投稿

12月, 2013の投稿を表示しています

追悼・大滝詠一「さらばシベリア鉄道」

イメージ
2013年末、日本のロック・ポップスの巨星が逝ってしまった。あまりに突然に…。 大滝詠一。1981年のアルバム『A Long Vacation』。リリース当時、パンク・ニューウェイヴに傾倒していた自分にとっても、その歌声は届いた。だけど、2001年の20周年記念盤かな、その偉大さをあらためて認識したのは。「雨のウェンズディ」は自分のテーマ・ソングと思うようになったり…。リリース当時「さらばシベリア鉄道」は太田裕美のヴァージョンも良く流れていたっけ。  伝えておくれよ  十二月の旅人よ  いついついつまでも待っていると 長らく途絶えていた大滝詠一の新作発表だが、“次”は永遠になくなってしまった。

HITOMI TSURUKAWA & PIRATE LOVE「I WANNA BE LOVED」

イメージ
2012年7月リリースの『SOLID GOLD』より。 出ていたんだ…鶴川仁美のバンドの音源。バンドは2012年の結成。 メンバーは、 鶴川仁美 Guitar/Vo 大島治彦 Drums (Zi:LiE-YA/THE PRODIGAL SONS) 玉井政司 Bass (THE RUDEBOYS/S.H.I.) の3人。 バンド名通りニューヨーク・ドールズ~ジョニー・サンダースのスピリットを受け継ぐバンド・コンセプトなのか、CDに収録された3曲は、 1.I Wanna Be Loved 2.Personality Crisis 3.Pirate Love といずれもジョニー・サンダース関連のカヴァー(1と3はハートプレイカーズ『L.A.M.F.』収録曲、2がニューヨーク・ドールズ『New York Dolls』収録曲)で、UNの時は短髪だった鶴川もロッカーズの頃を彷彿とさせる長髪金髪で原点回帰。ゲストプレイヤーとしてピアノでソウルフラワー・ユニオンの奥野真哉が参加。アートディレクションは伊勢田勇人(バトルロッカーズ)という念の入れよう。まぁ手練れの繰り出す音はソリッド、ロックンロールかつポップでキュート。単純に楽しめる。 と…思ったらもう解散だって…。

My Wandering MUSIC History Vol.8 PINK FLOYD『ATOM HEART MOTHER』

イメージ
1970年ハーヴェスト/東芝よりリリースのアルバム。 1970年代中頃のハード・ロック中学生にとってメジャーな英米のハード・ロック・バンド群を一通り聴いた後、次に手(耳)をつけるのはプログレッシヴ・ロックだった(…まぁ私たちのまわりでは…)。ハード・ロック/ギター小僧の流れで邦楽の四人囃子を先に聴いていたから、プログレへの親和性はあり、曲が如何様にも変化し、1曲がアナログの片面全てを使った長い曲でも抵抗はなく、むしろどれだけ複雑な曲構成なのか、に痺れていったものだ。なかでもこのピンク・フロイドの『アトム・ハート・マザー(邦題:原子心母)』は私たちのまわりでとても親しまれたアルバムであった。 もちろんピンク・フロイド5枚目となるこのアルバムは、イギリスのチャートで初めて1位を獲得し、アメリカでも55位を記録したヒット・アルバムであり、ピンク・フロイドの名を一躍メジャーにした名作である。ヒプノシスによる緑の大地に立つ牛のユニークなジャケットと、 Atom・Heart・MotherというSF的とも思える単語を並べたアルバム・タイトル(当時の新聞記事から採られたという)は、さらにその音世界の神秘性を増している。 23分余りのアナログA面すべてを使った、歌は無く演奏のみのタイトル曲は、管弦楽器とコーラスを加えた重圧な演奏、繰り返し登場するテーマ、挿入された様々なサウンド・エフェクトと、クラシカルな要素も取り入れつつ、映画音楽的な手法や現代的な音響も取り入れ、ギター/キーボード等バンドとしての聴かせどころも含むものの、ロック/ロックンロールのフォームから大きく踏み出した“進歩的な”楽曲であった。但しそれが複雑な曲構成であっても、難解ではなく、解り易いテーマがあり、カタルシスを共有出来る、そんなポピュラーな聴き方ができる曲だ。当時の私たちの間ではピンク・フロイドといえば『狂気』でもシド・バレットのいた『夜明けの口笛吹き』でもなく『原子心母』であり、プログレといえば『原子心母』を原点とし、語られる様になったものである。 とはいうもののアナログでいえばB面にあたるアコースティックな楽曲群は(私に関して言えば)当時ほとんど無視され、この辺りを聴いて味わえるようになったのは数十年後であるが…。

