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追悼・LOU REED「ROCK'N' ROLL」

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偉大なロックンロール・シンガーが逝ってしまった。ルー・リード、2013年10月27日没。 世界中のストリート・ロッカー達が今嘆き、大都会に住む孤独なリスナーや、田舎町の街道を車で走り家に帰り着いた者たちがヴェルヴェッツやルーの歌を聴いているだろう。失われた存在の大きさに改めて気付き、その人の長く歩んできたワイルド・サイドを思ってため息をつき、涙を流しているだろう。 私も今、大好きなアルバム『ライブ・イン・イタリー』を聴き終えたところだ。 1984年に発表されたこの作品は、ヴェルヴェッツから1983年の『レジェンダリー・ハーツ』まで広くルーのキャリアから選曲された、私が一番聴いたルーのアルバムでもある。1曲めの「Sweet Jane」のイントロのギターの響き、「Satellite of Love」の繊細なメロディ、アナログC面だった「White Light/White Heat」、「Some Kinda Love/Sister Ray」のフリーキー・サイド、続く名曲「Walk On The Wild Side」、「Heroin」そして「Rock'n' Roll」。  You know her life was saved by rock'n' roll  Despite all the computations  You could just dance to a rock'n' roll station それは私も同じだ。

My Wandering MUSIC History Vol.3 BLACK SABBATH『TECHNICAL ECSTASY』

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1976年ヴァーテゴ/日本フォノグラムからリリースのアルバム。 初めて買った洋楽のアルバムはブラック・サバス『テクニカル・エクスタシー』だった。中学生ともなるとまわりにはフォークギターで弾き語る友人も出てきて、ちょっとしたギターブームがあり、やがてロック・バンドを組む友人達も出てきた。レパートリーはキッスやディープ・パープル、レッド・ツェッペリンなど。その友人のコピーバンドの練習や文化祭の演奏を見ていると次第に私自身も洋楽のロックを聴くようになっていった。パープル、ゼップ、キッス、クイーン等のレコードは友人達が皆持っているから、自分では友人の持っていないようなアーティストのレコードを買おう、と思って興味を持ったのがブラック・サバスだった。 まわりでサバスのレコードを持っている人はいなかった。まだヘヴィ・メタルという言葉がそれほど定着していない頃、他より重い、という触れ込みのサバスはどのアルバムが代表作なのか分からなかったし(おそらく曲でいえば「パラノイド」が知られていたかも)、そもそも田舎町に流通しているサバスのレコードは殆ど無いに等しかったが、地元のレコード屋に唯一置かれていたのが『テクニカル・エクスタシー』だった。つまりサバスのレコードを買おうと思ったらこれしかなかったということだ(もちろん国内盤。近くに輸入盤屋なんて無かった)。 当時サバスのアルバムの国内盤が他に流通していたか、というのは分からないが、おそらく注文しても手に入るのは『血まみれの安息日(原題:Sabbath Bloody Sabbath)』と『サボタージュ』くらいだったのではないかと思う。 それで買ってどうだったかというとこれが当たりだった(ヒブノシスのジャケはとっつきにくかったが)。1曲めの「Back Street Kids」ですぐにサバスが好きになった。特にオジーの駄々っ子のようなヴォーカルが気に入ったし、引っ掻くようなトニー・アイオミのギタープレイも独特だし、重たいリズム隊の叩き出すサウンドも良かった。2曲目の「You Won't Change Me」の様なヘヴィな曲も噂に違わぬカッコ良さだった。この2曲を聴いて自分の中ではまさしく“俺のバンド”って感じになったと思う。 このアルバムはポップな面も打ち出していたから「It's Alright」(ドラムのビル・ワードがヴォーカ

