投稿

浅川マキ「朝日楼」

イメージ
アニマルズがリリースした「The House of The Rising Sun」。1964年にシングルリリースされ全米・全英で1位を記録する大ヒットとなった。日本でも「朝日のあたる家」という邦題がつけられヒット、私が聴いたのは1970年代後半だと思うが洋楽に興味があればラジオなどで耳に入ってくる曲だった。でも「朝日のあたる家」という邦題はなんか違和感があって、マイナー調のコード進行、もの悲しく響くオルガン、絞り出すようなエリック・バードンのボーカルに、“朝日のあたる”という言葉から受ける暖かで希望があるイメージがどうも一致しなかった。その頃歌詞をきちんと読み込んでいたわけではないのでタイトルと曲調から、なんとなく冷たい朝を溶かすような内容の曲なのかな、という印象を持っていたものだ。 それから幾年月…2020年にリリースされた浅川マキのシングル曲を集めたCD『SINGLE COLLECTION』を聴いた。彼女の自作詞による楽曲にはいくつも感銘を受けた。彼女の楽曲をもっと聴きたかった。そのころ浅川マキのCDは多くが廃盤だったと思うが2010年、浅川マキ没後に編まれリリースされたCD2枚組コンピレーション『Long Good-bye』を入手した(右上の画像)。コンピレーションとしてはこの『Long Good-bye』に初収録された「朝日楼」にはとりわけ心打たれた。それは「The House of  The Rising Sun」に浅川マキが日本語詞をつけたカヴァーだった。 アニマルズ・ヴァージョンでは歌詞が男性の語りで書かれたものが歌われているが、女性の視点で描かれたヴァージョンもある(この曲はトラディショナルなので歌詞の違いは様々ある)。例えば1962年にリリースされたボブ・ディランのファーストアルバムに収録されていた。曲名は 「House of The Risin' Sun」とクレジットされている。 There is a house in New Orleans They call the rising sun And It's been the ruin of many poor girl and me Oh God, I'm one “ニューオーリンズに人々から朝日と呼ばれている館がある  そこは多くの貧しい少女を破滅させてきた  そ...

LOU REED「Perfect Day」

イメージ
映画『パーフェクト・デイズ』(2023年公開)を観た。公開当時に観たかったんだけど、ようやく鑑賞。画面はスタンダードサイズなんだね…。監督ヴィム・ヴェンダース、役所広司がカセットテープ・コレクターで、公衆トイレの清掃員、ぐらいしか予備知識はなかった。役所広司はNHKの大河ドラマ『いだてん』(2019年)の嘉納治五郎の役がよくて好きになったな。 映画冒頭で早朝にアパートを出て清掃の仕事へ。ドアを出る時、平山(役所)の顔には朝日があたっている。新しい朝の日差しに微笑む平山。仕事に使っている軽自動車に乗りカセットをカーステレオに差し込む。流れるのはアニマルズの「The House of The Rising Sun」(邦題「朝日のあたる家」)。   “ニューオーリンズに人々から朝日と呼ばれる館がある  そこは多くの貧しい少年たちを破滅させてきた  あぁ神様、わかってる、俺もその一人だって” この歌が冒頭のシーンに流れるのは意味深だなと思った。なぜならこの曲は牢獄(または娼館)にとらわれた者の独白の歌だから。平山行きつけの飲み屋の女将(石川さゆり)が店の中でギター伴奏にあわせて歌うのも「The House of The Rising Sun」に日本語詞をつけて歌った浅川マキヴァージョンの「朝日楼」だ。彼女も過去に訳ありで今は一人で店を切盛りしている。平山も何やら過去に訳ありで今の仕事/暮らしをしているが、果たしてこの映画に使われた「The House of The Rising Sun」の意味するところは、過去のとらわれからの解放なのか、たどり着いた現在のとらわれなのか…。 平山は目覚まし時計を使わず毎朝窓の外から聞こえる箒で道を掃く音で目を覚ます。顔を洗い歯を磨き髭を整える。朝食は取らず自販機の缶コーヒーを飲み、トイレ掃除の仕事をし昼食は公園で(たぶん)コンビニのサンドウィッチを食べ、公園の木々をモノクロのフィルムカメラで撮り、午後の仕事を終え、銭湯に入り、顔馴染みの食堂で毎回同じ夕食をとり、家に戻り、育てている植物の世話をし、文庫本を読んで寝る。毎日この繰り返し、繰り返し、繰り返し…。休日は自転車にのり、コインランドリーで洗濯、フィルムカメラのフィルムを現像に出しプリントを受け取り、古本屋の100円棚で文庫本を物色し、ちょっとお気に入りの女将のいる飲み屋へ行く。...

