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Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.3 真保みゆき・小嶋さちほ著『乙女のロックだんご』etc...books about ZELDA

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍を紹介。今回はまるまる一冊全てではないが、ゼルダ関連をいくつか。 右の画像で右上は、ミュージック・マガジン社から1985年に刊行された『乙女のロックだんご』。真保みゆきと小嶋さちほの共著。「にっぽん」、「アメリカ」、「ヨーロッパ」の当時のロックシーン・アーティストを二人の対談、インタビュー、評論で取り上げている(「にっぽん」の章ではインタビューは無し)。小嶋さちほはジョニー・サンダースとユーリズミックスのインタビューを掲載。四つ目の章では「二人のロックだんご」として「真保みゆきのロック半世紀」と「小嶋さちほのパンク半世紀」を掲載している。「小嶋さちほのパンク半世紀」は上・下に分かれていて、上が“ゼルダのリーダーになるまで”と題され、幼少期から女子美附属高校時代のエピソード、高校卒業後からのロック漬け生活〜ミニコミ『Change 2000』発刊くらいまで約9ページ。下は“お母さんになっちゃた”と題された出産〜育児について約10ページほど。表紙の二人のイラストは霜田恵美子によるもの(右の上の画像では小嶋さちほの顔が隠れちゃってるけど)。この本はミュージック・マガジンの“コンパクト・ブックス”シリーズの1冊として刊行されているが、巻末の続刊予定に地引雄一著『東京のパンク・ロック』が“10年の総括、写真多数”として紹介されている(後の『ストリート・キングダム』)。 小嶋さちほが作ったミニコミ『Change 2000』は画像だと下部分の2冊で1号と12号。1号(1979年4月30日発行)では、モモヨへのインタビュー、映画『ROCKERS』の製作・監督の津島秀明へのインタビュー、ヒカシューへのインタビュー(AUNT SALLYを絶賛)の他、”NOISE VOX”というニュースやゴシップを中心にしたコーナーでは“ボーイズ・ボーイズからチホが脱退、彼女はニューバンドを作るにあたってメンバーを募集”と後のゼルダとなるバンドメンバー募集記事、モモヨやツネマツなどの飼い猫紹介、それにS-KENも好きだというハーラン・エリスン著『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワSF文庫)の紹介があり、私も購入して読みましたよ。12号はチャンス・オペレーションのヒゴへのインタビュー、アコとフキエにメンバー交代直後のゼルダの近況、ツアーレポート、舞踏・山海塾へのイ...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.2 藤沢映子著『ZELDA物語』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 JICC出版局より1988年に刊行された、ゼルダのヒストリー本『ZELDA物語』。著者は1986年夏のイベント「秋田ロックシティカーニバル'86」で初めてゼルダを観た・聴いた藤沢映子。小嶋さちほより少し年上という著者はライヴハウスで紅蜥蜴のライヴを体験しているが、“ただ怖い変人に見えた”というし、東京ロッカーズの時代、さちほとは、“どこかのライヴ・ハウスで一緒になっていたハズだ”という。東京ロッカーズが決して楽しいものに思えなかった著者だったが、ゼルダに出会ってこのバンドのことをもっと知りたいと思うようになった。それはゼルダ結成者である小嶋さちほを知ることであり、ゼルダが生まれた東京ロッカーズ・シーンを知ることでもある。 基本的に執筆当時のゼルダのメンバーへのインタビューをもとに構成しており、小嶋さちほ、高橋佐代子、石原富紀江、小澤亜子の生い立ちを第一章に、さちほの東京ロッカーズ・シーンとの関わり〜ボーイズ・ボーイズ結成〜脱退、ゼルダ結成〜初期メンバーのヨーコ(鈴木洋子)、マル(野沢久仁子)脱退〜石原と小澤加入までが第二章。ここまでで全体の3分の2の分量。第三章では新メンバーとなっての活動、ファンキーに変遷していった音楽スタイルやカラフルになったファッションなども交えて1988年9月の日比谷野音ライヴあたりまでが描かれている。 S-KENスタジオで初めてベースの音を出したあのシーンも、バンドとして不本意な作業となったファースト・アルバムのレコーディング現場もゼルダ側の言葉として書かれている。 本文の下段にはゼルダに関係・交友のあるアーティスト等のコメントが載っていて、セカンドアルバム『カルナヴァル』をプロデュースした白井良明やそのアルバムに収録された「Are You Lucky? ラッキー少年のうた」を提供した鈴木慶一、バンドでゼルダのコピーをしていたという森高千里らのコメントを掲載。 巻頭や文中には執筆当時のメンバーのライヴやオフショットの写真、巻末には1980年から1988年(9月)までのライヴ・ヒストリー(年表)、メジャーからリリースしたディスコグラフィー(1988年リリースのアルバム『シャウト・シスター・シャウト』まで)を掲載している。

