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Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.3 真保みゆき・小嶋さちほ著『乙女のロックだんご』etc...books about ZELDA

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍を紹介。今回はまるまる一冊全てではないが、ゼルダ関連をいくつか。 右の画像で右上は、ミュージック・マガジン社から1985年に刊行された『乙女のロックだんご』。真保みゆきと小嶋さちほの共著。「にっぽん」、「アメリカ」、「ヨーロッパ」の当時のロックシーン・アーティストを二人の対談、インタビュー、評論で取り上げている(「にっぽん」の章ではインタビューは無し)。小嶋さちほはジョニー・サンダースとユーリズミックスのインタビューを掲載。四つ目の章では「二人のロックだんご」として「真保みゆきのロック半世紀」と「小嶋さちほのパンク半世紀」を掲載している。「小嶋さちほのパンク半世紀」は上・下に分かれていて、上が“ゼルダのリーダーになるまで”と題され、幼少期から女子美附属高校時代のエピソード、高校卒業後からのロック漬け生活〜ミニコミ『Change 2000』発刊くらいまで約9ページ。下は“お母さんになっちゃた”と題された出産〜育児について約10ページほど。表紙の二人のイラストは霜田恵美子によるもの(右の上の画像では小嶋さちほの顔が隠れちゃってるけど)。この本はミュージック・マガジンの“コンパクト・ブックス”シリーズの1冊として刊行されているが、巻末の続刊予定に地引雄一著『東京のパンク・ロック』が“10年の総括、写真多数”として紹介されている(後の『ストリート・キングダム』)。 小嶋さちほが作ったミニコミ『Change 2000』は画像だと下部分の2冊で1号と12号。1号(1979年4月30日発行)では、モモヨへのインタビュー、映画『ROCKERS』の製作・監督の津島秀明へのインタビュー、ヒカシューへのインタビュー(AUNT SALLYを絶賛)の他、”NOISE VOX”というニュースやゴシップを中心にしたコーナーでは“ボーイズ・ボーイズからチホが脱退、彼女はニューバンドを作るにあたってメンバーを募集”と後のゼルダとなるバンドメンバー募集記事、モモヨやツネマツなどの飼い猫紹介、それにS-KENも好きだというハーラン・エリスン著『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワSF文庫)の紹介があり、私も購入して読みましたよ。12号はチャンス・オペレーションのヒゴへのインタビュー、アコとフキエにメンバー交代直後のゼルダの近況、ツアーレポート、舞踏・山海塾へのイ...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.2 藤沢映子著『ZELDA物語』

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日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 JICC出版局より1988年に刊行された、ゼルダのヒストリー本『ZELDA物語』。著者は1986年夏のイベント「秋田ロックシティカーニバル'86」で初めてゼルダを観た・聴いた藤沢映子。小嶋さちほより少し年上という著者はライヴハウスで紅蜥蜴のライヴを体験しているが、“ただ怖い変人に見えた”というし、東京ロッカーズの時代、さちほとは、“どこかのライヴ・ハウスで一緒になっていたハズだ”という。東京ロッカーズが決して楽しいものに思えなかった著者だったが、ゼルダに出会ってこのバンドのことをもっと知りたいと思うようになった。それはゼルダ結成者である小嶋さちほを知ることであり、ゼルダが生まれた東京ロッカーズ・シーンを知ることでもある。 基本的に執筆当時のゼルダのメンバーへのインタビューをもとに構成しており、小嶋さちほ、高橋佐代子、石原富紀江、小澤亜子の生い立ちを第一章に、さちほの東京ロッカーズ・シーンとの関わり〜ボーイズ・ボーイズ結成〜脱退、ゼルダ結成〜初期メンバーのヨーコ(鈴木洋子)、マル(野沢久仁子)脱退〜石原と小澤加入までが第二章。ここまでで全体の3分の2の分量。第三章では新メンバーとなっての活動、ファンキーに変遷していった音楽スタイルやカラフルになったファッションなども交えて1988年9月の日比谷野音ライヴあたりまでが描かれている。 S-KENスタジオで初めてベースの音を出したあのシーンも、バンドとして不本意な作業となったファースト・アルバムのレコーディング現場もゼルダ側の言葉として書かれている。 本文の下段にはゼルダに関係・交友のあるアーティスト等のコメントが載っていて、セカンドアルバム『カルナヴァル』をプロデュースした白井良明やそのアルバムに収録された「Are You Lucky? ラッキー少年のうた」を提供した鈴木慶一、バンドでゼルダのコピーをしていたという森高千里らのコメントを掲載。 巻頭や文中には執筆当時のメンバーのライヴやオフショットの写真、巻末には1980年から1988年(9月)までのライヴ・ヒストリー(年表)、メジャーからリリースしたディスコグラフィー(1988年リリースのアルバム『シャウト・シスター・シャウト』まで)を掲載している。