梶原阿貴著『爆弾犯の娘』

イメージ
2025年6月、ブックマン社より刊行。 この本を読むきっかけは以前紹介した『 昭和40年男 2026年2月号 vol.95「俺たちを直撃したパンク/ニューウェイヴの衝撃」 』で紹介されていたのを読み、池袋駅北口の描写がリアルだってことが書いてあって、読んでみたいなと思ったのだった。 私が池袋駅北口で思い出すのは、かつてあった中古レコード屋「CHICAGO(シカゴ)」。北口から大塚方面に歩いて数分、ビルの2階にあった。階段を上がり店に入って右側にレジカウンターがあり、それほど広くはないが手頃な価格で好きな中古屋さんだった。いつも暗い時間帯に行っていた気がするのは多分店内に窓がなかったからだと思う。なぜかレジ横に置かれていたクラッシュの7インチアナログ『シングルボックス77-79』 の映像が頭に浮かぶ。近くの吉野家(いつからあった不明だが)にもよく行った。ファミリーが来店する今とは違ってビールを飲むオッサン、学生、サラリーマンの男のみ、ほぼ女子供のいない飯どころだった。吉野家の向かいあたりにあった古本屋にも行った。もう少し池袋のレコード店の話をすると、この本に出てくる池袋駅の東口と西口を結ぶ、徒歩または自転車で通行可能なションベンガード(We Road)を通って東口へ、私が初めて輸入盤を買ったのは場所は覚えてないのだがビルの2階か3階にあった、たしか「EVERGREEN」という名前の店だったと思う。1980年頃かな。三越からサンシャイン方面へ向かって歩いていくと左側のビル2階に「レコード社」、それに南口方面へ行って公園の近くに「レコファン」、まだディスクユニオンもタワレコも無かった(どの店も池袋から姿を消した)。…と『爆弾犯の娘』にはこんなレコード屋の話題は出てこないので、念のため。 さて『爆弾犯の娘』だが、先の『昭和40年男〜』で読んだ以外は前情報はなにも入れないまま、ノンフィクションなのか小説なのかあやふやなまま読み始めたのだが、著者梶原阿貴の半生・小学生〜2024年に映画『「桐島です」』の脚本を担当するまでを振り返った自叙伝。前半は母と娘、そして”あいつ”が暮らすミステリアスなホームドラマな要素もありつつ、娘の成長につれて明らかになっていく真実。娘はもがきながらもその事実を受け入れ自分の生きていく術を身につけていく…ドライでユーモアもあって時にシニカルな筆致で書か...

