THE ROOSTERS「GO FUCK」

2004年9月29日リリースのオフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』より。

1982年12月号の「プレイヤー」誌に掲載された山名昇によるルースターズのレコーディング・レポート。レコーディングは1982年9月30日と10月8日とある。一部引用すると、
“この間、完成されたのは8曲。「ニュールンベルグでささいて」、「撃沈魚雷」、「バリウム・ピルス」、「ロージー」、「ゴー・ファック」、「巡航ミサイル・キャリア」、「ゴミ」、「ニュー・カレドニア」。後半分の4曲は、近い将来、何らかのかたちで発表されることになるだろう”と記載されていた。

前半分の4曲は1982年11月にShan-Shanからリリースされた12インチ『ニュールンベルグでささやいて』収録曲だ。後半分4曲のうち「巡航ミサイル・キャリア」は「C.M.C」に、「ニュー・カレドニア」は「カレドニア」とタイトルを替え、1983年7月に2枚目の12インチ『C.M.C』に収録された(リリースに向けては追加レコーディング作業がおこなわれたと推測する)。「ゴミ」は1984年4月にリリースされたアルバム『グッド・ドリームス』に収録された。こちらはベーシックトラック制作時期1982年9月と記載があるから、追加レコーディングをして完成させたトラックだ。

そして「Go Fuck」だけが発表されず長い年月が過ぎていった…。
なぜこの曲が未発表だったのか明確な説明は無かったと思うが、歌詞の内容がレコード会社側からして発表を躊躇させるものだったのか、それともとりあえず各楽器、歌のテイクはOKとしてレコーディングは終了したものの、リリースにむけて更に手を加える事にバンド側が興味を失い放置してしまったのか。バンド側に無許可で未発表の楽曲をリリースされることもあったルースターズだが、この曲に関しては管理がしっかりされていたのか、アンオフィシャルでのリリースもなかった。機会としてはアルバム『グッド・ドリームス』に収録するのもありだったと思うが…(当時のイメージではなかったかな?)。

そして録音から実に22年の時を経た2004年9月29日、27枚のCD、5枚のDVDからなる32枚組(+特典DVD1枚)オフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』がリリース。その中のCD-27「Rare Studio Tracks Ⅲ」に収録され、ルースターズ幻の名曲にして“80年代最後のプロテスト・ソング”と呼ばれた「Go Fuck」がついに陽の目を見た。
作詞・作曲は大江慎也。「恋をしようよ」の続編というか姉妹編というか発展形とも思える、気恥ずかしくなるような直接的でセクシャルな表現の歌詞だが、キーボードも加え、ミディアムなスピードの演奏にのせて歌うアレンジは、どこかロマンチックで儚く脆い印象も与える性の賛歌(言いかた古いか…)、VIVAFUCK。

オフィシャル・パーフェクト・ボックス『Virus Security』には「Go Fuck」のライヴ・ヴァージョンも収録されていて、CD-21「LEGENDARY LIVE IN 1982」には1982年8月18日大阪バーボンハウスのライヴが収録されている。ここでは英語で歌われており、曲の中間にギターソロがあるヴァージョン。CD-22「LEGENDARY LIVE IN 1982」には1982年9月4日横浜シェルガーデンのライヴが収録されている。中間のギターソロはソロというよりバッキング風のアルペジオに変わっており演奏はスタジオ録音の「Rare Studio Tracks Ⅲ」に近い印象。このライヴでは日本語と英語を交えて歌われている。個人的には前者の大阪バーボンハウスで演奏されたアレンジが好み。

「Go Fuck」は“THE ROOSTERS LET'S ROCK TOUR”と銘打った1982年6月頃からライヴのセットに組み入れられ、大江がダウンする1982年9月まで演奏されていたが、そのあとルースターズが解散する1988年までにライヴで演奏されたことがあったのだろうか。1984年8月27日~9月2日に新宿ロフトでおこなわれた7日間連続ライヴ「Person To Person」では、ルースターズのデビューからその時点までの代表曲を日替わりで網羅した選曲だったが、そこでもこの曲が演奏される事は無かった。

解散後では、大江慎也が2006年7月7日に新宿ロフトでおこなったライヴ(メンバーはG花田、D池畑、ベースは渡辺圭一だった) のアンコールで「Go Fuck」が演奏されている。その後大江ソロ弾き語りライヴではこの曲を演奏することもあった。再生したルースターズでは2013年10月7日と8日の2日間、京都磔磔にて行われたルースターズのライヴで演奏されており、京都磔磔のステージを収めた2014年4月リリースのDVD『All These Blues』には両日に演奏された「Go Fuck」が収録されている。

「Go Fuck」が何故 “80年代最後のプロテスト・ソング ”と呼ばれたのか。まぁそう書いた山名昇にしかわからないし、真意は作者の大江慎也にしかわからないことだけど、この頃、その題名をバンド名にしてしまうほどルースターズ周辺にとっては関心があった(と思われる)ジョージ・オーウェル著「1984年」をひもとくと…。

ビッグ・ブラザーの下、党により極限まで管理された社会。テレスクリーンという双方向に受送信できる機械で声も行動も監視されている。公用語として使われているのはニュースピーク(新語法)で、例えば自由(free)という単語には政治的に自由とか知的に自由といった使用法は許されず、単語から語彙が削減されている。好ましくない意味は追放された。名誉、正義、道徳、国際主義、民主主義、科学、宗教といった用語は姿を消した。
性生活についても規制・管理されており、夫婦間で子供を作る目的の為だけの正常な性交だけが許され、性交のための正常な性交までも性的倒錯などと同じく死刑に値する犯罪として扱われる。そしてたとえ夫婦間の正常な性交であっても妻の方は肉体的な快感を感じることは禁じられていた。

この超管理社会に生きる主人公ウィンストン・スミスが党への疑問をもち、反政府活動に加担していこうとする小説の序盤、ジューリアという女性と惹かれあい肉体関係をもつ。ウィンストンは妻帯者だが妻と別居中の36歳、ジューリアは独身で自分の人生を楽しく過ごそうと党のルールを巧みに破って生きている26歳。その二人の行動心理を分析・考察する記述がある。

“今日では純粋な愛情も純粋な欲望も抱くことはできない。もはや純粋な感情というものは存在しないのだ。何もかも恐怖と憎悪が入り交じっているからである。二人の抱擁は一つの戦いであり、その最高潮は一つの勝利であった。それは党に対して一撃を加えることであった。それは一つの政治的行動であった”
[小説「1984年」(ジョージ・オーウェル著/新庄哲夫訳/早川文庫)から引用]

ディストピアとはいかないまでもソフトな管理社会が目前まで迫っていると言われていた1980年代前半、管理社会に対する“プロテスト”行為としての快楽の追求…。「Go Fuck」では、背骨が折れるくらいに2人が抱きあう姿と、
“口笛吹いて声たからかに腰をふるわせよう”
“快楽の喜びに泣こう”
と恐怖も憎悪もなく純粋な歓喜という感情を大江慎也は高らかに歌っている。

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