松山晋也監修・別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』

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2026年3月31日、Pヴァインより刊行。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』、いくつかレビューを読んだけど、当時を経験した世代、または東京ロッカーズ周辺を日本のロック史として知っている(聴いている)人たちは、ああしたらよかった、これが足りないみたいなレビューもあったが、当時の音楽シーンを知らない若者、世代には概ね好評のようだ。それは監督や原作者が望んでいたことでもあると思うので、なんか安心した。 その映画ではとりあげていなかった関西パンクシーン、関西NO WAVEと呼ばれたバンド・アーティスト群も1978年〜1979年には活躍し東京でもライヴをおこなっていたが、その代表的なバンドのひとつであるアーント・サリーを表紙にした、別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』が出版された。 映画『ストリート・キングダム』が公開され、ここにきて書籍『ストリート・キングダム 最終版』、写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』と購買意欲を刺激される出版が続き、この他にもフリクションのシングル「Crazy Dream」や「I Can Tell」のアナログ再発もあり、さすがにシングルの音源はCD等数種持ってるので買わなかったけど。この『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』は、かつて雑誌『ロック画報』08号で吉祥寺マイナーについて回想録を書き、“何よりも「東京ロッカーズ」などといういちゃついたネーミングに嫌悪感を抱いていた”という松山晋也が監修している(『ロック画報』08号に掲載されていた記事は、松山晋也のブログに「 吉祥寺マイナーのこと 」として公開されている)。 地引雄一へのインタビューでは、地引が田舎の生活を撮影した写真が見られる(1枚だけど)。見たかったんだよねぇ…地引雄一が東京のロックシーンを撮影する以前の写真。福島県の農村を撮影した写真には、傾いた土壁の納屋と頰かむりをした農夫が写る。写真雑誌にも掲載されたというが他も見てみたい。インタビューはその頃の話題から最近のインディーズ・シーンとの関わりまでを語る、写真を含め16ページ。S-Kenのインタビューは写真を含め12ページで、ポジティヴな波動に満ちた内容。 小嶋さちほのインタビューは短いけど(写真を含め8ページ)、自身の音楽活動がパンクからスピ...

映画・田口トモロヲ監督作品『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』

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映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』。最寄りの映画館では上映なし。少し離れた町のシネコンまで電車で出かけた。公開直後なので少しだけ。 映画の冒頭、監督の田口トモロヲがナレーションを務めるNHKドキュメンタリーを模したような主人公ユーイチ(峯田和伸)の語りから始まりクスッと笑わせてくれる。1978年というあと少ししたら半世紀前になろうかという出来事をもとにした作品のため全体的にやや説明が多いと感じるものの、日本パンク黎明期の熱意と熱気、シーンの高揚と喪失、そして拡散をうまく捉えていると思う。 フォトグラファーという表現者でありながらもシーンを客観的に見ているという立場でもあり、交渉ごとや清算など実務的なものにルーズになりがちなバンドの人間に代わってそれらを担当せざるを得なくなったユーイチ役を峯田和伸が好演。印刷屋の娘という設定でミニコミを発行しているサチ(ゼルダのチホがモデル)を吉岡里帆が明るくパワフルにそして爽やかに演じている。吉岡里帆から「リディア・ランチ」という言葉を聞いたときは新鮮だったなぁ。それに若葉竜也が演じるバンド・TOKAGEのモモ(リザードのモモヨがモデル)の3人を中心に物語は進む。 どうしてもモデルのバンドの再現力に興味がいってしまうところだけど、ロボトメイア(ゼルダがモデル)が「うめたて」を演奏するライヴシーンはなかなか感動的な再現力。吉岡がベースを弾く姿も絵になっていてかっこいい。音はオリジナルの音源を使用した当て振りだが映画館の大音量で聴けるのもうれしい。それに新宿ロフトの外観の再現力は驚異的だ。ロフトの建物はもちろん、隣の家とその奥の建物を完全再現(VFXか)。素晴らしい。 1978年から1981年頃までのシーンをギュッと圧縮、同時進行していなかった事柄も並列で描いており、パンフレットには事実にフィクションを織り交ぜドラマ性を高めて観客が理解し易くした、と監督が語っている。宮藤官九郎が脚本ということで何となく想像できたがややコミカルなタッチ、でもホロリとさせる部分もあり、リアリティをキープしながらポジティブな作品となっている。原作にあったエピソードで幾つか入れてもよかったんじゃないかとか、あのバンドのこの曲を使って欲しかったと思うところはあるけど、まぁ、おっさんのノスタルジーというより現代の若者が観てどう感じるかが重要だ。

