メモリーズ・オブ・雑誌『Player』その3

休刊が発表された音楽雑誌『Player』。手元にある『Player』をひっぱり出し紹介しています。

1988年6月号。
ルースターズのラスト・スタジオ・アルバム『FOUR PIECES』リリース時の下山&三原、花田&穴井の二組に別れてのインタビュー。この時点ではバンド解散を前提したアルバム制作ということは発表されておらず、三原と穴井にも知らされていなかった。なので “三原さんはルースターズで長くやっていけそうですか?”という質問に三原が “そう思いますよ” と答えていたり、穴井が “今後は、こういう(「再現出来ないジグソウ・パズル」)ような曲をもっと作っていきたいですね。たぶん次はもっとギトギトしたものができるんじゃないかな” と次作について語っていたり、プロのミュージシャンとは言え今読むと三原と穴井にとってはツラいインタビュー。他に1988年3月19日のインクスティック芝浦ファクトリーでのルースターズのライヴ・レポートあり。値段は440円に。

1990年9月号。
ファースト・ソロ・アルバム『RIFF ROUGH』リリース時の花田裕之のインタビューを掲載。歌詞を外部に任せたことについて“自分がそういう気持ちになったことがある、みたいな詞だとそれで充分で ” と答えているのが、そういうことなんだな、と思わせる。他に恒松正敏&VISIONSの1990年3月29日、新宿ロフトのライヴ・レポートあり。定価は480円。

1992年4月号。
2枚目のソロ・アルバム『MY LIFE』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。単身ロンドンに乗り込み現地ミュージシャンを選んで録音・制作したことから、カルチャーショック的な影響を受けた、というようなインタビュー内容。“『MY LIFE』は、うちで寝っ転がりながら聴いてほしいですね。聴いてて、気がついたら、寝てた、みたいな(笑)”という花田の言葉が印象的だ。定価は500円に。


1993年4月号。ジミヘンの表紙がイカす。
3枚目のソロ・アルバム『ALL OR NOTHIN'』リリース時の花田裕之のインタビュー掲載。3枚目にして初めてセルフ・プロデュースによるアルバム制作となったが、アルバム・タイトルに込めた“いるものといらないもの”、“今までいらないものを持ち続けてきたけど結局、いるものって自分とギターだけだなっていう、曲を作ってライヴをやることが全てなのかもしれない” と語っており、“オレは今からずっとそれ(旅)を繰り返していくような気がするなぁ”と、現在の花田の活動を予期するような、決意を込めていたような発言にハッとしてしまう。

1994年12月号。私がモッズ・バンドにハマってた頃。単純に表紙がカッコよくて買った。

1996年7月号。
7枚目のソロ・アルバム『風が吹いてきた』リリース時の花田裕之のインタビューを掲載。アルバム制作時の虚無感、虚脱感、諦め、といった感情についても話している。他に「BAND OF DREAMS」というコーナー、その人にとって夢のバンド・メンバーを人選するという企画だが、花田裕之が選んだのは、ジョニー・サンダース、ジョージ・サラグッド、イギー・ポップ、イアン・マッカロク、ビル・ワイマン、クレイジー・ホースのドラムの人(ラルフ・モリーナ)というスーパーな人選だった。定価は540円に。

1998年5月号。
『SONNG FOR YOU』リリース時の花田裕之のインタビューを掲載。多彩な人選となった制作過程や福山雅治がジャケ写を撮った経緯、使用したギターやアンプの紹介などを語っている。
他に再始動したARBの石橋凌と内藤幸也のインタビュー。定価は600円に。

以上、手元にある雑誌『Player』の紹介でした。

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