頭脳警察「詩の朗読という詩」

イメージ
2013年12月リリースのアルバム『暗転』より。 副題に“~ZK結成45周年記念アルバム・寺山修司没30年によせて~”とあるように、収録曲のうち6曲が寺山修司作詩の作品となっている。 「詩の朗読という詩」は寺山修司の詩を朗読するパンタと灰野敬二のギターによるセッションというかバトルというかインプロビゼーション。比較的聴き易く3分程の曲が並ぶ中で、8分を超える詩の朗読とフリーキーなギター演奏のみのこのトラックはアルバムのハイライトとなった。 ブックレットにはスタジオで向かい合っているパンタと灰野の写真があるが、お互いの演奏、声、呼吸を感じながら録音されたものだろう。何もない空間に言葉と音を存在させようとする、何物かを生み出そうとする、二人の緊張感を持った創造性が感じられるテイクである。 “詩”というものが持つパワーと無力さを朗読するパンタの、頭脳警察結成から45年という時の流れに裏打ちされたヴォイスと、掛け合う灰野のインスピレーションに満ちたエレクトリック・ギターは圧倒的だ。ここでの寺山の言葉は聴く者との銃撃戦の様相となった。トシのコンガと三つ巴でもよかったかも。 他にはカヴァー・ヴァージョンが2曲あり、「あしたのジョー」(寺山作詩、八木正生作曲)は、リズムを強調したヴァージョンとフォーク・ロック調にした2つのヴァージョンが収められているが、どちらも味はあるものの、もうひと捻り欲しかったところ。むしろ原曲に近いアレンジでよりヘヴィにしたら良かったんじゃないかと個人的には思う。「戦争は知らない」(寺山作詩、加藤ヒロシ作曲)はカルメン・マキのヴァージョンで親しんでいるが、ここはストレートにフォーキーなアレンジ。この曲を頭脳警察名義で聴けるのはうれしい。コーラスには制服向上委員会が参加。 「いじわる猫」は1973年にリリースされたアルバム『寺山修司・イソップ物語』(歌・田中星児)にパンタが曲提供した作品のセルフ・カヴァー。田中星児のヴァージョンは聴いたことがないのだけれど、1973年は頭脳警察がアルバム『誕生』、『仮面劇のヒーローを告訴しろ』を発表していたころ。『誕生』や1972年末リリースのシングル「孤独という言葉の中に c/w 今日は別に変わらない」に似た雰囲気を感じさせるメロディを聴くことができる。田中星児ヴァージョンも聴きたくなってきた。 「時代はサーカスの象にのっ

My Wandering MUSIC History Vol.7 カルメン・マキ&OZ『カルメン・マキ&OZ』

イメージ
1975年ポリドール・レコードからリリースのアルバム。 友人達のバンドで四人囃子の「一触即発」とともに良く演奏されていたのがカルメン・マキ&OZの「私は風」。女性ヴォーカルの曲を男子が歌っていたのだが、たぶんオリジナル・キーで演奏していたと思うので、まぁ良く音域が合ったものだ。「私は風」は冒頭ハードなパートに続いて静かな歌のパートがあり、中盤にギターソロ、後半にもハードな盛り上がりを持っているなど曲構成では四人囃子の「一触即発」と似た構成となっているから(もちろん曲が似ているわけではない)、ギターキッズに人気の曲だった。スキャットの合いの手が入るのもユニークだった。11分超えの曲ながら、そんな長さを感じさせない作りとなっている。 寺山修司/天井桟敷の歌姫・アイドルとしてのキャリアを捨て、日本のロック黎明期、女性ロック・ヴォーカリストの草分け・パイオニアとしての決意表明とも受け取れる「私は風」の歌詞は、マキ本人(Maki Annette Lovelace)によって書かれたものだ。寺山のもとを離れ、試行錯誤を繰り返しながらロック・ヴォーカリストとしてのキャリアを積み、ギタリスト・春日博文とカルメン・マキ&OZを結成、ライヴを重ね幾多のレコード会社からの誘いを受けつつも“もっと上手くなってから…”との理由で契約を断り続けていたオズが結成から約3年後、満を持して発表したファースト・アルバムのラストを飾るにふさわしい曲で、カルメン・マキ&OZを代表する曲。 初めてこのアルバムを聴いた中学生のときはハード・ロック小僧なので「私は風」以外の曲がややアコースティック色が強いな、という印象を受けた。アルバム全体から工夫された多彩なイメージを受けつつも、ガキの私にとっては難解だったのだろう。後にこのアルバムを聴きかえして特に好きになったのはアルバム1曲め「六月の詩」。 イントロのもの悲しく沈鬱に響くピアノ、マキのパワーを秘めた繊細でワイルドでありながらどこか母性を感じさせる歌声、効果的なハモンド・オルガンやコーラス・ワーク、緩急のあるギター・ソロ、起伏に富んだ楽曲を支えるリズム隊、聴き応えのある抒情的なバラードだ。この曲の作詞は(ダディ竹千代こと)加治木剛で、夏の前のなまぬるい季節を切り取り、乾いた夏を切望する気分を込めたような歌詞は不思議な訴求力がある。このアルバムでも4曲に作詞のク