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.1 菅原庸介著『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 (株)ドールより1987年に刊行された、東京ロッカーズの代表的バンドであるリザードのモモヨ(菅原庸介)が執筆した自伝的小説『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が当時のアーティスト・関係者達の、主にピュアな部分を抽出して作り上げられた物語だとしたら、このモモヨが“視た夢幻をつらつら書き写した”という”自伝的小説”は、同じ時期を描いた部分もありながら、時にけしの森で迷い囚われ、享楽と邪な情念が渦巻く狂おしい人間関係の中に生きた経験を振り返った物語であり、破局の後に日本の古の歌人とロックンロールを重ね合わせていくことで新たな道を探り出し再生を告げた書でもある。 モモヨの中学・高校時代のエピソードや、もちろん<通底器><幻想鬼><エレクトリック・モス>といったバンドを経た後、紅蜥蜴を結成しリザードと改名した音楽活動の足跡も知ることができる(リザードとして1986年に発表した4曲入りミニアルバム「Book of Changes」まで)。 モモヨ自身が”自伝もどき”と記しているが、レコードのリリース、記された事件や事故の一部は他の出版物に記録されたものと表面的には変わらない事実であり、多くの人物やバンド名は変名となっているが実名で登場している箇所もある。もちろん書かれている修羅場と化した人間関係は知る由もないが、日本のアンダーグラウンドシーンやパンクロックシーンの裏側で何があったのかを知る・夢想するには格好の書だ。 “まず、この道に至らんと思わん者は、非道を行ずべからず” と世阿弥『風姿花伝』の言葉を引いた後、こう記している。 “ただ、ひたすらロックン・ロールするばかりでよい、他に示すべき何もない”(「あとがき 夢現」より)。 この本の中でモモヨが”家では画集を眺めることが多かった。ギュスターヴ・モローという、世紀末フランスの画家やデルフトのフェルメールが好きだった”と記しているが、私が後にフェルメールの絵画を好きになり(2000年に大阪で開催されたフェルメール展観に行った)、最初読んだ時は気にしてなかったけど、読み直したときフェルメールの名前を見てうれしかったな。

松山晋也監修・別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』

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2026年3月31日、Pヴァインより刊行。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』、いくつかレビューを読んだけど、当時を経験した世代、または東京ロッカーズ周辺を日本のロック史として知っている(聴いている)人たちは、ああしたらよかった、これが足りないみたいなレビューもあったが、当時の音楽シーンを知らない若者、世代には概ね好評のようだ。それは監督や原作者が望んでいたことでもあると思うので、なんか安心した。 その映画ではとりあげていなかった関西パンクシーン、関西NO WAVEと呼ばれたバンド・アーティスト群も1978年〜1979年には活躍し東京でもライヴをおこなっていたが、その代表的なバンドのひとつであるアーント・サリーを表紙にした、別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』が出版された。 映画『ストリート・キングダム』が公開され、ここにきて書籍『ストリート・キングダム 最終版』、写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』と購買意欲を刺激される出版が続き、この他にもフリクションのシングル「Crazy Dream」や「I Can Tell」のアナログ再発もあり、さすがにシングルの音源はCD等数種持ってるので買わなかったけど。この『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』は、かつて雑誌『ロック画報』08号で吉祥寺マイナーについて回想録を書き、“何よりも「東京ロッカーズ」などといういちゃついたネーミングに嫌悪感を抱いていた”という松山晋也が監修している(『ロック画報』08号に掲載されていた記事は、松山晋也のブログに「 吉祥寺マイナーのこと 」として公開されている)。 地引雄一へのインタビューでは、地引が田舎の生活を撮影した写真が見られる(1枚だけど)。見たかったんだよねぇ…地引雄一が東京のロックシーンを撮影する以前の写真。福島県の農村を撮影した写真には、傾いた土壁の納屋と頰かむりをした農夫が写る。写真雑誌にも掲載されたというが他も見てみたい。インタビューはその頃の話題から最近のインディーズ・シーンとの関わりまでを語る、写真を含め16ページ。S-Kenのインタビューは写真を含め12ページで、ポジティヴな波動に満ちた内容。 小嶋さちほのインタビューは短いけど(写真を含め8ページ)、自身の音楽活動がパンクからスピ...

