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3月, 2017の投稿を表示しています

ウィルコ・ジョンソン著・石川千晶訳『ウィルコ・ジョンソン自伝 不滅療法』

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2017年2月1日、リットー・ミュージック刊 ウィルコ・ジョンソンの自伝が刊行された。原題は“Don't You Leave Me Here”で、邦題にはドクター・フィールグッドのセカンド・アルバムの邦題をもじって“不滅療法”とタイトルがつけられている。邦訳は石川千晶。 生まれ故郷のイギリス・キャンヴェイ島のエピソードから始まり、ウィンドウ越しのテレキャスターや愛妻アイリーンやリー・“コリンソン”ブリローとの出会い、インド放浪の旅、ドクター・フィールグッドの結成、教職、バンドの人気上昇、アルバム制作のエピソード、フィールグッドとの別れ、ソロ活動、愛妻との死別、自らの癌告知、フェアウェル・ツアー、手術の決意~闘病生活、そしてステージ復活まで。ウィルコ・ジョンソンが自らの人生を振り返った読み応え十分な自伝だ。  全体を通して読みやすく、興味深い内容ばかりだが。特に楽しいのは、やはりフィールグッド結成~人気を獲得していくところや、イアン・デューリーのブロックヘッズに合流したあたりかな。それに何度も来日しているウィルコなだけに日本に関するエピソードも頻繁に登場し、日本に対する思いも温かい。しかし終盤の術後の格闘描写は壮絶というほかない。 写真も豊富に掲載されているが、ステージ写真の他にオフ・ステージ、ウィルコの家族写真も。だけどウィルコの体に刻まれた“メルセデス・マーク”を見るのは痛々しい。天文学好きやサイクリング好きなど趣味のエピソードもあり。 ディスコグラフィやギゴグラフィはないが、ドクター・フィールグッドの1~3枚目まではジャケ写真付きで1ページを使って曲名とパーソネルが紹介されている。 私が生ウィルコを観たのは1991年3月2日のインクスティック鈴江ファクトリー。Ki君のマルニBMWに乗って行ったなぁ。開演前に子供連れの鮎川夫妻が「ハウンドドッグの鮫島はおらんか」みたいな会話をスタッフとしながらこちらに向かってきたときは、鮎川夫妻の迫力にびっくり。ライヴはすげー盛り上がって、ウィルコのギターの弦が切れて張りかえるときのパフォーマンスも可笑しかった。 自伝の中でレコーディング風景が記されているロジャー・ダルトリーとのアルバムは未聴なんで入手するかな。

追悼・CHUCK BERRY「BYE BYE JOHNNY」

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1960年7月、CHESSよりリリースのアルバム『Rockin' At The Hops』より。 2017年3月18日、ロックンロールの偉大なパイオニアのひとりであるチャック・ベリーが亡くなった。 私がパンク・ニューウェイヴを盛んに聴いていた1980年代の頃には、ロックンロール・フォーマットの解体なんてお題目で、チャック・ベリー・スタイルのロックンロールを過去の遺物として否定していたものだったが、例えばライヴ・ハウスでルースターズの大江慎也が歌う「Come On」や、鮎川誠が歌う「Around And Around」を間近に見聴きすれば、チャック・ベリーの曲のカッコ良さを感じることが出来た。 そこからストーンズのアルバムを聴いて、さらにチャック・ベリーのオリジナルを聴いて、その偉大さに気付いたんだ。ストレイ・キャッツが演奏する「Beautiful Drlilah」やウィルコ・ジョンソンが歌う「Bye Bye Johnny」なんかも同様にチャック・ベリーを馴染みあるものにしてくれたな。 チャック・ベリーのオリジナル・アルバムでは4枚目となる『Rockin' At The Hops』。 「Bye Bye Johnny」、「Down The Road A Piece」、「Let It Rock」といったストーンズがカヴァーした曲を含むアルバムだ。花田裕之も“オレの100枚”で選んでいたっけ。

『小室等の新音楽夜話』予告・ムッシュかまやつ追悼

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TOKYO MX『小室等の新音楽夜話』で3月1日に亡くなったムッシュかまやつの追悼特集が放送された。 ライヴ演奏は「あの時君は若かった」と、尾崎亜美、小原礼が参加しての「どうにかなるさ」。トーク部分も興味深い。MX1での放送は終了しているが、MX2で2017年3月20日(月)23:30~23:55に再放送がある。

追悼・中西俊夫 TYCOON TOSH feat.MEW

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あれから6年…。 2017年2月25日に亡くなった中西俊夫(Tycoon Tosh名義)がヴォーカロイドを使用して2012年に制作した「WORLD'S END」。坂本美雨の声を使用したヴォーカロイドで制作されている。 もともとは2007年にナチュラル・カラミティのクニ杉本とTycoon Tosh and Kuni Sugimotoとしてリリースした『LET IT DUB』に収録されていた楽曲のリメイクだ。 メロンの「Final News」、ソロワークでの鉛装丁カセットとかチェルノブイリ後にリリースした『Chinasyndrome』と、反核・反原発の立場を明確にしていたミュージシャンでもあった。 この曲にもその願いは込められている。

THE ROOSTERS「GO FUCK」

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2004年9月29日リリースのオフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』より。 1982年12月号の「プレイヤー」誌に掲載された山名昇によるルースターズのレコーディング・レポート。レコーディングは1982年9月30日と10月8日とある。一部引用すると、 “この間、完成されたのは8曲。「ニュールンベルグでささいて」、「撃沈魚雷」、「バリウム・ピルス」、「ロージー」、「ゴー・ファック」、「巡航ミサイル・キャリア」、「ゴミ」、「ニュー・カレドニア」。後半分の4曲は、近い将来、何らかのかたちで発表されることになるだろう”と記載されていた。 前半分の4曲は1982年11月にShan-Shanからリリースされた12インチ『ニュールンベルグでささやいて』収録曲だ。後半分4曲のうち「巡航ミサイル・キャリア」は「C.M.C」に、「ニュー・カレドニア」は「カレドニア」とタイトルを替え、1983年7月に2枚目の12インチ『C.M.C』に収録された(リリースに向けては追加レコーディング作業がおこなわれたと推測する)。「ゴミ」は1984年4月にリリースされたアルバム『グッド・ドリームス』に収録された。こちらはベーシックトラック制作時期1982年9月と記載があるから、追加レコーディングをして完成させたトラックだ。 そして「Go Fuck」だけが発表されず長い年月が過ぎていった…。 なぜこの曲が未発表だったのか明確な説明は無かったと思うが、歌詞の内容がレコード会社側からして発表を躊躇させるものだったのか、それともとりあえず各楽器、歌のテイクはOKとしてレコーディングは終了したものの、リリースにむけて更に手を加える事にバンド側が興味を失い放置してしまったのか。バンド側に無許可で未発表の楽曲をリリースされることもあったルースターズだが、この曲に関しては管理がしっかりされていたのか、アンオフィシャルでのリリースもなかった。機会としてはアルバム『グッド・ドリームス』に収録するのもありだったと思うが…(当時のイメージではなかったかな?)。 そして録音から実に22年の時を経た2004年9月29日、27枚のCD、5枚のDVDからなる32枚組(+特典DVD1枚)オフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』がリリース。その中のCD-27「Rare Studio T