投稿

5月, 2026の投稿を表示しています

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.6 ばるぼら著・100% Project監修『NYLON 100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 2008年8月、アスペクトより刊行された、渋谷にあったロック喫茶ナイロン100%の歴史を7章に分け、それぞれを証言者が語る。著者・ばるばら、監修は100%プロジェクト。 「PRE-NYLON」   証言者:中村直也、菅野秀夫、ブラボー小松 「NYLON 1978」   地引雄一、坂本みつわ、他 「NYLON 1979」   巻上公一、高木完、Phew、戸川純、他 「NYLON 1980」   サエキけんぞう、平沢進、他 「NYLON 1981」   上野耕路、太田蛍一、ブラボー小松、他 「NYLON 1982-1985」   KERA、大槻ケンヂ、他 「NYLON 1986」   林茂助、椎橋夏奈子、増戸実 中村直也はナイロン100%の店長、この店のオーナーはニャンコ(本名;津野田)という女性で資金はニャンコの両親が出資したという。ニャンコはナイロン100%のはじまりを知る重要な人物だが行方が分からずこの本にインタビューは掲載されていない。 それぞれが自身とナイロン100%との関わりと同時に当時の音楽シーンの状況や、パンク/ニューウェイヴからの影響についても語るようなインタビューになっており非常に興味深く読める。なかでも戸川純のナイロン愛の伝わるインタビューがとても印象に残る内容。ナイロンとは関係ないけどテレビ局で高木完と久保田慎吾をキョンキョンに紹介したエピソードが笑える。Phewのインタビューもナイロン100%を冷静に観察したような内容で、これもナイロンと関係ないけど”東京ロッカーズは嫌だった。五バンドも一緒にやってね。いい大人が(笑)。何年か経ったら、理解はできましたけど”とバッサリ。 地引雄一のナイロンで打ち合わせをしたとかリザードのモモヨもナイロンを気に入ってたとか、マイナーよりナイロンの方が古い時代を吹っ切っていて共感できたとか、といった話も面白かったし、地引雄一が撮影したプラスチックス、巻上公一、Phew、戸川純、81/2などの写真も掲載されている(撮影場所はナイロン100%や新宿ロフト)。地引の写真からはナイロン100%の内装が伺える(白黒だけど)。白いプラスティックの椅子、小さな四角いテーブル、壁に貼られたリーナ・ラヴィッチ、ジャン=ジャック・バーネル『ユーロメン・カメス』のポスターやロキシー...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.5 JOJO広重 美川俊治 JUNKO コサカイフミオ 野間易通 共著・『非常階段・A STORY OF THE KING OF NOISE』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 K&Bパプリッシャーズから2010年に刊行された非常階段のヒストリー本。 メンバーのJOJO広重や美川俊治、ジュンコなどの生い立ち、音楽への傾倒を紹介しながら、JOJO広重の経歴を中心にバンドヒストリーが進められていく。広重は高校時代にベースギターを手に取り初めてのバンドSLOTHを結成、ビデとの出会い、ビデ&ジョジョ〜ウルトラ・ビデ結成、並行して螺旋階段を結成し活動するが広重は楽器をベースからギターに持ち替え1979年11月に非常階段が誕生(ライヴ・デビュー)する。このときは広重と頭士奈生樹のギター2本という編成だった。広重はウルトラ・ビデと螺旋階段から脱退(螺旋階段はイデオット・クロックとなる)するが、2回のライヴで非常階段もデュオ解消となった。 1980年春、広重は美川俊治を誘い、腐食のマリィというバンドを新に結成して活動を開始、1980年6月6日新宿ACBでライヴを行うがこのライヴ告知のバンド名は非常階段になっていた。この時のライヴを広重は気に入っており録音したテープを聴き返してはこれをレコードにできないかと考えていたが、美川を通じてアンバラス・レコードの林直人にレコード制作を持ちかける。演奏が30分程しかなかったため、他バンドとのオムニバスとなり『終末処理場』として1980年12月にリリースされた。 1981年4月19日、非常階段はザ・スターリン他と京都磔磔に出演。非常階段はこの時初めて生魚・納豆・放尿・嘔吐のパフォーマンスをおこない磔磔出入り禁止に。再びザ・スターリンと共演した6月27日の横浜・慶応大学日吉校舎、新宿ロフトでのイベント「FRIGHT 7 DAYS」の6日目(8月28日)、11月27日の同志社大学至誠館において、いずれもワイルド・ウエストなパフォーマンスを繰り広げ、1982年4月には初の単独アルバム『蔵六の奇病』をリリース、4月5日に新宿ロフトでアルバム発売記念ライヴを行うがその凶暴なパフォーマンスにより新宿ロフトを出入り禁止に。 その後もアルバムリリースやライヴ、バンドの歴史が綴られているが、JOJO広重の設立した輸入ビデオ卸会社「井上ビデオ」、インディペンデント・レーベル「アルケミーレコード」、野球カード専門店「ジョーズ・スポーツ・カード」の話も面白い。 この本の中で広重が...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.4 巻上公一著『宇宙の右翼 水中の左翼』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 1982年、PARCO出版より刊行されたヒカシュー・巻上公一の初めての著書(エッセイ)。劇団出身だけに演劇についての話は多い。音楽についての話はむしろ少ないかも。これについては巻上がこの本のあとがきで“意識的に音楽に関する記述を避けたようにも見うけられるが、そんなことはない。無知なのである。無知でも音楽をやれる生き証人なのだ”としている。音楽に関する話題では、ニューヨークで見たロックコンサートの逸話、ダンサーのベアトラン・レゾンの舞台やテキスタイル/ファッション・デザイナーのヨーガン・レールのファッション・ショーや石井聰亙監督の映画『シャッフル』の音楽を担当した経緯などが記されている。 巻上の幼少期〜高校時代〜東京キッドブラザースのロンドン公演、その時に誘われてルミエール&サン(ロンドンのアンダーグラウンド劇団)の舞台参加、ミスタースリムカンパニー〜自身の劇団ユリシーズの活動やその公演の概略などを掲載、また大森一樹監督の映画『風の歌を聴け』に俳優として参加した経緯も。巻末には野田秀樹との対談を掲載。 タイトルは、巻上公一がこの時点で全く新たな価値観の獲得に向けて突き進むイメージを言語化したものと思われる。

