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My Wandering MUSIC History Vol.45 JOY DIVISION『CLOSER』

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1980年7月18日、ファクトリーよりリリースのアルバム。 パンク・サウンドからスタートしたジョイ・ディヴィジョンだが、リリースを重ねるごとにサウンドを変化させていき、イアン・カーティスの遺作となったセカンド・アルバム『クローサー』に至っては、他に比べるもののないジョイ・ディヴィジョン独自のサウンドの完成形を聴くことが出来る。 ジョイ・ディヴィジョンの日本盤がリリースされたのは1984年で、前作『アンノウン・プレジャーズ』と同時発売されているが、私が『クローサー』を聴いたのはたぶん1981年~82年頃だったと思う。 ジョイ・ディヴィジョンのシングルやアルバムを輸入盤で集めていた友人に借りたんじゃないかな。ジャケットはシングル「Love Will Tears~」のところでも書いたがイタリアのジェノヴァにある墓所の写真が使われている。こんな沈鬱な嘆きのジャケットに包まれたダークなサウンドの魅力に取りつかれていったな、この頃は。イアン・カーティスの神経質な少しくぐもった様なヴォーカルが苦手という人もいたけど。歌われているのは、愛と苦悩について人間の内面に深く分け入っていくもので、イアンの死へと向かう過程で制作されたアルバムと思って聴いていると確かに息苦しく感じる事もあるが、その音楽は決して聴き手を拒否するものではない。全英チャート6位を記録。 J.G.バラードの短編からタイトルをとった「Atrocity Exhibition」は“This is the way.Step Inside.”というフレーズが耳に残る。それに工作機械のような、または捻じれたサウンドを作り出すギターが強烈だ。シンセの煌びやかな音色が印象的な「Isolation」、単調な中にもサウンドに意匠を凝らしてある「Passover」、鬼気迫るヴォーカルの「Colony」、ベースラインの印象的な「Means To An End」はジョイ・ディヴィジョン以後の典型的ニューウェイヴ・サウンドの見本と言えるんじゃないか。 イアンの深淵から聴こえてくるようなヴォーカルの「Heart And Soul」はのちのCD4枚組アンソロジーのタイトルにもなった。個人的にはこのアルバムの中で最も好きな「Twenty Four Hours」は緩急のある作り込まれた魅力的なサウンド。ピアノやシンセが使われた「The Eternal」

『日本パンク・ロッカー列伝』

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シンコーミュージック・エンタテイメント発行、2015年3月10日発売。 雑誌『Bollocks』の連載インタビュー「The Story of Legends」をまとめた本が発売された。 雑誌掲載分(No.007~017)から仲野茂、大江慎也、遠藤ミチロウ、パンタ、難波章浩、ヒカゲ、柴山俊之、NAOKI、BAKI、KATSUTA、中川 敬のインタビューを再録、取り下ろし取材でチャーミー、平野悠、南部裕一を追加して14人のインタビューが掲載されている。新旧の写真ページ、簡単な年表とアーティストの場合はディスコグラフィを含め各人12ページから20ページのボリューム。 最年長はロフトプロジェクトの平野悠・71歳、一番若くてハイスタの難波章浩・44歳。60代が3人、あとは40代後半~50代ってとこか。生い立ちから各グループでの活動内容、現在の活動までを手短にまとめてある。あの時はどうだったとか、あの頃バンドメンバーの関係はどうだったとか、伝説の裏付けをとる、みたいな感じもあるなぁ。 他の雑誌とかで読んだ内容もあるけど、まぁ人に歴史あり、でそれぞれ読めば面白い。 パンタのインタビューで言ってた氷川丸の証言をまとめて本にしたいっていうのは実現してほしいな。映画『狂い咲きサンダーロード』を見て真面目に音楽を聴くようになったという元・鉄アレイのKATSUTAは年表になぜか逮捕歴も記載。 いちばん興味深かったのは、柴山俊之のインタビュー。 1982年末新宿ロフトでのゲスト出演時のエピソード、1983年野音でのサンハウス再結成。その頃からサンハウスのパブリックイメージを演じ続けていた苦悩、などが語られている。最後の方で“この時代に生きていると、音楽なんて誰も欲してないんだ”って言葉、何年前かに他で聞いたフレーズだが、自分のやりたいことでそこを乗り越える、と音楽に対する意欲も語っていた。 中川敬の自分のやりたいことをやってきたインタビューも突っ走っていて痛快。現役感も強烈だ。関西イベンターで現・スマッシュウェストの南部裕一のインタビューも色んなエピソードがあり面白いものだった。