地引雄一撮影・写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』

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2026年3月25日、Record shop BASEより刊行。 地引雄一が1978年から1985年にかけて撮影したフリクションの写真集が発売された。フリクションの写真集というとレック撮影写真集+佐藤ジン・地引雄一・広瀬忠司らによる撮影のフリクション写真集という2冊組(+ライヴCD)『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』(カラーフィールド刊・2008年)があったし、地引雄一の写真集は様々なバンド・アーティスト写真を収録した『TOKYO STREET ROCKERS 1978→1981』(リトルモア刊・2009年)があったが、地引雄一単独の撮影によるフリクション写真集は初の刊行となる。 巻末に掲載されたRecord Shop BASE・飯嶋俊男の「制作、発刊にあたって」によると、“あくまで主役は地引氏”と記されている。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』と同じく主役はユーイチ、そのファインダー越しの眼差しだ。オンステージでは強烈に放射されるエネルギーが感じられ、オフステージではリラックスしユーモラスにも感じられる写真の数々。フリクションのバイオグラフィーと写真のINDEXを含む160ページ、A4サイズの写真集だ。 地引雄一の写真の魅力というとなんだろう…臨場感、それに被写体/バンドとの近さ…かな。音圧を感じるような接近戦といってもいいかも。 A4サイズなのでこれまで見たことのある写真もドーンと大きく見ることができる。恒松の弾くギター、ダブルカッタウェイのレスポールジュニアのヘッドには「Burny」のロゴ。 写真集には未発表の5曲入りCDが付属している。 曲目は下記、 1. I CAN TELL 1978年5月28日 六本木S-KEN スタジオ(レック、チコ・ヒゲ、ラピス) 2. CRAZY DREAM 1979年4月22日 新宿ロフト 3. ニューセンセーション 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター 4. CYCLE DANCE 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター (Track 2, 3 & 4 レック、チコ・ヒゲ、ツネマツ・マサトシ) 5. ニューセンセーション 1981年1月10日 市ヶ谷法政大学学生会館大ホール(映像では既発) (レック、チコ・ヒゲ、ゲスト:ノン G&Key ) 『J...