ROGUE「終わりのない歌」

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1987年リリースのアルバム『VOICE BEAT』より。 2013年10月19日付け朝日新聞の朝刊に “頸椎損傷を乗り越え復帰するロックバンド歌手・奥野敦士さん(50)”という記事が掲載されていた。 1990年ローグ解散後も音楽活動を続けていたが、5年前にアルバイトの工事現場で屋根から落ち、胸から下が動かない、腕も肘から下は動かなくなった。腹に力が入らず、ベルトを強く締め声をだして歌う。数曲歌えるようになった今年の春に“ライブをしよう”と提案があり、10月19日グリーンドーム前橋でローグ復活ライブをおこなう。という内容の記事だった。 群馬から出てきて、音楽的にもBOOWYの弟分のような紹介のされかただったローグだが、器用なリズム隊と多彩なプレイが可能なギターは聴きどころがあるし、何よりバンドの特徴だったのは奥野の独特なビブラートを持った声だろう。時に夢見がちで、聴くものに語り掛けるかのような、だけどそれほどウェットさを感じさせない歌詞をビートナンバーやダンサブルな曲にのせて歌っていた(もちろんスローな曲も)。 1990年の解散までに発表したローグのアルバムはたぶん全て聴いたと思う。個人的にはファーストとセカンド・アルバム『VOICE BEAT』をよく聴いた。久しぶりにアルバムを取り出して聴いたけど、ビート・バンド然としたファースト、ポップ色を増したセカンドの中で、やはりというか特にこの「終わりのない歌」が心を打つ。 発表当時もこの歌は好きで、シングル盤も買った(「終わりのない歌 c/w Street Dancer」B面は『VOICE BEAT』には未収だった)。イントロの広がりのあるギターに続いて歌われる、シャイでツイてない男の描写に感情移入して聴いていたな…。だけど2013年の今、この曲を聴くとまるで24歳の奥野が50歳の奥野敦士へ向けて歌ったかのようにも思える。辛いことに変わりはないが、何だか歌というものの不思議さを感じてしまう。  ただ今降ってる 人生の雨やむまで  かさもささず僕は ずっと待ってる    終わりのない歌がきこえる 都会の音をもみ消して  悲しくても せつなすぎても  いつかは雨もやむだろう    さびしがりや にわか雨だよ 昨日の復活ライブは盛況のうちに終わり 奥野のブログ・『奥野敦士の気まぐれ日記』 、バンドは活動を続けていくようだ。

My Wandering MUSIC History Vol.2 太田裕美『木綿のハンカチーフ』

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1975年CBSソニーからリリースのシングル。 私にとっては初めてジュークボックスを使ったという思い出の曲。どこへ行ったのかは覚えていないけれど家族旅行で泊まった旅館のロビー(だったと思う)に置いてあったジュークボックスでこの曲を選んだ。ジュークボックスは四角い箱型で、タイトルが手書きで、大きめの赤い選曲ボタンがついていた。たぶん50曲位は入っていたのではないかな。1曲幾らだったか覚えていないけど…。 この曲が気に入っていたのは、タイトルの “木綿のハンカチーフ” がサビとかで連呼されるのではなく、4番まで聴いて、それも最後のフレーズで登場するというのが他の歌と違って変わっていて面白く、子供心に気が利いてるなと感じたからと思う。それに都会で願望を叶えようとする彼と、あなたの他は何もいらないという彼女のやりとりが交互に歌われていく歌詞も面白かった。あなたに会いたい、君が恋しい、という心情吐露を強調するのでは無く、都会や田舎の風景、それに付随する小道具を使って松本隆が描き出した世界は、太田裕美のピュアな歌声と親しみやすい筒美京平のメロディ、軽快なサウンドと共に洗練されたポップスとなっている。 この歌詞がボブ・ディランの「Boots of Spanish Leather」に似ている、というのは知られた話だが、歌詞の構造を下敷きにしているだけで、松本隆はディランとは違うとても解りやすいかたちに独自の世界を作り上げていると思う。 「木綿のハンカチーフ」は1975年リリースのアルバム『心が風邪をひいた日』に収録され、のちにシングルとして発売するために再録音された。その際3番の “恋人よ君は素顔でくち紅もつけないままか” の歌詞が “恋人よいまも素顔でくち紅もつけないままか” に変更され、 “今も”という語句で昔とかわらない女性像を際立たせている。アレンジもアルバムのやや素朴なもの(編曲は荻田光雄)からシングルでは弦を強調、バックコーラスを加えるなど化粧し直されたヴァージョン(編曲は筒美京平と荻田光雄)となり、シングルはオリコンで2位を記録するヒットとなった。 *右上のジャケ写は2003年に発売されたタイムスリップ・グリコ・青春のメロディー食玩CD(TDDD9030 AR-G002)8cmシングル。表題曲のみ1曲入りだった。