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.3 真保みゆき・小嶋さちほ著『乙女のロックだんご』etc...books about ZELDA

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍を紹介。今回はまるまる一冊全てではないが、ゼルダ関連をいくつか。 右の画像で右上は、ミュージック・マガジン社から1985年に刊行された『乙女のロックだんご』。真保みゆきと小嶋さちほの共著。「にっぽん」、「アメリカ」、「ヨーロッパ」の当時のロックシーン・アーティストを二人の対談、インタビュー、評論で取り上げている(「にっぽん」の章ではインタビューは無し)。小嶋さちほはジョニー・サンダースとユーリズミックスのインタビューを掲載。四つ目の章では「二人のロックだんご」として「真保みゆきのロック半世紀」と「小嶋さちほのパンク半世紀」を掲載している。「小嶋さちほのパンク半世紀」は上・下に分かれていて、上が“ゼルダのリーダーになるまで”と題され、幼少期から女子美附属高校時代のエピソード、高校卒業後からのロック漬け生活〜ミニコミ『Change 2000』発刊くらいまで約9ページ。下は“お母さんになっちゃた”と題された出産〜育児について約10ページほど。表紙の二人のイラストは霜田恵美子によるもの(右の上の画像では小嶋さちほの顔が隠れちゃってるけど)。この本はミュージック・マガジンの“コンパクト・ブックス”シリーズの1冊として刊行されているが、巻末の続刊予定に地引雄一著『東京のパンク・ロック』が“10年の総括、写真多数”として紹介されている(後の『ストリート・キングダム』)。 小嶋さちほが作ったミニコミ『Change 2000』は画像だと下部分の2冊で1号と12号。1号(1979年4月30日発行)では、モモヨへのインタビュー、映画『ROCKERS』の製作・監督の津島秀明へのインタビュー、ヒカシューへのインタビュー(AUNT SALLYを絶賛)の他、”NOISE VOX”というニュースやゴシップを中心にしたコーナーでは“ボーイズ・ボーイズからチホが脱退、彼女はニューバンドを作るにあたってメンバーを募集”と後のゼルダとなるバンドメンバー募集記事、モモヨやツネマツなどの飼い猫紹介、それにS-KENも好きだというハーラン・エリスン著『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワSF文庫)の紹介があり、私も購入して読みましたよ。12号はチャンス・オペレーションのヒゴへのインタビュー、アコとフキエにメンバー交代直後のゼルダの近況、ツアーレポート、舞踏・山海塾へのイ...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.2 藤沢映子著『ZELDA物語』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 JICC出版局より1988年に刊行された、ゼルダのヒストリー本『ZELDA物語』。著者は1986年夏のイベント「秋田ロックシティカーニバル'86」で初めてゼルダを観た・聴いた藤沢映子。小嶋さちほより少し年上という著者はライヴハウスで紅蜥蜴のライヴを体験しているが、“ただ怖い変人に見えた”というし、東京ロッカーズの時代、さちほとは、“どこかのライヴ・ハウスで一緒になっていたハズだ”という。東京ロッカーズが決して楽しいものに思えなかった著者だったが、ゼルダに出会ってこのバンドのことをもっと知りたいと思うようになった。それはゼルダ結成者である小嶋さちほを知ることであり、ゼルダが生まれた東京ロッカーズ・シーンを知ることでもある。 基本的に執筆当時のゼルダのメンバーへのインタビューをもとに構成しており、小嶋さちほ、高橋佐代子、石原富紀江、小澤亜子の生い立ちを第一章に、さちほの東京ロッカーズ・シーンとの関わり〜ボーイズ・ボーイズ結成〜脱退、ゼルダ結成〜初期メンバーのヨーコ(鈴木洋子)、マル(野沢久仁子)脱退〜石原と小澤加入までが第二章。ここまでで全体の3分の2の分量。第三章では新メンバーとなっての活動、ファンキーに変遷していった音楽スタイルやカラフルになったファッションなども交えて1988年9月の日比谷野音ライヴあたりまでが描かれている。 S-KENスタジオで初めてベースの音を出したあのシーンも、バンドとして不本意な作業となったファースト・アルバムのレコーディング現場もゼルダ側の言葉として書かれている。 本文の下段にはゼルダに関係・交友のあるアーティスト等のコメントが載っていて、セカンドアルバム『カルナヴァル』をプロデュースした白井良明やそのアルバムに収録された「Are You Lucky? ラッキー少年のうた」を提供した鈴木慶一、バンドでゼルダのコピーをしていたという森高千里らのコメントを掲載。 巻頭や文中には執筆当時のメンバーのライヴやオフショットの写真、巻末には1980年から1988年(9月)までのライヴ・ヒストリー(年表)、メジャーからリリースしたディスコグラフィー(1988年リリースのアルバム『シャウト・シスター・シャウト』まで)を掲載している。