映画・田口トモロヲ監督作品『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』

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映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』。最寄りの映画館では上映なし。少し離れた町のシネコンまで電車で出かけた。公開直後なので少しだけ。 映画の冒頭、監督の田口トモロヲがナレーションを務めるNHKドキュメンタリーを模したような主人公ユーイチ(峯田和伸)の語りから始まりクスッと笑わせてくれる。1978年というあと少ししたら半世紀前になろうかという出来事をもとにした作品のため全体的にやや説明が多いと感じるものの、日本パンク黎明期の熱意と熱気、シーンの高揚と喪失、そして拡散をうまく捉えていると思う。 フォトグラファーという表現者でありながらもシーンを客観的に見ているという立場でもあり、交渉ごとや清算など実務的なものにルーズになりがちなバンドの人間に代わってそれらを担当せざるを得なくなったユーイチ役を峯田和伸が好演。印刷屋の娘という設定でミニコミを発行しているサチ(ゼルダのチホがモデル)を吉岡里帆が明るくパワフルにそして爽やかに演じている。吉岡里帆から「リディア・ランチ」という言葉を聞いたときは新鮮だったなぁ。それに若葉竜也が演じるバンド・TOKAGEのモモ(リザードのモモヨがモデル)の3人を中心に物語は進む。 どうしてもモデルのバンドの再現力に興味がいってしまうところだけど、ロボトメイア(ゼルダがモデル)が「うめたて」を演奏するライヴシーンはなかなか感動的な再現力。吉岡がベースを弾く姿も絵になっていてかっこいい。音はオリジナルの音源を使用した当て振りだが映画館の大音量で聴けるのもうれしい。それに新宿ロフトの外観の再現力は驚異的だ。ロフトの建物はもちろん、隣の家とその奥の建物を完全再現(VFXか)。素晴らしい。 1978年から1981年頃までのシーンをギュッと圧縮、同時進行していなかった事柄も並列で描いており、パンフレットには事実にフィクションを織り交ぜドラマ性を高めて観客が理解し易くした、と監督が語っている。宮藤官九郎が脚本ということで何となく想像できたがややコミカルなタッチ、でもホロリとさせる部分もあり、リアリティをキープしながらポジティブな作品となっている。原作にあったエピソードで幾つか入れてもよかったんじゃないかとか、あのバンドのこの曲を使って欲しかったと思うところはあるけど、まぁ、おっさんのノスタルジーというより現代の若者が観てどう感じるかが重要だ。

地引雄一著『ストリート・キングダム』再刊!

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3月27日公開、田口トモロヲ監督・映画『ストリートキングダム自分の音を鳴らせ。』の原作、地引雄一著『ストリート・キングダム』が最終版として再刊。タイトルは、 『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』 刊行はSLOGAN / indies pressより。 下記はSLOGAN HPのインフォメーション。 https://www.slogan.co.jp/streetkingdom/ 上の画像は『ストリート・キングダム』2008年改訂版刊行時のフライヤー ミュージックマガジンより1986年に刊行された初版 『ストリート・キングダム 東京パンク/インディーズ・シーンの記録』 K&Bパブリッシャーズより2008年に刊行された改訂版 『STREET KINGDOM 東京ロッカーズと80'sインディーズシーン』

雑誌『昭和40年男 2026年2月号 vol.95「俺たちを直撃したパンク/ニューウェイヴの衝撃」』

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今年の正月休み、届いたばかりのサンハウス・ボックスを聴いて観て、TVK1月2日放送『ライブ帝国Revival RCサクセション 80's』(去年11月の再放送)とEテレ1月3日放送『AKIRA』(大友克洋監督)を録画したのを観て、一瞬いったい今は何年だっけ?と思ったが、さらにその気分を深くする雑誌が発売された。『昭和40年男 2026年2月号 vol.95「俺たちを直撃したパンク/ニューウェイヴの衝撃」』で2026年1月9日(株)ヘリテージより刊行。 この『昭和40年男』という雑誌、本屋でたびたび見かけて手にとることもあったが購入することはなかった。今年3月に田口トモロヲ監督映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』が公開されるタイミングでオリジナル・パンクやニューウェイヴの特集、東京ロッカーズ関連の記事もあり、これはちょっと読んでみたいな、と思い購入。アーティスト、作家、デザイナー、フォトグラファー、プロモーターなどが自身の受けたパンク、ニューウェイヴからの影響を語っている。 インタビュー対象は、 ・小山田圭吾 ・KERA ・高木完 ・ハービー山口 ・ブレイディみかこ ・北村信彦 ・高橋ツトム ・麻田浩 ・S-KEN ・地引雄一 ・仲野茂 ・田口トモロヲ ・大貫憲章 それぞれ興味深い・面白いエピソードを語っているが、特にハービー山口のジョー・ストラマーとのエピソードがいい。ジョーが亡くなってすぐシンコーミュージックから出た追悼本に使われていた列車内のジョーの写真はそういう経緯だったのか。プロモーター麻田浩(トムス・キャビン)のインタビューでは、かつて勤めていたジェニカ・ミュージックでルースターズを担当、今では当たり前のように使われる“めんたいロック”というネーミングについて語っている。鮎川誠のアンプを借りた話もいい。ヒステリックグラマー創設者の北村信彦が語るパティ・スミスのポラロイド写真集を制作した時の逸話もいかにも。S-KEN、地引雄一と田口トモロヲが東京ロッカーズ、今回の映画周辺の話題について語っている。映画の原作者・地引雄一を写した写真(65ページ)で地引の後ろに写っているのは映画内で使用したLP盤なのだろうか、トカゲのアルバム(リザードのファーストアルバムがオリジナル)、ノー!ノー!バンド(ノンバンドの10インチがオリジナル)が確認できる。6...

