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PLASTICS『THE OLD GREY WHISTLE TEST』

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ホリー・アンド・ジ・イタリアンズの『THE OLD GREY WHISTLE TEST』映像のエンド・タイトルを見てたらPLASTICSの文字が。プラスチックス出てたんだな。YouTubeで検索して…と。「Peace」と「Diamond Head」のライヴ。クールな立花ハジメにギターを弾き倒す佐久間正英。中西俊夫のヴォーカルやはりいい。

HOLLY AND THE ITALIANS『THE OLD GREY WHISTLE TEST』

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ホリー・アンド・ジ・イタリアンズの「Tell That Girl To Shut Up」のライヴ映像あるかな、と思ってYouTube見てたんだが無かった。あったのはBBC TV番組『THE OLD GREY WHISTLE TEST』のライヴ映像でシングルにもなった「Youth Coup」とアルバムから「Rock Agains Romance」の2曲。なかなかかっこいい。

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』番外編『TANGLED UP IN BLUE』

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雑誌『Player』を発行していたプレイヤー・コーポレションが1985年に発行した雑誌『タングルド・アップ・イン・ブルー』。 Player On-Lineの雑誌月刊Playerの歴史 によると、“85年1月から隔月で発行された音楽雑誌。尾崎豊や佐野元春など日本の80年代のアーティストの動向を伝えた”とある。 『タングルド・アップ・イン・ブルー』の創刊号。定価480円。 奥付けの発売日は昭和60年1月1日となっている。今はなき駅前の本屋で買ったような。この頃はロック系邦楽の雑誌は少なかったと思う。「アリーナ37°C」は時々買ってたな。『タングルド・アップ・イン・ブルー』はデザイン性に優れ、外国作家の短編小説(この号はデルモア・シュワルツ)やセルジュ・クレール&フランソワ・ゴランのロックンロール・コミック(フランス語の日本語訳)などインテリジェンスな内容もありつつ、佐野元春、尾崎豊、大沢誉志幸、ストリート・スライダーズなど当時活躍していたアーティストを取り上げる同時代性があった。また同時代の洋楽アーティストを数ページ掲載するトシ矢嶋の「LONDON SPIRIT」コーナーもあった。 表紙は佐野元春。「Stone & Flowers」と題された佐野元春と佐藤奈々子のコラボレート・ページが刺激的。他に鮎川誠、小山卓治、ザ・モッズ。この雑誌、「銀の書簡」というアーティストから“誰か”に宛てた手紙形式のページがあって、それが好きだったな。この号では友部正人がルイス・ブニュエルへ宛ての手紙を書いている。 たぶんこのあたりのファン層がメインのターゲットだったのだろう、デビュー後7ヶ月後の尾崎豊(デビュー曲の背景や白井貴子の前座だった1984年7月1日のライヴの様子が語られている)や、大沢誉志幸、デビュー間もないレベッカのNOKKOが取り上げられていた。 第2号。やはり尾崎豊、ザ・モッズ、山下久美子らが取り上げられているが、アルバム『φPHY』リリース後のルースターズ・花田裕之のインタビューが掲載されている(写真は花田&下山淳)。他にRCサクセションのライヴ・フォト。「銀の書簡」はゼルダの高橋佐代子(アンナ・プリュクナル宛)、柴山俊之、南佳孝(ジョン・レノン宛)、それに坂上忍(デビッド・ボウイ宛…“いつかあんたを超えてみせる”ってよ…)。短編小説はフラナリー・オコナー。 第3