大谷英之編『ザ・クラッシュと日本』

イメージ
2026年4月30日、シンコーミュージック・エンタテイメントより刊行。編集は大谷英之。 ザ・クラッシュの新たな書籍が発売された。シンコーからは2003年〜2019年にかけて5冊のムック本が刊行されていて、今回もムック本かなと思っていたら単行本だった。 今回の『ザ・クラッシュと日本』は“ファンたちの異様な「熱」を本という形にして、後世に伝えたい。それが 唯一にして最大のモチベーションとなった”と大谷英之が「はじめに」に記している。 ザ・クラッシュ、特にジョー・ストラマーのファンに対する姿勢はこれまでもムック本などで読んでいた。ファンを大事にし、少年少女でも対等な気持ちで話す、ファンを楽屋へ入れる、サインは最後の一人まで…心温まる逸話の数々。この本でもペニー・スミスによるクラッシュ来日密着写真の中にファンを招待した楽屋の写真がある(密着写真が9枚とは少なすぎるよ…)。 クラッシュを撮影しようとロンドンのスタジオに突撃した17歳の少女。 1982年来日時にジョー・ストラマーのホテルの部屋に泊まった男子高校生。 1988年ラティーノ・ロカビリー・ウォーのUKツアーバスに寝泊まりしたファン。 といった熱狂的なクラッシュ・ファン、ジョー・ストラマー・ファンたちへのインタビューは、そのストレートに憧れへと向かうピュアな気持ちと行動力に驚かされる。このインタビュー3本は当時の写真もあり非常に面白く、この本のハイライトだろう。 他に元ピールアウトのドラマーで『ぼくはザ・クラッシュが好きすぎて世界中からアイテムを集めました。』の著者でもある高橋浩司のインタビューも面白かったし(トッパーの写真あり)、ジョー・ストラマーの自宅を訪問した戎隆明のインタビュー内容も展開に驚く。ジョーやポール・シムノン関係が圧倒的に多い本になってるけど、ミック・ジョーンズはビッグ・オーディオ・ダイナマイトの2011年フジロック出演時のレポートもあり(ブログ『HIGH-HOPES』の記事に加筆、短いけど)。 クラッシュの担当ディレクターだった野中規雄へのインタビューはロンドンコーリング40周年時のムック(2019年)より再録。その野中規雄雄が久坂玄名義で雑誌ジャム1980年4月号に書いた記事は『THE DIG Tribute Edition JOE STRUMMER 1952-2002』に再掲されていた。スマッシ...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.7 陣野俊史著『じゃがたら』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 2000年8月、河出書房新社より刊行された、じゃがたらの軌跡をメンバーや関係者に丹念に取材し検証した労作。 中古で購入したのだが、この本の扉に、 “ 心あるロックシンガーよ、そうむやみやたらにこぶしをあげるのをやめてくれないか ”  と手書きの文字が。それも鉛筆じゃなくてしっかり黒々と書き込んであった。げげ、こんな落書き、店で見た時は気づかなかったぞ。返品したいが買った店は車で往復1時間半くらいかかる。しかたないか…と、あきらめ読み進めた。それにしても随分と詩的な感想を落書きする人がいるものだ…。 第一章は“「じゃがたら」と呼ばれた人々がいた”と題し、1979年3月のファーストギグ、1980年〜1981年にかけてライヴでのアケミの過激・変態パフォーマンスの数々、1982年、それまでのイメージを払拭すべく音楽性重視の活動へと移行、11月、関西ツアーの最中に江戸アケミ突然の精神失調…入院、1984年3月退院し実家の四国に帰って療養。1985年9月に日比谷野音のライヴ「アースビート伝説85」でアケミ復帰、1989年にはメジャーのBMGと契約、そして江戸アケミの1990年1月27日の事故死、同年4月のアケミ追悼コンサート、1992年の二人のじゃがたらメンバーの死(ベーシスト渡辺正巳とサックス篠田昌己)までを描く。ここまで約190ページほど。 第二章は“インタビューズ”と題して、こだま和文、山本政志、町田康、近田春夫、大熊亘、それぞれのインタビューを掲載。アケミとこだまの個人的で親密なつながり、アケミと山本のライバルのようなつながり、アケミと町田の兄貴と舎弟のようなつながり、近田のじゃがたらの音と歌に対する批評、“力ずく”ではない音楽へ心を寄せていった篠田昌巳やアケミを語る大熊、といずれもじゃがたらについて掘り下げたインタビューとなっている。 第三章は“「ゆるさ」について じゃがたら・日本語・かっこ悪さ”と題して、江戸アケミの言葉、ジョーク、歌詞を、アケミの妻から手渡された江戸アケミが読んでいた3冊の本、『完訳アンデルセン童話集4』、『ブラック・アフリカの歴史』、『ルイ・アラゴン詩集』、その中から特に『ルイ・アラゴン詩集』からアケミの歌詞を読み解く。さらに宮沢賢治と「都市生活者の夜」(アルバム『ニセ予言者ども』収...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.6 ばるぼら著・100% Project監修『NYLON 100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 2008年8月、アスペクトより刊行された、渋谷にあったロック喫茶ナイロン100%の歴史を7章に分け、それぞれを証言者が語る。著者・ばるばら、監修は100%プロジェクト。 「PRE-NYLON」   証言者:中村直也、菅野秀夫、ブラボー小松 「NYLON 1978」   地引雄一、坂本みつわ、他 「NYLON 1979」   巻上公一、高木完、Phew、戸川純、他 「NYLON 1980」   サエキけんぞう、平沢進、他 「NYLON 1981」   上野耕路、太田蛍一、ブラボー小松、他 「NYLON 1982-1985」   KERA、大槻ケンヂ、他 「NYLON 1986」   林茂助、椎橋夏奈子、増戸実 中村直也はナイロン100%の店長、この店のオーナーはニャンコ(本名;津野田)という女性で資金はニャンコの両親が出資したという。