田口トモロヲ監督映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』(原作:地引雄一)公開!

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『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』トレーラー 地引雄一著『ストリート・キングダム』が田口トモロヲ監督で映画化されるということを前からちょくちょくニュース見て気になってたんだけど、これほんとに出来るのね。映画のオフィシャルホームページを見ると著者の地引、エスケン、モモヨ、レック、チホ、サヨコ、ミチロウ、アケミの配役わかるね。 以下 「パピネット」のHP より。 『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』 スタッフ 監督:田口トモロヲ 原作:地引雄一「ストリート・キングダム」 脚本:宮藤官九郎 音楽:大友良英 キャスト 峯田和伸 若葉竜也  吉岡里帆 仲野太賀 間宮祥太朗 中島セナ 大森南朋 中村獅童 監督:田口トモロヲ 脚本:宮藤官九郎 峯田和伸(銀杏BOYZ)×若葉竜也 W主演で贈る青春映画! 1978年、たった1年で世界を変えた者たち 彼らはこう呼ばれたーー「東京ロッカーズ」 【物語】 これは事実を基にした物語。1978年、偶然ラジオから流れたセックス・ピストルズに衝き動かされ、田舎から上京した青年カメラマンのユーイチは、小さなロックミニコミ雑誌「ロッキンドール」に出会い、とあるライブハウスへと足を運ぶ。そこで出会ったボーカルのモモ率いるバンド「TOKAGE」のライブに衝撃を受け、無我夢中でシャッターを押した。そこは音楽もバンドも観客たちも何にも縛られない生のエネルギーに溢れた異空間だった。正式にカメラマンとしてライブの撮影を依頼されたユーイチはモモたちと交流を重ねる。やがて彼らの音楽は瞬く間に若者たちを熱狂させ、そのムーブメントは“東京ロッカーズ”と呼ばれ、日本のロックを塗り替えていく。世界を変えたのは、才能だけじゃない。音に賭けた、名もなき若者たちの衝動だった。 『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』Official Site 劇場公開日:2026年3月27日 製作年:2025年 時間:131分 製作国:日本

高木完著『東京 IN THE FLESH』

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2022年3月20日、イースト・プレスより刊行。 1979年6月25日にゴジラ・レコード第5弾シングル「おきまりの午後 c/w In The System」(GZ-222)をリリースしたFLESHのヴォーカル、その後はDJ/ヒップホップ/クラブシーンへと活動の場を広げていく高木完の自伝的語り、および交友関係の対談を掲載した書籍で2022年に刊行された。 高木完はFLESH(オムニバス『ゴジラ・スペシャル・ディナー』で聴いた)の他、いとうせいこう&TINNIE PUNX『建設的』、ソロは『フルーツ・オブ・リズム』、『グラス・ルーツ』、『ヘヴィ・デューティ vol.1』まで聴いた。あと『星くず兄弟の伝説』のサントラも聴いたな。 この本の冒頭15ページには写真が掲載。母君に抱かれる生後2ヶ月から、FLESH、東京ブラボー、タイニーパンクスのステージ写真等が掲載されている。 文章部分は大きく2部に分かれていて、ひとつは「いくつかの場面」と題された“少年時代からヒップホップに出会うまでの自分語り”が60ページほど。こちらにも写真(モノクロだけど)やチラシ等が数点ある。 ふたつめは「東京 IN THE FLESH」と題された、高木完がナビゲーターを務めるJ-WAVEのラジオ番組「TOKYO M.A.A.D SPIN」の友人や先輩を迎えての対話を収録していて約380ページほど。登場するのは、  1. ヤン富田   2. 近田春夫  3, 高橋盾(UNDERCOVER)  4. 大貫憲章  5. NIGO®  6. 小泉今日子  7. 宇川直宏(DOMMUNE)  8. 細野晴臣  9. 小西康陽 10. 戸川純 11. レック 12. K.U.D.O(MAJOR FORCE) 13. EYE 14. YoshimiO の14名。 日本のロックやクラブカルチャー裏話的な内容から、高橋盾の東京セックス・ピストルズの話や、キョンキョンのアナーキー好きとかあまちゃん挿入歌の教授のエピソードや、戸川純の女優志望の話とか野音でみたRCとリザードの話や、レックのライヴ・オムニバス『東京ロッカーズ』のジャケは気に入ってないとかあの時フリクションのライヴ録音フルで残ってるんじゃないか等々、いずれも色々...

