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追悼・佐久間正英 四人囃子「DEEP」

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佐久間正英1月16日永眠。1月20日に公表された。 その日、家に帰ってハードディスク・レコーダーに録画してあったNHKのドキュメンタリー「ハロー・グッバイの日々~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~」をもう一度見た。 この番組を見た時、あまりにも衰弱している姿が痛々しかったのだが、その体調にもかかわらず長時間レコーディング作業をする姿勢に感銘を受けた。「Last Days」と題された佐久間の作ったラスト・ソング。ボーカルは元JUDY AND MARYのTAKUYA。ドラムは屋敷豪太。 佐久間のベース、ギター、ピアノのダビング。体調的にはとてもつらい作業でソファに横になったり、点滴してれば楽なんだが…と話していたり。その姿に最後の作品を残すという執念を感じるのでは無く、ディティールにこだわり、スタジオ職人的に淡々と作業し、辛くても満足出来るまでやめられない、という印象を受けた。「Last Days」はもうじきリリースされるコンピレーション盤『SAKUMA DROPS』に収録されるそうだ。 それから1989年に再結成というか活動を再開した四人囃子のライヴ・ビデオ『FULLHOUSE MATINEE』を観た。当時30歳半ばの佐久間が音楽的に牽引したこの時の四人囃子は、森園、佐藤満に続く3人目のヴォーカル&ギタリスト、といった趣きで、前任2人とは全く違う魅力があるのだが、線の細いヴォーカルはともかく、ギターの腕前はなかなかのものだ。このビデオでもストラトキャスターのアームを壊れんばかりに操るエキサイティングなプレイが見られる。 ビデオでは11~13曲目になる「眠い月」~「一千の夜 (1000 Nights)」~「DEEP」の流れは89年型四人囃子のライヴのハイライトといえるものだ。 なかでもこの「DEEP」はダンサブルでマシナリーなファンクのリズムと小気味よくキレたカッティングのギター、佐久間、岡井、坂下の3人に加えてホッピー神山やベースの大堀薫、サックスの藤沢由裕等のゲストによる豪華なサウンドではあるものの、ヴォーカルを含めて体感的に迫ってこない冷徹ファンクの不思議な魅力。佐久間は無表情に冷めた視線を観客に投げかける奇妙な表情で熱の入ったギターを聴かせてくれる。 このビデオに映る30代の佐久間と昨年のドキュメンタリーで見た61歳の佐久間正英。年を重ねた風貌の違いはあたりま

My Wandering MUSIC History Vol.9 KING CRIMSON『IN THE COURT OF THE CRIMSON KING』

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1969年アイランド/アトランティックよりリリースのアルバム。 やはりジャケットが強烈だった。 このアルバムを手掛けた後、早逝してしまう当時無名の画家バリー・ゴッドバーがアルバムの音を聴いたイメージをもとに描いたというジャケットは、これまで聴いてきたプログレの謎めいたジャケットとも、一部ハード・ロックの悪魔的なジャケットとも違う、只者ではない、この中には一体何が記録されているのだろうか、と暴力的とも思える強引な磁場を発生させているジャケットである。アナログ・レコードのジャケット30cm×30cmの大きさで見れば、なおその特異性がわかるだろう。まるで“クリムゾン・キング”と呼ばれた宮殿のように豊かに起伏に富み、その色は深紅で描かれている。 レコードを取り出し、針を落とすと暫しの静寂の後にあらわれる凶暴な音の塊に驚愕し「21st Century Schizoid Man」の世界へ引き摺り込まれていく。 “Cat's foot iron crow…"冷徹な過去と今(1969年)の事象が生み出す未来の男の姿を、エフェクトで歪んだ声が叫ぶ。重く鋼のように硬質でなおかつ、鞭のようにしなる柔軟性を持った圧倒的な演奏技術によって表現されたこの1曲はまさに先進的と呼ぶに相応しかった。2001年に車のテレビCMでこの曲が使われたときは驚いたものだ。 静けさの中にハーモニーが引き立つ「I Talk To The Wind」、 ドラマテックな「Epitaph」には、  Knowledge is a deadly friend  When no one sets the rules  The fate of all mankind I see  Is in the hands of fools と歌われた歌詞があるが、2014年の今でも十分有効だ。 音響的で長く複雑な曲だけど語りかけるような「Moon Child」、再びドラマティックで壮大なラストの「The Court of The Crimson King」(シングルカットされた)と、どの曲も聴き逃せないトータルに完成されたアルバムである。但しキャッチーな英語のフレーズも耳馴染みの良いギターソロもノリ易いビートもないこのアルバムは、中学生にとっては哲学的とも思える内容だった。 次作の『In the Wake of Pos