『rockin'on 2014年1月号』

イメージ
何年振りだろうロッキンオンを買ったのは。 おそらく20年振りくらいなんじゃないか。ルー・リードの表紙&特集に惹かれて買ってしまった。 ルーの生前最後というインタビューは、ヴェルヴェッツにいた時と変わらない、辛辣で時にインタビュアーに噛みつく内容のもので、変わらぬワイルドサイド。ルーのキャリアを振り返ったディスク・レビューもカラーで見易い。ルーの特集冒頭の山崎洋一郎の追悼文のような思い入れたっぷりの文章がよかったが、このくらい思い入れのある記事を多く載せて欲しかったな。ロッキンオン・ジャパンとの関係もあるかもしれないが、日本のアーティストにルーを語ってもらうとか。 ただ他の記事は読むのかなぁ。ロジャー・ダルトリー、ポール・マッカートニー、ビリー・ジョー&ノラ・ジョーンズ…結構あるか。新しい良さそうなバンドでも探すか。

My Wandering MUSIC History Vol.6 四人囃子『一触即発』

イメージ
1974年東宝レコードからリリースのアルバム。 中学生で友人達のバンドの演奏に影響され、洋楽のハード・ロック・アルバムを聴くようになったが、友人達は日本のバンドのコピーも演奏していた。そのひとつが四人囃子の曲「一触即発」で、その演奏を聴いて私も四人囃子を聴くようになった。 「一触即発」のプログレ的な曲の展開も面白かったけど、オープニング部分と間奏、エンディングでの森園勝敏のドライヴするギターソロがなんといっても魅力だった。その頃はとにかくカッコいいギターソロ、口ずさめるほど耳に残るギターソロを持った曲が良い曲、素晴らしい曲という価値観だったのだ。まぁ個人的には…。「一触即発」では歌のバッキングで確かEm7とF#maj7のセヴンス・コードを使ったカッティングしている部分があったと思うが、そんなところが良いなと思うようになるのはもっと後の事だ。 もちろん当時から末松康生のシュールな歌詞はクールに感じたものだ。「一触即発」は黙示録的なというか終末的な内容を含んでいたし、このアルバムの他の曲「空と雲」では気怠い昼下がりのような雰囲気を、「おまつり」では退屈とハレ(日常と非日常)の気分を独特の言葉で紡いでいた。末松の歌詞とジャケットの“ナマケモノ”のイラストがアルバム『一触即発』の持つ不思議な謎めいた印象に大きく貢献していると思う。 私たちの間では四人囃子のアルバムはどれも人気があった。東宝から出てたオリジナルの『二十歳の原点』こそ手に入らなかったが、『二十歳の原点』の楽曲部分と『一触即発』をカップリングした『トリプル・ミラー・オブ・四人囃子』も、発掘ライヴ『'73 四人囃子』も誰かが手に入れて皆が借りて聴いていた。佐藤ミツル在籍時の四人囃子はリアル・タイムだったから『プリンテッド・ジェリー』も『包』も良く聴いた。『NEO-N』はちょっと取っ付きにくかったかも…。 四人囃子は演奏面や楽曲で洋楽に引けを取らない日本のロックがあること、それに日本語を使って魅力的なロックを作り出せることを教えてくれたバンドだった。