飯嶋俊男+古川博一:編『CHIRASHI Tokyo Punk & New Wave '78-80s』

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2022年3月31日、SLOGANより刊行。 1978年〜1984年までの東京(ほぼ首都圏)のパンク・ニューウェイヴ・シーンで撒かれたチラシ(ビラ/フライヤー)を700枚強収録した本が刊行された。A4判480ページの分厚い本だ。編者としてRecord Shop BASEの飯嶋俊男、音楽雑誌ライター、Marble Sheep等のメンバーだった古川博一。当時のシーンを振り返るには興味深いドキュメントだし、今は無くなったと思うけどネット上に個人が開設した同趣向のHPもあった。 ライヴや音源リリース告知、バンドメンバー募集などを印刷(コピー)したタダ(無料)のペラ紙がチラシで、手書きのイラストやバンドの写真にインレタや手書きの文字が使われていたが、なかにはデザインはともかく、どこかの本や雑誌から写真や絵を切り取ってコラージュしたり、新聞や雑誌から文字を切り貼りしたものもある。チラシはライヴ会場などに入場する際手渡しされたり、レコード店の置き場にあって興味あるものを持っていくもので、もとはタダのものを集め、それを3,900円(税抜)で売る、というのはどうなのか(700枚として1枚あたり約5.6円…当時のコピー代を思えば安いのか…)と思ったが、巻頭のカラーページ(32ページ)の鮮やかさや、チラシに込められたデザインを含めた情報を1枚ずつ読んでいくにつれて購入して良かったなと思う。 津島秀明監督の映画『ROCKERS』のチラシ、『パンク仕掛け99% No.2』ライブ告知、アルバム 『東京ロッカーズ』リリース記念ライヴの告知、色付きだったんだ…。マリア023のジュネとノンのカラー写真を使ったライヴ告知チラシもカッコいい。 東京アンダーグラウンドということで東京ロッカーズ、フリクション、ツネマツマサトシ、E.D.P.S関連のチラシもあるが、そのあたりは こちらのHP で取り上げるとして、ザ・ルースターズ関連では、 1981年11月20日(金)法政大学キャンパス特設大ステージ 「OUTSIDE ROCK CONCERT」 A.R.B IMITATION BUSINESS ROOSTERS CONX ETC. 1983年1月14日(金)池袋西武STUDIO 200 「通俗・異端・音楽実験室 SOGO ISHII'S PRESENTS 思春期挫折症候群(シンドローム)」 Live:...