ニャンコはナイロン100%のはじまりを知る重要な人物だが行方が分からずこの本にインタビューは掲載されていない。 それぞれが自身とナイロン100%との関わりと同時に当時の音楽シーンの状況や、パンク/ニューウェイヴからの影響についても語るようなインタビューになっており非常に興味深く読める。なかでも戸川純のナイロン愛の伝わるインタビューがとても印象に残る内容。ナイロンとは関係ないけどテレビ局で高木完と久保田慎吾をキョンキョンに紹介したエピソードが笑える。Phewのインタビューもナイロン100%を冷静に観察したような内容で、これもナイロンと関係ないけど”東京ロッカーズは嫌だった。五バンドも一緒にやってね。いい大人が(笑)。何年か経ったら、理解はできましたけど”とバッサリ。 地引雄一のナイロンで打ち合わせをしたとかリザードのモモヨもナイロンを気に入ってたとか、マイナーよりナイロンの方が古い時代を吹っ切っていて共感できたとか、といった話も面白かったし、地引雄一が撮影したプラスチックス、巻上公一、Phew、戸川純、81/2などの写真も掲載されている(撮影場所はナイロン100%や新宿ロフト)。地引の写真からはナイロン100%の内装が伺える(白黒だけど)。白いプラスティックの椅子、小さな四角いテーブル、壁に貼られたリーナ・ラヴィッチ、ジャン=ジャック・バーネル『ユーロメン・カメス』のポスターやロキシー...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.5 JOJO広重 美川俊治 JUNKO コサカイフミオ 野間易通 共著・『非常階段・A STORY OF THE KING OF NOISE』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 K&Bパプリッシャーズから2010年に刊行された非常階段のヒストリー本。 メンバーのJOJO広重や美川俊治、ジュンコなどの生い立ち、音楽への傾倒を紹介しながら、JOJO広重の経歴を中心にバンドヒストリーが進められていく。広重は高校時代にベースギターを手に取り初めてのバンドSLOTHを結成、ビデとの出会い、ビデ&ジョジョ〜ウルトラ・ビデ結成、並行して螺旋階段を結成し活動するが広重は楽器をベースからギターに持ち替え1979年11月に非常階段が誕生(ライヴ・デビュー)する。このときは広重と頭士奈生樹のギター2本という編成だった。広重はウルトラ・ビデと螺旋階段から脱退(螺旋階段はイデオット・クロックとなる)するが、2回のライヴで非常階段もデュオ解消となった。 1980年春、広重は美川俊治を誘い、腐食のマリィというバンドを新に結成して活動を開始、1980年6月6日新宿ACBでライヴを行うがこのライヴ告知のバンド名は非常階段になっていた。この時のライヴを広重は気に入っており録音したテープを聴き返してはこれをレコードにできないかと考えていたが、美川を通じてアンバラス・レコードの林直人にレコード制作を持ちかける。演奏が30分程しかなかったため、他バンドとのオムニバスとなり『終末処理場』として1980年12月にリリースされた。 1981年4月19日、非常階段はザ・スターリン他と京都磔磔に出演。非常階段はこの時初めて生魚・納豆・放尿・嘔吐のパフォーマンスをおこない磔磔出入り禁止に。再びザ・スターリンと共演した6月27日の横浜・慶応大学日吉校舎、新宿ロフトでのイベント「FRIGHT 7 DAYS」の6日目(8月28日)、11月27日の同志社大学至誠館において、いずれもワイルド・ウエストなパフォーマンスを繰り広げ、1982年4月には初の単独アルバム『蔵六の奇病』をリリース、4月5日に新宿ロフトでアルバム発売記念ライヴを行うがその凶暴なパフォーマンスにより新宿ロフトを出入り禁止に。 その後もアルバムリリースやライヴ、バンドの歴史が綴られているが、JOJO広重の設立した輸入ビデオ卸会社「井上ビデオ」、インディペンデント・レーベル「アルケミーレコード」、野球カード専門店「ジョーズ・スポーツ・カード」の話も面白い。 この本の中で広重が...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.4 巻上公一著『宇宙の右翼 水中の左翼』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 1982年、PARCO出版より刊行されたヒカシュー・巻上公一の初めての著書(エッセイ)。劇団出身だけに演劇についての話は多い。音楽についての話はむしろ少ないかも。これについては巻上がこの本のあとがきで“意識的に音楽に関する記述を避けたようにも見うけられるが、そんなことはない。無知なのである。無知でも音楽をやれる生き証人なのだ”としている。音楽に関する話題では、ニューヨークで見たロックコンサートの逸話、ダンサーのベアトラン・レゾンの舞台やテキスタイル/ファッション・デザイナーのヨーガン・レールのファッション・ショーや石井聰亙監督の映画『シャッフル』の音楽を担当した経緯などが記されている。 巻上の幼少期〜高校時代〜東京キッドブラザースのロンドン公演、その時に誘われてルミエール&サン(ロンドンのアンダーグラウンド劇団)の舞台参加、ミスタースリムカンパニー〜自身の劇団ユリシーズの活動やその公演の概略などを掲載、また大森一樹監督の映画『風の歌を聴け』に俳優として参加した経緯も。巻末には野田秀樹との対談を掲載。 タイトルは、巻上公一がこの時点で全く新たな価値観の獲得に向けて突き進むイメージを言語化したものと思われる。