『阿修羅のごとく』オープニング・テーマ「CEDDIN DEDEN」

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Roopftopのサヨコのインタビュー 高橋サヨコ(ex.ゼルダ / サヨコオトナラ)「時空を超えて魂を揺さぶる〈野性のゼルダ〉の尊い純真性」 によると、 ゼルダの「Ash-Lah」という曲は、 “『阿修羅のごとく』という向田邦子さんが脚本を手がけたテレビドラマが当時あって、そのオープニング・テーマがトルコの軍楽隊が演奏する行進曲(註:オスマン軍楽の「Ceddin Deden」)だったんです。あれを聴いてすごく格好いいなと思って、カセットに録ったフレーズをヨーコさんがアレンジしたんですよ” と語っている。 「Ash-Lah」のイントロのギターフレーズなんか確かに、なるほどなぁ。勉強になります。

ZELDA『はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982』

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2019年4月20日、いぬん堂からリリースのアルバム。 ゼルダの初期音源というと2枚の自主制作シングル盤。1980年ジャンクコネクションからEP「Ash-Lah c/w ソナタ815 / BE-POP」、1981年アスピリン・レコードからソノシート「MACKINTOSH-POPOUT c/w マッチングシュール / 灰色少年」がリリースされていたが、この2枚のシングルからこれまで音源が復刻、CD化されたのは、1982年12月15日にジャパンレコードからアナログ盤でリリースされたコンピ『レベル・ストリート』に「ソナタ815 」が収録され、後年数度CD化。2003年3月19日にソニーからリリースされた『GOLDEN☆BEST ZELDA time spiral』に「Ash-Lah」と「ソナタ815 」が収録、 2003年10月1日にテイチクからリリースされた『DOLL Presents GET THE PUNK J PUNK&NEW WAVE 1972-1991』に「マッチングシュール」が収録されていた。 今回いぬん堂からリリースされた『はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982』は、ゼルダ“最初期”の記録を集めたというCD2枚組アルバム。 Bチホ、Dマル、Gヨーコ、Voサヨコというメンツでリリースした自主制作盤の初期2枚のシングル収録曲全曲を初めて収録、ヴォーカルにサヨコが参加して約5ヶ月後の1980年8月〜メジャーデビューアルバムをリリースして約1ヶ月後のドラム・マルが脱退する1982年9月までの未発表ライヴを収めた全38曲入り。ライヴテイクは年代順に収録されており、1980年のライヴをDisc1に、1981年と1982年のライヴをDisc2に収録している。 Disc1-track1〜2にジャンクコネクションからリリースEP収録曲「Ash-Lah」と「ソナタ815」を収録、 Disc1-track3以降はシングル盤収録曲を含め全てライヴ・テイクになる。収録されたライヴがおこなわれた年月日と会場を記しておくと、 1980年8月24日渋谷ワルツ(Disc1-track3)=ジャンクコネクションからリリースEP収録曲「BE-POP」 1980年8月31日早稲田すぺーすJORA(Disc1-track4〜13) 1980年9月25日渋谷屋根裏(Disc1-tr...