BOYS BOYS「MONKEY MONKEY c/w CONTROL TOWER」

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1980年3月25日、PASSレコード/トリオからリリースのシングル。 遂に2019年再刊となった佐藤ジンの写真集『GIG』を見ていて、1978年〜1980年はほぼ東京ロッカーズ周辺のバンドが被写体となっているが、結構写真点数が多いなと思ったのがボーイズ・ボーイズだった。写真集に付属のインデックスでボーイズ・ボーイズのクレジットがある写真を数えてみると、1978年〜1980年にかけてオフショットやステージ写真が27枚掲載されている。 1978年5月28日六本木にS-KENスタジオがオープン、そこで行われていたフリクション、リザード、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KEN等のライヴに客として観に来ていた女子4人、クミ、エミ、チホ、カズミが S-KENのメンバーから“君たち絵になるからバンドやってみなよ”という勧めもありボーイズ・ボーイズを結成したのは1978年8月頃。といってもただの客じゃないんだが…。 紅蜥蜴や3/3、ラリーズ、村八分といった日本のアンダーグラウンド・シーンを取り上げたミニコミ「ロッキン・ドール」を発行していたチホ(ベース)、レックやエスケンとともにミニコミ「WATCH OUT」を編集、1978年8月に発行したエミ(ギター)、ラモーンズ・ファンクラブのスタッフでエスケン(田中唯士)とも知り合いだったクミ(ヴォーカル&ギター)、そしてドラム演奏経験があったカズミ。 彼女達は手始めにヴェルヴェット・アンダーグラウンドのコピーから始めた…。 ボーイズ・ボーイズのライヴ・デビュー1978年12月23日S-KENスタジオでの「クリスマス・ギグ」だった。共演は東京ロッカーズ・セッション、 アーントサリー、SS。続いて1978年12月31日下北沢ロフト「大みそかギグ」にも出演、その後もライヴ活動を行っていたが、1979年3月頃には初代ドラマーのカズミが脱退し、ベースのチホも“つまんなくなって”脱退(チホはその後ゼルダを結成)、1979年4月新たにDサキ、Bヤヨイが加入し活動継続した。 このメンバーで録音、PASSレコードから1980年3月25日にリリースされたのが7インチ・シングル「Monkey Monkey c/w Control Tower」(PAS-201)で、突然段ボール「ホワイト・マン c/w 変なパーマネント」(PAS-202)、Phew「終曲 c/w...

エスケン著『都市から都市、そしてまたアクロバット 回想録1971-1991』

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2018年6月河出書房新社より出版。 S-KENの回想録が刊行された。 個人的には東京ロッカーズ周辺で認識しているエスケンだが、 “エスケン”となる前、田中唯士として活動していた時期も詳しく書かれている。 ちょこっと内容を紹介すると...。 1971年、「自由通りの午後」の作曲者(歌唱はアイジョージ)としてエスケンはポーランドで行われた音楽祭“ ソボト国際音楽フェスティバル ”へ参加する。音楽祭への旅券は音楽祭終了後、どこへ寄って帰国しても良いという地球周遊券だった。エスケンは音楽祭終了後ロンドンから客として来ていた日本人と共にヒッチハイクで東欧のポーランド、チェコスロバキアへ。 厳しい国境検問所を抜けてヒッチハイクを続け西ドイツ、スイス、フランス、イギリスのロンドンへ。ここで相棒と別れエスケンは飛行機でアメリカへ渡り、ニューヨーク、サンフランシスコ、ハワイへと3ヶ月かけて東京へと戻る。 この時の体験がエスケンの “先入観を捨て古今東西の心揺さぶる音楽、アート、文学て徹底して探索する” 考え方のもとになったようだ。 日本に戻ったエスケンはレコード会社の要請でピースシティーというバンドを結成しリードヴォーカルを担当、「しぶう c/w 僕の愛した花」、「自由通りの午後 c/w バラの花のあなたに」の2枚のシングルをリリースしたが短期で解散。その後、月刊音楽雑誌『ライトミュージック』の編集者となり“世界中の音楽や文化全般を一気に吸収”する。そこでも悲喜こもごもあるわけだが、エスケンは編集者の立場を利用しアメリカ特派員という境遇を作り出し、1975年5月ロスアンゼルスへ旅立ち、ロスで暮らしながら当地の音楽状況を取材、1976年にニューヨークへ移り住む。ここではかねてからエスケンの好きだったニューヨークのラテン音楽“サルサ”に酔いしれる。 エスケンがサルサを気に入るきっかけとなったアーティストで、ライヴに何度も足を運んだウィリー・コロンの『LO MATO』(ロ・マト)というアルバムが紹介されているが、後のエスケンのファースト・アルバムのタイトル『魔都』はここから来てるんだろうなぁ…。 しばらくしてエスケンの特派員生活は終わるが、エスケンはニューヨークに留まることを決意する。興味は映画に移って連日映画館通いとなったが、CBGBへいった事をきっかけにして映画浸りの生活も終わりを告...