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.3 真保みゆき・小嶋さちほ著『乙女のロックだんご』etc...books about ZELDA

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍を紹介。今回はまるまる一冊全てではないが、ゼルダ関連をいくつか。 右の画像で右上は、ミュージック・マガジン社から1985年に刊行された『乙女のロックだんご』。真保みゆきと小嶋さちほの共著。「にっぽん」、「アメリカ」、「ヨーロッパ」の当時のロックシーン・アーティストを二人の対談、インタビュー、評論で取り上げている(「にっぽん」の章ではインタビューは無し)。小嶋さちほはジョニー・サンダースとユーリズミックスのインタビューを掲載。四つ目の章では「二人のロックだんご」として「真保みゆきのロック半世紀」と「小嶋さちほのパンク半世紀」を掲載している。「小嶋さちほのパンク半世紀」は上・下に分かれていて、上が“ゼルダのリーダーになるまで”と題され、幼少期から女子美附属高校時代のエピソード、高校卒業後からのロック漬け生活〜ミニコミ『Change 2000』発刊くらいまで約9ページ。下は“お母さんになっちゃた”と題された出産〜育児について約10ページほど。表紙の二人のイラストは霜田恵美子によるもの(右の上の画像では小嶋さちほの顔が隠れちゃってるけど)。この本はミュージック・マガジンの“コンパクト・ブックス”シリーズの1冊として刊行されているが、巻末の続刊予定に地引雄一著『東京のパンク・ロック』が“10年の総括、写真多数”として紹介されている(後の『ストリート・キングダム』)。 小嶋さちほが作ったミニコミ『Change 2000』は画像だと下部分の2冊で1号と12号。1号(1979年4月30日発行)では、モモヨへのインタビュー、映画『ROCKERS』の製作・監督の津島秀明へのインタビュー、ヒカシューへのインタビュー(AUNT SALLYを絶賛)の他、”NOISE VOX”というニュースやゴシップを中心にしたコーナーでは“ボーイズ・ボーイズからチホが脱退、彼女はニューバンドを作るにあたってメンバーを募集”と後のゼルダとなるバンドメンバー募集記事、モモヨやツネマツなどの飼い猫紹介、それにS-KENも好きだというハーラン・エリスン著『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワSF文庫)の紹介があり、私も購入して読みましたよ。12号はチャンス・オペレーションのヒゴへのインタビュー、アコとフキエにメンバー交代直後のゼルダの近況、ツアーレポート、舞踏・山海塾へのイ...

