Reach」。トップ・オブ・ザ・ポップスでのパフォーマンス。 THE PRIMITIVES「Out of Reach」 プリミティヴスは、このファーストとセカンドの『ピュア』まで聴いたけど一度売っちゃってるんだよね…右上のジャケ写はチェリーレッドから2020年にリリースされたバンドの軌跡をコンパイルしたCD5枚組『BLOOM! THE FULL STORY 1985-1992』からのもの。 THE PRIMITIVES『Bloom! the full story 1985-1992』 1990年6月に来日し東京、川崎、名古屋、大阪で公演をおこなっている。この時のサポートは大江慎也+ONESだった。 Flyer = THE PRIMITIVES in JAPAN 1990 プリミティヴスはサード・アルバム『ガロア』をリリース後1992年に解散するが、2009年に再結成し活動を続けている。