My Wandering MUSIC History Vol.1 葡萄畑『がきデカ 恐怖のこまわり君』

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1975年ポリドールからリリースのシングル。 私の音楽遍歴を振り返る超個人的シリーズ、“My Wandering MUSIC History”。私の放浪音楽史。まぁ、どうでもいい内容だと思うけど…。音楽遍歴といっても、小さい頃買った(買ってもらった)ウルトラマンとか仮面ライダーとか何とかロボとか宇宙戦艦なんとかの音楽レコードやセリフが入ってるソノシートやレコードは外して思い出してみると、たぶん、このシングルレコードが最初に自分で買ったロック系のレコードではないだろうか。 小学生のころは多いと思うけど私は漫画好きで、特に石森章太郎のコミックを集めていた。近くの本屋に無いときは自転車に乗ってかなり遠くの本屋まで買いに行ってた。今はもう手元には無いけど『番長惑星』や『竜神沼』、『アガルタ』なんか特に好きだった。もちろん『009』も。周りの友人達も漫画好きが結構いて手塚治虫やジョージ秋山、横山光輝、永井豪なんかの作品も結構読んだ。 ただ同時代的に出てきた山上たつひこの『がきデカ』は衝撃的で、登場するナンセンスなギャグやキメのポーズ、エロというか下ネタのたぐいは、すっかり全国の子供を虜にしてしまった。私も虜になり、たぶん途中まではコミックを買っていたと思う。それで好きが高じてこんなレコードまで買ってしまっていた。近所の本とレコードを売っていた本屋で自分で金(500円)を払って買った記憶は確かにある。名前は思い出せないけどその本屋も今はもう無い。ついでに言うとうちの近所で3~4軒位あったレコード屋は今はすべて無くなった。 それで漫画好きの少年が葡萄畑の「がきデカ 恐怖のこまわり君 c/w スジ子のブルース」を聴いてどう思ったのか。あたりまえだけど葡萄畑のレコードが欲しかったのではなく、がきデカのレコードを買ったのだ。何を期待していたのだろう…。漫画と同じくらいの面白さを期待したのだろうか。漫画という音のない世界のこまわり君を音にするとどうなるのかに興味があったのだろうか。 こまわり君のギャグ “んが~” で始まり、エレキ・ギターのリフにのせて歌われるこまわり君のやや説明的な歌詞は山上たつひこが作詞したもの。途中にはさまる “こども電話相談室” のマネ部分が面白い(当時ラジオでやってた番組、今この曲を聴いてわかる人がどれだけいるのだろうか…)ノヴェルティ・ソングというかコミック・

DUSTY SPRINGFIELD「MAKE IT WITH YOU」

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1999年リイシューのアルバム『In Memphis - Deluxe Edition』より。 NHKの「ミュージック・ポートレート」を見て興味の湧いたもう1曲がダスティ・スプリングフィールドの「Make It With You」で、やはり“よしもとばなな×サンディー”の回でサンディーが3曲目に運命の出会い、として選んでいた曲。 ダスティ・スプリングフィールドはこれまでバカラック関連のオムニバスで聴くくらいで「The Look of Love」が凄く好きなんだけれど、オリジナル・アルバムを入手してはいなかった。この「Make It With You」が放送で紹介されたとき、ダスティ・スプリングフィールドの『イン・メンフィス』のアルバム・ジャケットが映し出されていたから、 “あ、この曲はこのジャケのアルバムに入ってるんだな”と頭にインプットされた訳だが、1969年リリースのオリジナル『イン・メンフィス』に「Make It With You」は収録されていない。 1999年にライノがリイシューしたオリジナル11曲にボーナス・トラックを14曲追加したデラックス・エディションに初めてこの「Make It With You」が収録された。…ということはサンディーが歌手なるきっかけの時(1970年代前半と思う)に歌った「Make It With You」はダスティのヴァージョンでは無いと思うのだが、オリジナルのブレッドによるものか、ほかの人のカヴァー・ヴァージョンを参考にしたのか。ダスティによる録音は1971年にニューヨークのスタジオでされており(『ブラン・ニュー・ミー』の次アルバム用に録音されたがリリースされなかった)サンディーはどこかで聴いていたのか…。 「Make It With You」のオリジナルはアメリカのバンド、ブレッドが1970年にシングルでリリース、全米1位、全英5位のヒットとなった。アレサ・フランクリンやシラ・ブラック、アースウィンド&ファイア、クロディーヌ・ロンジェ等、多くのアーティストにカヴァーされている。 ダスティのヴァージョンは、イントロのギター、リムショット、キレのよいベースフレーズ、続く魅惑的で深く、息遣いのように響く、だけど滑らかなダスティの歌声、歌われる蠱惑的な歌詞、流麗なストリングスと素晴らしいアレンジ。ブルー・アイド・ソウル/ソフト・ロッ