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.2 藤沢映子著『ZELDA物語』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 JICC出版局より1988年に刊行された、ゼルダのヒストリー本『ZELDA物語』。著者は1986年夏のイベント「秋田ロックシティカーニバル'86」で初めてゼルダを観た・聴いた藤沢映子。小嶋さちほより少し年上という著者はライヴハウスで紅蜥蜴のライヴを体験しているが、“ただ怖い変人に見えた”というし、東京ロッカーズの時代、さちほとは、“どこかのライヴ・ハウスで一緒になっていたハズだ”という。東京ロッカーズが決して楽しいものに思えなかった著者だったが、ゼルダに出会ってこのバンドのことをもっと知りたいと思うようになった。それはゼルダ結成者である小嶋さちほを知ることであり、ゼルダが生まれた東京ロッカーズ・シーンを知ることでもある。 基本的に執筆当時のゼルダのメンバーへのインタビューをもとに構成しており、小嶋さちほ、高橋佐代子、石原富紀江、小澤亜子の生い立ちを第一章に、さちほの東京ロッカーズ・シーンとの関わり〜ボーイズ・ボーイズ結成〜脱退、ゼルダ結成〜初期メンバーのヨーコ(鈴木洋子)、マル(野沢久仁子)脱退〜石原と小澤加入までが第二章。ここまでで全体の3分の2の分量。第三章では新メンバーとなっての活動、ファンキーに変遷していった音楽スタイルやカラフルになったファッションなども交えて1988年9月の日比谷野音ライヴあたりまでが描かれている。 S-KENスタジオで初めてベースの音を出したあのシーンも、バンドとして不本意な作業となったファースト・アルバムのレコーディング現場もゼルダ側の言葉として書かれている。 本文の下段にはゼルダに関係・交友のあるアーティスト等のコメントが載っていて、セカンドアルバム『カルナヴァル』をプロデュースした白井良明やそのアルバムに収録された「Are You Lucky? ラッキー少年のうた」を提供した鈴木慶一、バンドでゼルダのコピーをしていたという森高千里らのコメントを掲載。 巻頭や文中には執筆当時のメンバーのライヴやオフショットの写真、巻末には1980年から1988年(9月)までのライヴ・ヒストリー(年表)、メジャーからリリースしたディスコグラフィー(1988年リリースのアルバム『シャウト・シスター・シャウト』まで)を掲載している。

Japanese Punk and New Wave関連書籍 Vol.1 菅原庸介著『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』

イメージ
日本のパンクとニューウェイヴの関連書籍をいくつか紹介。 (株)ドールより1987年に刊行された、東京ロッカーズの代表的バンドであるリザードのモモヨ(菅原庸介)が執筆した自伝的小説『蜥蜴の迷宮 −若き爬虫類にささぐ−』。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』が当時のアーティスト・関係者達の、主にピュアな部分を抽出して作り上げられた物語だとしたら、このモモヨが“視た夢幻をつらつら書き写した”という”自伝的小説”は、同じ時期を描いた部分もありながら、時にけしの森で迷い囚われ、享楽と邪な情念が渦巻く狂おしい人間関係の中に生きた経験を振り返った物語であり、破局の後に日本の古の歌人とロックンロールを重ね合わせていくことで新たな道を探り出し再生を告げた書でもある。 モモヨの中学・高校時代のエピソードや、もちろん<通底器><幻想鬼><エレクトリック・モス>といったバンドを経た後、紅蜥蜴を結成しリザードと改名した音楽活動の足跡も知ることができる(リザードとして1986年に発表した4曲入りミニアルバム「Book of Changes」まで)。 モモヨ自身が”自伝もどき”と記しているが、レコードのリリース、記された事件や事故の一部は他の出版物に記録されたものと表面的には変わらない事実であり、多くの人物やバンド名は変名となっているが実名で登場している箇所もある。もちろん書かれている修羅場と化した人間関係は知る由もないが、日本のアンダーグラウンドシーンやパンクロックシーンの裏側で何があったのかを知る・夢想するには格好の書だ。 “まず、この道に至らんと思わん者は、非道を行ずべからず” と世阿弥『風姿花伝』の言葉を引いた後、こう記している。 “ただ、ひたすらロックン・ロールするばかりでよい、他に示すべき何もない”(「あとがき 夢現」より)。 この本の中でモモヨが”家では画集を眺めることが多かった。ギュスターヴ・モローという、世紀末フランスの画家やデルフトのフェルメールが好きだった”と記しているが、私が後にフェルメールの絵画を好きになり(2000年に大阪で開催されたフェルメール展観に行った)、最初読んだ時は気にしてなかったけど、読み直したときフェルメールの名前を見てうれしかったな。