私の放浪音楽史 Vol.74 ZELDA『ZELDA』

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1982年8月25日 フィリップス/日本フォノグラムよりリリースのアルバム。 1978年9月ボーイズ・ボーイズ結成(メンバーはBチホの他Gエミ、Voクミ、Drカズミ)~1979年3月頃チホ脱退、チホは自身が発行していたミニコミChange2000の創刊号で新バンドのメンバーを募集、ゼルダ結成。この時サヨコはオーディションで落選している。 1980年1月3日新宿ロフトで“80年にスパークするモダンガールズ”と題されたライヴに出演(共演はボーイズ・ボーイズ、水玉消防団、ノンバンド)、Bチホ、Gヨーコ、Drマル、ヴォーカルは後にP.T.A'Sに参加するケイという女性でサヨコは客席から見ていたという。 1980年3月30日新宿ロフトでライヴ。ヴォーカリストが抜け、この日から当時まだ15才だったサヨコが参加(共演はS-Ken、不正療法、スタークラブ)。 1980年4月6日アトリエ・フォンティーヌにてサヨコが参加して2回目のライヴ、このライヴの後サヨコが正式加入。 1980年10月ジャンクコネクションから3曲入りEP「ASH-LAH」、 1981年アスピリン・レコードから3曲入りソノシート「MACKINTOSH-POPOUT」のリリースを経て、1982年8月にリリースされたのがゼルダのメジャー・デビュー・アルバム『ZELDA』。  アルバムと同時にシングル「ミラージュ・ラヴァ― c/w 密林伝説」がリリースされている。 デビュー・アルバムの制作は難航したようで、自分たちでレコードを作ってそれをレコード会社に買ってもらうという原盤システムをとったようだが、ゼルダのメンバーの思い描いた通りには進まなかった。プロデュースは彼女たちがシンパシーを感じていたリザードのモモヨだったが、モモヨ自身はアルバム全曲が彼女たちの作詞・作曲の楽曲では大衆性に欠けるとして、 楽曲を提供するもののゼルダのメンバーは反発、特にヴォーカリストのサヨコは他人の詞を歌う事に強く抵抗したが結局涙ながらに歌入れをしたという。 メイン・ヴォーカルを数曲ほかのメンバーが担当するという案も出されたがサヨコはこれを拒否した。また、彼女たちメンバー以外のミュージシャンをレコーディングに使用(モモヨ作3曲は、じゃがたらのていゆうがドラム、リザードのワカがベースを演奏、モモヨがギターで参加)するなど、モモヨの強引なプロデ...

OMNIBUS a Go Go Vol.3『REBEL STREET』

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これも“EDPS Complex” のコンテンツでも紹介しているが、東京ロッカーズ後のオムニバスとなると、これか。『REBEL STREET』のリリースは1982年12月だから、既にパンクロックの初期衝動から次へ発展・移行していった、という時期。 下に紹介した2枚のオムニバス・アルバムがリリースされた1979年は、Public Image Ltd『Metal Box』、The Pop Group『Y』、The Slits『Cut』、Joy Division『Unknown Pleasures』が、1980年にはThe New Age Steppers『The New Age Steppers』、Bauhaus『In The Flat Field』が、1981年にはA Certain Ratio『To Each...』、Rip Rig & Panic『God』といったアルバムが発表されている。 フリーキーかつアヴァンギャルド、エクスペリメンタルで、あるものは重く、あるものはファンキーでもあるこれらのアルバムが、日本国内アーティスト達にも少なくない影響を与えたのではないか、と想像する。 1982年、直線的なパンク・ロックからフリーフォームなニュー・ウェイヴへライブハウス・ロッカーズ達は変貌していた。そのショウ・ケース的なアルバムだ。 EDPSのトラックは突出して素晴らしいが、他のチャンス・オペレーション、NON BAND、P-MODEL、アレルギー、SHAMPOOも好トラックと思う。平沢進がプロデュースしたSHAMPOOの「Rondhe」は、折茂昌美と足立眞理2人組時代の数少ないレコーディング・トラック。 突然ダンボールも楽しい曲だ。吉野大作は録音が他と比べて悪いのが残念。 町田町蔵はINU解散後初のレコーディング作品になるが、どうもボーカルと演奏がマッチしないというか、ボーカルが浮いて聴こえるのは、ここから始まっている気が個人的にはする。 リザード、ゼルダは選曲をもう少し練って欲しかった。