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その3

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休刊が発表 された音楽雑誌『Player』。手元にある『Player』をひっぱり出し紹介しています。 1988年6月号。 ルースターズのラスト・スタジオ・アルバム『FOUR PIECES』リリース時の下山&三原、花田&穴井の二組に別れてのインタビュー。この時点ではバンド解散を前提したアルバム制作ということは発表されておらず、三原と穴井にも知らされていなかった。なので “三原さんはルースターズで長くやっていけそうですか?”という質問に三原が “そう思いますよ” と答えていたり、穴井が “今後は、こういう(「再現出来ないジグソウ・パズル」)ような曲をもっと作っていきたいですね。たぶん次はもっとギトギトしたものができるんじゃないかな” と次作について語っていたり、プロのミュージシャンとは言え今読むと三原と穴井にとってはツラいインタビュー。他に1988年3月19日のインクスティック芝浦ファクトリーでのルースターズのライヴ・レポートあり。値段は440円に。 1990年9月号。 ファースト・ソロ・アルバム『RIFF ROUGH』リリース時の花田裕之のインタビューを掲載。歌詞を外部に任せたことについて“自分がそういう気持ちになったことがある、みたいな詞だとそれで充分で ” と答えているのが、そういうことなんだな、と思わせる。他に恒松正敏&VISIONSの1990年3月29日、新宿ロフトのライヴ・レポートあり。定価は480円。 1992年4月号。 2枚目のソロ・アルバム『MY LIFE』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。単身ロンドンに乗り込み現地ミュージシャンを選んで録音・制作したことから、カルチャーショック的な影響を受けた、というようなインタビュー内容。“『MY LIFE』は、うちで寝っ転がりながら聴いてほしいですね。聴いてて、気がついたら、寝てた、みたいな(笑)”という花田の言葉が印象的だ。定価は500円に。 1993年4月号。ジミヘンの表紙がイカす。 3枚目のソロ・アルバム『ALL OR NOTHIN'』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。3枚目にして初めてセルフ・プロデュースによるアルバム制作となったが、アルバム・タイトルに込めた“いるものといらないもの”、“今までいらないものを持ち続けてきたけど結局、いるものって自分とギターだけだなっていう、曲を

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その2

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休刊が発表 された音楽雑誌『Player』。手元にある『Player』をひっぱり出しています。 1981年2月15日号。表紙はジョー・ストラマー。 アルバム『サンディニスタ!』リリース頃のジョーのインタビューを掲載。他にファーストアルバムリリース頃のストレイ・キャッツのインタビュー。八木康夫によるPUNGOの記事など。 定価は300円に。 1981年7月15日号。渡辺香津美が表紙。レスポール・ジュニア弾いてるね。 内容は『à-GOGO』リリース頃のザ・ルースターズのインタビュー(写真付きで4ページ)。YMOは割と好きと大江は言っております。池畑もはっぴいえんどの頃から細野晴臣が好きです、と言っている。他に来日したザ・ジャムの3人 VS ザ・モッズの森山達也の対談。パール・ハーバー(パール・E・ゲイツ)のインタビューなど。 1982年9月号。表紙はジョー・ストラマー。アルバム『コンバット・ロック』リリース頃の水上はる子によるクラッシュの記事。ワークショップの“ROCK'N' ROLL GUITAR”は花田裕之が担当。エルビス・コステロ&ジ・アトラクションズのアルバム『インペリアル・ベッドルーム』を取り上げている。ピンナップはジョーン・ジェット姐御がかっこよし。定価は400円。 1982年12月号。表紙はゲイリー・ムーア。 内容は、山名昇によるルースターズのライヴ、1984のライヴ、12インチ『ニュールベルグでささやいて』レコーディングのレポート(写真含め4ページ)。ルースターズというバンドの本質を的確に捉えたこの記事は後に2004年リリースのボックス・セット『VIRUS SECURITY』のブックレットに(一部“気違い”という表現を変更して)再掲載された。12インチ『ニュールベルグでささやいて』リリースの1ページ広告あり、例の伏せ字訳詞のやつ。 国内ニュースでは大江慎也が“急性肝炎”で入院しコンサートをキャンセルの記事が。花田裕之が担当したワークショップの“ROCK'N' ROLL GUITAR”は最終回で自らの『ニュールベルグでささやいて』の解説。ここでも大江の病気療養でコンサート中止についてのお詫びを花田が記している。ピンナップには特設リングのARB。 1983年10月号。表紙はやはりゲイリー・ムーア。 ピンナップは新宿ロフトのルー

メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その1

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音楽雑誌『Player』の 休刊が発表 された。  1968年創刊から55年、現在は季刊誌となっており2023年Summer号を持って休刊、今後については現在未定という。 雑誌『Player』は1970年代後半から読み始めたんじゃないかな。レコードを聴いているだけじゃなく自分でも演奏したい、という思いから私の周りでもギターなどの楽器を手にする友人が増えていた。どちらかというと私はアーティストのピンナップを切り取って壁に貼ったり、インタビュー記事を好んで読んでいたが、演奏方法やエフェクターの解説、ギターのリペア方法なんかを参考にしている友人もいた。 度々の引越しで雑誌もかなり処分したんだけど、今残っている『Player』誌を紹介。 残っているので一番古いのは1980年1月30日号。 チープ・トリックのリック・ニールセンが表紙。トム・ヴァーレインのインタビュー。カラーピンナップにはARB。値段は280円だった。 1980年5月30日号。 ザ・ジャムのポール・ウェラーが表紙。 内容はそのポール・ウェラーのインタビュー。『軋轢』をリリースする頃のフリクションのインタビュー(ツネマツ喋ってないけど)。 1980年11月15日号。 アンガス・ヤングの表紙がイカす。ボン・スコット亡き後ヴォーカリストにブライアン・ジョンソンを迎えアルバム『BACK IN BLACK』リリース頃のアンガスへのインタビュー。この『Player』という雑誌はとにかく楽器、音楽スクール、スタジオ等広告が多いが「KEY」という楽器店の広告にTH eROCKERSの陣内と鶴川が睨みを聴かせて登場している(ファースト・アルバムをリリースした頃だ)。