松山晋也監修・別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』

イメージ
2026年3月31日、Pヴァインより刊行。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』、いくつかレビューを読んだけど、当時を経験した世代、または東京ロッカーズ周辺を日本のロック史として知っている(聴いている)人たちは、ああしたらよかった、これが足りないみたいなレビューもあったが、当時の音楽シーンを知らない若者、世代には概ね好評のようだ。それは監督や原作者が望んでいたことでもあると思うので、なんか安心した。 その映画ではとりあげていなかった関西パンクシーン、関西NO WAVEと呼ばれたバンド・アーティスト群も1978年〜1979年には活躍し東京でもライヴをおこなっていたが、その代表的なバンドのひとつであるアーント・サリーを表紙にした、別冊ele-king『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』が出版された。 映画『ストリート・キングダム』が公開され、ここにきて書籍『ストリート・キングダム 最終版』、写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』と購買意欲を刺激される出版が続き、この他にもフリクションのシングル「Crazy Dream」や「I Can Tell」のアナログ再発もあり、さすがにシングルの音源はCD等数種持ってるので買わなかったけど。この『J-PUNK/NEW WAVE-革命の記憶』は、かつて雑誌『ロック画報』08号で吉祥寺マイナーについて回想録を書き、“何よりも「東京ロッカーズ」などといういちゃついたネーミングに嫌悪感を抱いていた”という松山晋也が監修している(『ロック画報』08号に掲載されていた記事は、松山晋也のブログに「 吉祥寺マイナーのこと 」として公開されている)。 地引雄一へのインタビューでは、地引が田舎の生活を撮影した写真が見られる(1枚だけど)。見たかったんだよねぇ…地引雄一が東京のロックシーンを撮影する以前の写真。福島県の農村を撮影した写真には、傾いた土壁の納屋と頰かむりをした農夫が写る。写真雑誌にも掲載されたというが他も見てみたい。インタビューはその頃の話題から最近のインディーズ・シーンとの関わりまでを語る、写真を含め16ページ。S-Kenのインタビューは写真を含め12ページで、ポジティヴな波動に満ちた内容。 小嶋さちほのインタビューは短いけど(写真を含め8ページ)、自身の音楽活動がパンクからスピ...

地引雄一撮影・写真集『JIBIKI YUICHI FRICTION 1978-1985』

イメージ
2026年3月25日、Record shop BASEより刊行。 地引雄一が1978年から1985年にかけて撮影したフリクションの写真集が発売された。フリクションの写真集というとレック撮影写真集+佐藤ジン・地引雄一・広瀬忠司らによる撮影のフリクション写真集という2冊組(+ライヴCD)『ZONE TRIPPER / FRICTION 1978-2008』(カラーフィールド刊・2008年)があったし、地引雄一の写真集は様々なバンド・アーティスト写真を収録した『TOKYO STREET ROCKERS 1978→1981』(リトルモア刊・2009年)があったが、地引雄一単独の撮影によるフリクション写真集は初の刊行となる。 巻末に掲載されたRecord Shop BASE・飯嶋俊男の「制作、発刊にあたって」によると、“あくまで主役は地引氏”と記されている。映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』と同じく主役はユーイチ、そのファインダー越しの眼差しだ。オンステージでは強烈に放射されるエネルギーが感じられ、オフステージではリラックスしユーモラスにも感じられる写真の数々。フリクションのバイオグラフィーと写真のINDEXを含む160ページ、A4サイズの写真集だ。 地引雄一の写真の魅力というとなんだろう…臨場感、それに被写体/バンドとの近さ…かな。音圧を感じるような接近戦といってもいいかも。 A4サイズなのでこれまで見たことのある写真もドーンと大きく見ることができる。恒松の弾くギター、ダブルカッタウェイのレスポールジュニアのヘッドには「Burny」のロゴ。 写真集には未発表の5曲入りCDが付属している。 曲目は下記、 1. I CAN TELL 1978年5月28日 六本木S-KEN スタジオ(レック、チコ・ヒゲ、ラピス) 2. CRAZY DREAM 1979年4月22日 新宿ロフト 3. ニューセンセーション 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター 4. CYCLE DANCE 1980年9月6日 新宿ニューヨークシアター (Track 2, 3 & 4 レック、チコ・ヒゲ、ツネマツ・マサトシ) 5. ニューセンセーション 1981年1月10日 市ヶ谷法政大学学生会館大ホール(映像では既発) (レック、チコ・ヒゲ、ゲスト:ノン G&Key ) 『J...