VARIOUS ARTISTS『SWEETER! ROOTS OF JAPANESE POWERPOP 1971-1986』

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2015年2月18日、ポップトラックス/クリンクからリリースのコンピレーション・アルバム。 パワーポップというと連想するのは、まずニック・ロウ「Cruel To Be Kind(邦題:恋するふたり)」。それとブラム・チャイコフスキー「Girl of My Dreams」かな。キャッチーなメロディ、 アコースティック・ギターのジャングリーな感じ、コーラス・ワーク、 やや手数の多いドラム、ギターソロもメロディアスに作ってあったり。ボトムを効かせたリズムがありながらも、爽やか&甘酸っぱいイメージも少々。アメリカだとリアル・キッズ「All Kindsa Girls」が思い浮かぶ。日本だと…。 このコンピは1970年代中頃に活躍した日本のバンドのレアな音源を中心に旧東芝EMIのカタログから選ばれた18曲を高木龍太がコンパイルしたもので、10年越しの企画がようやく実ったということだ。“日本のパワーポップのルーツ”と題されている。どうやら諸々の事情でパーフェクトな選曲となっていないようだが、素晴らしい内容に変わりはない。 このCDの曲順ではなくバンド毎にブックレットからの情報をもとに内容を紹介 (収録曲名の後の数字はリリース年月日)。 リンドン ・「陽気な雨」(1974.5.5)シングルA面 ・「タンポポ・ガール」(1974.5.5)シングルB面 ・「悲しき想い」(1974.10.5)シングルB面 ・「赤いドレスは着ないでおくれ」(1975.12.1)シングルA面 の4曲を収録。 このCDを購入する大きな理由がリンドンの楽曲を聴きたかったから。リンドンは、 田中信昭(Vo,B):のちにTHE BADGE 田中一郎(G,Vo):のちにARB 伊藤薫(Ds,Vo):のちにチューリップ というメンバーのスリーピース・バンドで1971年に結成。1974年5月にシングル「陽気な雨 c/w タンポポ・ガール」でデビュー。同年10月セカンド・シングル「夏の日の恋 c/w 悲しき想い」をリリース。1975年12月に3枚目のシングル「赤いドレスは着ないでおくれ c/w 雨の日にさようなら」をリリース。アルバム制作の動きもあったようだが実現せず、1977年初頭に解散している。今回はリンドンの残した3枚のシングルから4曲が収録された。 収録された4曲は全て田中信昭の作詞作曲で、やはりのちにザ・バッヂに

GLIM SPANKY「MOVE OVER」

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2014年12月8日、ヴァージン/ユニヴァーサルからリリースの配信シングル。 スズキの軽自動車ワゴンRスティングレーのCMを見たとき、水原希子の真っ赤なドレス姿に見惚れてはいたが、使われている音楽はジャニスだなぁと思っていた。ジャニス・ジョプリンのアルバム『パール』を購入したのはいつ頃だったろうか。1980年代の後半かな。ニュー・ウェイヴからルーツ・ロックやソウルなんかにも少しずつだが興味が出てきた時期だった。ソウルフルな「Cry Me」やアカペラで歌う「Mercedes Benz」なんかが好きだった。もちろんアルバムのトップでキャッチーなナンバー「Move Over」も。 スティングレーの宣伝を見てるうちに(ってテレビでしょっちゅう流れるわけじゃないが)これジャニスが歌ってるんじゃないな…と思うようになって、ネットで調べてみると、あーやっぱり違うんだ、日本人なんだ。ということでグリム・スパンキーに辿り着く。 グリム・スパンキーは松尾レミ(ヴォーカル)と亀本寛貴(ギター)の男女2人組ユニット。もとはベースとドラムを加えた4人組バンドだったようだが、2010年に2人組のユニットとなりサポート・メンバーを加えライヴ活動を続けている。音源としては自主制作盤を経て2014年6月にミニアルバム『焦燥』でメジャーデビュー。2014年11月に7インチ・アナログ「焦燥 c/w Move Over」をリリース。同年12月に「Move Over」を配信リリースした。 “私と付き合うの?私の愛を受け入れるの?はっきりしてよ!”って感じで、優柔不断な男に“消えちまいな”と啖呵を切った気っ風のいい歌詞をシャウトする松尾レミ。なるほどハスキーなジャニス的なヴォーカルだが、このカヴァーではジャニスよりシャープな印象。ヴォーカルとユニゾンでメロディを奏でるギターは原曲と同様だが、原曲でフューチャーされていたキーボード類は無し、その分ギターが活躍している。またドラムの音色やギター・ソロ以降のリズム、ベースフレーズなど現代のカヴァーならではの工夫がされている。トレブルが効いた好カヴァーだ。 CMのオンエアは終わっているのだろうか。 SUZUKI ワコンRスティングレー TVCM「15秒の誘惑」編 改めて聴いてみるとCMとヴァージョン違うな。