MY PLAYLIST Vol.5『THE VERY BEST OF SHINYA OHE PORTRAIT YEARS 1987-1990』

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ザ・ルースターズ後の大江慎也のベスト盤というと1989年にリリースされた『カレイドスコープ 1986-1989』があるけどこれはリミックスが施され全曲英語詞ヴァージョンという仕様だった。 同じ頃、自分でも選曲してカセット・テープに録音してベスト盤を作ったが、カセットはだいぶ処分したので残ってない。その後(2001年頃だと思う)MDレコーダーを買ったので1988年のCDシングルや1990年にリリースされたアルバム『WILL POWER』(+ONES名義)からも選曲してMDに録音した。その後CD-Rにも録音したなぁ。 1990年に音楽活動を一時停止、その後大江が語ってきたポートレイト・レコード(つまり柏木省三)との確執。自分の意思が反映されていない内容だとポートレイト絡みのリリース作品を否定する大江慎也。だけどあの頃大江の作品を追いかけ、突き抜けた作品となった4枚目のアルバム『PECULIAR』は特に気に入ってたしライヴにも行った。この頃ニューオーダーの『テクニーク』を愛聴してたから大江のダンサブルなデジタル・サウンド(とアコースティックなサウンドの共存)は歓迎だったが、それほど間を置かずにONESを伴ってハードなギターを軸にしたバンド・サウンドに回帰したのは個人的にちょっと残念だったな。まぁこの後来る潮流を見据えた変化だったのかもしれないけど。 以下、私の選んだ、THE VERY BEST OF SHINYA OHE PORTRAIT YEARS 1987-1990。  1. LALALA(作詞:大江慎也 作曲:柏木省三)  2. Just Walkin' That Road(words・Mary / music・Shozo, Tamotsu)  3. She's Got A Way (No No No)(words・Mary / music・Tamotsu, Syozo)  4. Peculiar(作詞:大江慎也 作曲:重藤功)  5. Kaleidoscope(words・Shinya, Mary / music・Shinya)  6. Drooping Affection(words・Yamazen / music・Katsuyuki)  7. Tonight(作詞・作曲:柏木省三)  8. Feeling Emptiness(words・Shi

OMNIBUS a Go Go Vol.103『POPTOPIA! Power Pop Classics Of The '90s』

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1997年、ライノからリリースのオムニバス。 ライノ・パワーポップ・オムニバスの90年代編。1曲目はマシュー・スウィートの名盤『ガールフレンド』からリチャード・ロイド(ex-テレヴィション)が参加してる「I've Been Waiting」。続いてジェリーフィッシュのこれまた名盤『ベリーバトゥン』から「That Is Why」、このオープニング2曲最高の並び。 イントロのドラムが格好いいジゴロ・アンツ「Cope」はハードなポップで大音量で聴きたいナンバー。ザ・レンブランツのフレッシュでメロディアスな「Rollin' Down The Hill」は曲中盤からの転調がクセになる良さ。力強く緩急のあるサウンドに美しいコーラスのザ・ポウジーズ「Solar Sister」、ビター&スウィートなメロディのザ・グリーンベリー・ウッズ「Trampoline」これ好き。 その他、ワンダーミンツ、ヴェルヴェット・クラッシュ、レモンヘッズ、レッド・クロスなどなど名曲ずらり。 このオムニバス『POPTOPIA!』シリーズ、あんなバンドのこんな曲も収録して欲しかったというのもあるし、80年代、90年代編になるとパワーポップ…ギターポップかな〜まぁ微妙なジャンルだからなーと思う曲もあるが、グッドメロディ/グッドサウンドの曲ばかりなのは間違いなし。