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『宝島AGES No.1』

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宝島社発行、宝島2月号増刊、2014年12月25日発売。 雑誌宝島を毎月読んでたのは1982年~1984年頃かなぁ。1985年~1988年頃までは時々買っていたと思う。当時の宝島は音楽、映画、書籍、ファッション、流行りものからちょっと懐かしい70年代もの、カウンター・カルチャーを含め若者カルチャー全般を取り上げていて、私は主に新譜やライヴ・レポートなんかの音楽情報、邦楽アーティストのインタビューが目当てだったけど、核とかコンピュータ等のテーマを取り上げて解説した“キーワード図鑑”のコーナーも面白かった。確か90年代はグラビア誌でそのあと経済誌に変わってたと記憶しているけど、今は全く手に取ることもない。調べてみると月刊で雑多な情報を扱う雑誌になってるな。 忌野清志郎が表紙の『宝島AGES』は1980年代の日本のカルチャーを振り返る増刊号。80年代前半の宝島といえばRCサクセションとYMOというイメージもあるが、この増刊号には、RCは三宅伸治と片岡たまき(元マネージャー)の対談、YMOはデザイナーの奥村靫正への取材が掲載されている。私的に一番面白く読んだのは1980年代を振り返る町田康とよしもとばななの対談で、6ページとボリュームがあり笑える内容でもある。映画『爆裂都市』に関しての話しもあり。 80年代の漫画といえばやはり『AKIRA』で、アシスタントの高畠聡へのインタビュー、これも興味深く読んだ。“今を生きる80'sバンド”というコーナーでは、ラフィンのチャーミーとPON、スタークラブのHIKAGE、ニューロティカのアツシ、ガスタンクのバキパーソンズのJILLと渡邊、KENZI&THE TRIPSのケンヂ、原爆オナニーズのTAYLOW、ジューシーフルーツのイリアとトシ、ピーズの大木へのインタビューがある。多くはアラウンド50ってところで、老いゆく身体へのいたわりが感じられる。髪の毛問題も深刻か。 “アトミック・カフェ 反核・脱原発の30年”と題されたAtomic Cafe Festivalを振り返る記事も面白かった。ルースターズは1984年~1986年まで毎年アトミック・カフェ関連のライヴに参加しているな。 まぁそんな感じの内容だけど、やはりVOWは爆笑もの。No.1だけど次はあるのかな。80年代を振り返るというのは懐古趣味なのか再評価なのか、雑誌一冊...

MIKE OLDFIELD「MOONLIGHT SHADOW」

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1983年5月リリースのアルバム『Crises』より。 NHKのEテレで時々放送されている「ミュージック・ポートレート」(シーズン3が9月で終わった)は、これまでの人生で影響を受けた音楽10曲を2人の出演者が持ち寄って対談するという内容の番組だが、見ていると時々 “これ聴いてみたいな” という曲が紹介される。 この「Moonlight Shadow」は今年の5月に放送された“よしもとばなな×サンディー”の回で、よしもとばななが4曲目に作家デビューのきっかけ、として選んでいた曲。これを見たとき(聴いたとき)、“あーマイク・オールドフィールドってボーカル入りのポップな曲があるんだ”と思った。マイク・オールドフィールドといえば一部が映画『エクソシスト』で使われた『チューブラー・ベルズ』しか持っていなかったので、プログレ系インストの人、というイメージがあった。余談だけどこの『チューブラー・ベルズ』を購入したのも『エクソシスト』を観てすぐじゃなく(公開年に観た)、1990年代に車の中で聴いた小林武史のFMラジオ番組でアナログ1面分(約20分)がかかっていたのを聴いて面白いなと思って購入したものだ。 良い曲だ、とは思ったものの「Moonlight Shadow」はその後、どのアルバムに収録されているのか調べることもせず、CDを購入することもなく忘れていたのだが、先日友人から譲ってもらったCDの中にアルバム『Crises』が含まれていたという非常にうれしい出来事がありこの名曲が聴けることとなった。調べてみればアルバムと同じ時期に、この曲はシングル・リリースされてイギリスではトップテンヒットになっていることから、当時どこかでこの曲を耳にしていたのかもしれないが、その頃の私の興味ではなかったのだろう。 エイトビートをしっかり刻むサイモン・フィリップスのドラムにエコーのかかったマギー・ライリーの澄んだ歌声、歯切れの良いマイク・オールドフィールドのギター、それにフェアライトCMIの響き。幻想的なムードにつつまれた3分半の非の打ち所がない完璧なポップ・ソングとも思える。 だけど歌われている内容は、銃撃により突然亡くなった彼を想い、彼に会いたい、という歌詞で、曲の(一聴して)爽やかな感じと裏腹に悲しく切ないものだ。この歌詞については1980年のジョン・レノン殺害に影響を受け作られたとも言われ...