「ユリイカ 2014年1月号」

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いくつかの雑誌がルー・リードの特集を組んでいたが、「ユリイカ」はほぼ一冊丸ごとルーの記事で読み応えのある内容だ。 大江慎也はルーに対する敬意をパーソナルな手紙のように、Phewはルー来日時の思い出を、町田康はかつての職場“人工島”に響いたルーの歌声について記している。 EP-4のオリジナル・メンバーでフランス文学者の鈴木創士やタコの山崎春美、映画『ピノキオ・ルート964』や石井聰亙の映画音楽で知られる長嶌寛幸の金子智太郎との『メタル・マシーン・ミュージック』解析(これは非常に興味深い内容)、“歩くならヤバい場所”七尾旅人、豊田道倫といったミュージシャン、 詩人、芸人、音楽・文学・芸術評論の方々がそれぞれにルーへの思いやその音楽・歌詞について、ルーの歩んだ長い道のりについて記している。 ダンサー(俳優でもあり大河ドラマ『龍馬伝』吉田東洋役は凄かった)の田中泯へのインタビューがルーの日常と表現についての関わりを教えてくれる。

佐野元春 WITH THE HEARTLAND 「ロックンロール・ナイト」

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2013年12月リリースの『No Damage Deluxe Edition』より。 佐野元春が1983年4月にリリースしたコンピレーション・アルバム『No Damage~14のありふれたチャイム達~』が、同コンピの最新リマスターCD、1983年3月の中野サンプラザでのライヴを収録したライヴCD、1983年7月に公開された映画『FILM NO DAMAGE』を収録したDVDの3枚組デラックス・エディションとしてリリースされた。 オリジナルのコンピ『No Damage』は友人にレコードを借りてカセットに録音し良く聴いていた。特に“Boys' Life Side”と名付けられたアナログA面は各曲の配置・流れも良かったなぁ。いや、B面“Girls' Life Side”も良い曲揃ってる。まぁ、とにかく繰り返し聴いていたアルバムだった。その割には『No Damage』のアナログ盤やCDを自分で買うことはなかったのだけれど(細かなヴァージョンの違いはあるけど収録曲の7インチやオリジナルアルバムや他の編集盤CDを持ってるから)、今回はライヴCDにつられて購入。 そのライヴCD『ロックンロール・ナイト ライヴ・アット・サンプラザ1983』は1983年3月18日、中野サンプラザでおこなわれた“Rock'n' Roll Night Tour”最終日の模様から14曲を収録したものだ。この時のライヴからは、いくつかの楽曲がビデオ『Truth '80-'84』や『The Out Takes』、ライヴCD『THE GOLDEN RING』に収録されているが、こうしてまとまって1枚のCDになるのは初めて。アレンジがガラリと変わった「バック・トゥ・ザ・ストリート」や小粋な演奏で観客とのやりとりも楽しい「ドゥ・ホワット・ユー・ライク」も聴きどころだ。 今回このライヴCDで改めて「ロックンロール・ナイト」を聴いて、あぁこの曲に凄く影響受けたな、と感慨に浸ってしまった。オリジナル・スタジオ・ヴァージョンが収められているのは1982年リリースのアルバム『サムディ』。このアルバムに出会った頃にはオートバイや車の免許を取れる年齢になり、活動範囲も広がり、深夜・朝までの活動(要するに夜遊び)が可能になった時期。都市の若者達を描いた『サムディ』は地方に暮らす若者達