My Wandering MUSIC History Vol.44 ARB『指を鳴らせ!』

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1981年11月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 前作から8ヶ月後という短いインターバルでリリースされたARB、4枚目のアルバム。 ドラムのキースが胆石で入院し、元ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(当時サッキング・ルージュ)の相原誠、元サンハウス(当時トランプ)の浦田賢一、アナーキーの小林高夫がヘルプでドラムを叩いている。なので、“KIETH (IN THE HOSPITAL)”とクレジットされている。渋いモノトーンのジャケットは井出情児によるもの、裏ジャケットのメンバーの写真もいい。歌詞カードの各曲をモチーフにしたイラスト(Rのサインがあるから凌が描いたものだろう)も楽しい。一目惚れ“Love at first sight”という英語を知ったのもこのアルバムだなぁ。 その“Love at first sight”が歌いこまれた「イカレちまったぜ!」、緊張感のあるサウンドの「13番街のワル」、一目惚れの後日談のような「I'm Jumping」は、“この一瞬をずっと待っていたんだぜ”というフレーズがとても印象的。「Hip,Shake,Hip」はアルバムタイトルに通じる“フィンガー・スナッピング”も歌いこまれたブルージィなナンバー。田中一郎のB.B.キングばりのブルース・ソロも聴きものだ。老いも若きも魅了するR&Rの「教会通りのロックン・ロール」。 スピーディかつややハードなロックンロール「Standing On The Street」、渋くジャジィな煙草ソング「PALL MALLに火をつけて」。えぇ買いましたよ“PALL MALL”。あの頃は高かったけどね(あ、今も高いのかな)。ロカビリーな「シティ・ギャング・シャッフル」。パブ・ロック風な“お楽しみはこれから”「Well Well Well」、石橋凌の実兄や友人をモデルにしたという「さらば相棒」は、ARBのアルバムに1曲は収録されていた物語仕立ての楽曲。この曲をモチーフにして1年後の1982年11月に宇崎竜童監督、石橋凌主演で映画化された(ディレクターズ・カンパニーが制作したピング映画3本立てのうちの1本で、 他の2本は高橋伴明監督「狼」と泉谷しげる監督「ハーレム・バレンタインディ」)。ピンク映画(死語かな…)という事で予算は3本で1,000万円、撮影4日間、各映画の時間も5

My Wandering MUSIC History Vol.43 ARB『BOYS & GIRLS』

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1981年3月21日、ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。 ARB、3枚目のアルバム。 薄手のPコートの石橋凌、プリントTシャツの上に濃い色のジャケットでギターを抱えた田中一郎、おなじみサングラスに革ジャンのキース、PILの缶バッジをつけたライダースにベースをぶら下げたサンジ。険しい表情の4人が赤をバックに立つジャケットが目を引く。 ARBの代表曲のひとつでもある“狂えない/笑えない”時代の少年・少女達に語りかけた「Boys & Girls」。 久留米から博多へ演奏するために通った国道の思い出を描いた「悲しき3号線」。少女の死をテーマにした「Just A 16」は小さな記事にインスパイアされた曲だという。今だったら弦楽を入れて編曲したくなるような曲だが、バンドだけで演奏しているのが潔い。それでもクラシカルな要素を入れたギター・ソロが聴きどころでもある。 「発(ハッパ)破」、「Believe in R&R」、 “昔の傷も今は忘れちまい”というフレーズが今も効いてる、召集令状をラブレターに見立てた「赤いラブレター」、セカンドラインのリズムがイカしてる「“エデン”で1・2」、柴山俊之作詞の「Mr.ダイナマイト」、 トム・ウェイツ(石橋凌が好きだという)をモデルにした「ウィスキー・マン」、これらは田中一郎が作曲したゴキゲンなロックンロール・ナンバー。 個人的に好きなのは、スカビートを取り入れた「ダディ―ズ・シューズ」とレゲエ・ビートの「Naked Body」。この2曲はサンジのベース・プレイが光る。「ダディ―ズ~」は楽しげに動き回るベースフレーズが、「Naked Body」はブツブツと刻むベースが魅力的だ。このアルバムを聴いていた頃、おやじの靴は小さくて履けなかったが、おやじが着なくなっていたコートはちょっと短かったが学校に行くときも遊びに行くときも着ていた。幾つか缶バッジを付けてね。 私のまわりではそんなおやじの上着を着ている奴が結構いたものだ。皆「ダディーズ・シューズ」という曲が好きだったからだと思う。 「ダディーズ・シューズ」はアルバムに先駆けてシングル・リリースもされており、B面にはアルバム未収録の「シェリーは昼間死んでいる」がカップリングされていた。