地引雄一著『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』

イメージ
2026年3月27日、SLOGAN/indies Pressより刊行。 1986年に ミュージックマガジンより 刊行された初版から40年、 2008年に K&Bパブリッシャーズより刊行された改訂版 『ストリート・キングダム 東京パンク/インディーズ・シーンの記録』から18年、 田口トモロヲ監督・映画『ストリート・キングダム自分の音を鳴らせ。』公開と同日に映画の原作『ストリート・キングダム』が最終版として刊行された。 巻頭に掲載された著者撮影のライヴやオフショット写真は、2008年版から若干追加あり紙質も見易いものになっている。本文の下部にある補足資料・画像も追加されている。最終章としてあとがきに2009年以降の事柄を記載、雑誌『ミュージック・マガジン』1985年3月号から13回にわたって掲載された「地引雄一の現場報告」が再掲載されリザード、フリクション、オート・モッド、くじら、G-シュミット、A-MUSIKなどを取り上げている。巻末には当時のチラシ、ポスター、ファンジンを掲載した「パンクアート・ギャラリー」で、こちらも2008年版から幾つか追加されている。 地引雄一はこの本のまえがきで「ストリート・キングダム」とは、 “何者にも従属しない自由な活力にあふれた異世界”であると記している。それは都市の地下に、路上に、ビルの中に、都市と対峙しながら生きる者達の生活空間に出現したのだと私は思う。 映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』はバンドの再現シーンについつい目が行きがちだが、この本を読み返して主人公ユーイチの物語だったんだなとあらためて思ったのである。 私が購入したタワーレコードではオリジナル特典があった。 タワーレコード購入特典:ポストカード(ザ・スターリン) タワーレコード購入特典その2:スマホサイズ・ステッカー(ノンバンド)

映画・田口トモロヲ監督作品『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』

イメージ
映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』。最寄りの映画館では上映なし。少し離れた町のシネコンまで電車で出かけた。公開直後なので少しだけ。 映画の冒頭、監督の田口トモロヲがナレーションを務めるNHKドキュメンタリーを模したような主人公ユーイチ(峯田和伸)の語りから始まりクスッと笑わせてくれる。1978年というあと少ししたら半世紀前になろうかという出来事をもとにした作品のため全体的にやや説明が多いと感じるものの、日本パンク黎明期の熱意と熱気、シーンの高揚と喪失、そして拡散をうまく捉えていると思う。 フォトグラファーという表現者でありながらもシーンを客観的に見ているという立場でもあり、交渉ごとや清算など実務的なものにルーズになりがちなバンドの人間に代わってそれらを担当せざるを得なくなったユーイチ役を峯田和伸が好演。印刷屋の娘という設定でミニコミを発行しているサチ(ゼルダのチホがモデル)を吉岡里帆が明るくパワフルにそして爽やかに演じている。吉岡里帆から「リディア・ランチ」という言葉を聞いたときは新鮮だったなぁ。それに若葉竜也が演じるバンド・TOKAGEのモモ(リザードのモモヨがモデル)の3人を中心に物語は進む。 どうしてもモデルのバンドの再現力に興味がいってしまうところだけど、ロボトメイア(ゼルダがモデル)が「うめたて」を演奏するライヴシーンはなかなか感動的な再現力。吉岡がベースを弾く姿も絵になっていてかっこいい。音はオリジナルの音源を使用した当て振りだが映画館の大音量で聴けるのもうれしい。それに新宿ロフトの外観の再現力は驚異的だ。ロフトの建物はもちろん、隣の家とその奥の建物を完全再現(VFXか)。素晴らしい。 1978年から1981年頃までのシーンをギュッと圧縮、同時進行していなかった事柄も並列で描いており、パンフレットには事実にフィクションを織り交ぜドラマ性を高めて観客が理解し易くした、と監督が語っている。宮藤官九郎が脚本ということで何となく想像できたがややコミカルなタッチ、でもホロリとさせる部分もあり、リアリティをキープしながらポジティブな作品となっている。原作にあったエピソードで幾つか入れてもよかったんじゃないかとか、あのバンドのこの曲を使って欲しかったと思うところはあるけど、まぁ、おっさんのノスタルジーというより現代の若者が観てどう感じるかが重要だ。

小中和哉著『僕たちはこうして映画監督になった 8ミリ映画時代を語る』

イメージ
2026年2月6日、文藝春秋より刊行。 「文春オンライン」 連載「僕たちは8ミリ映画作家だった」に増補・加筆した本が出版された。『星空のむこうの国』などを監督した小中和哉が13人の映画監督にインタビューし、幼少期の映画への興味から創作の原点、それぞれが8ミリカメラを手に取っての映画制作、または助監督経験、またはテレビ番組の制作やヴィジュアル作品制作、そして監督してきた映画作品を語る。特に8ミリ映画や自主映画に特化した内容ではなく過去から現在(インタビュー当時)までが語られている。 インタビューは ・石井岳龍 ・金子修介 ・手塚眞 ・犬童一心 ・大林宣彦(夫人・恭子と娘・千茱萸にインタビュー) ・黒沢清 ・塚本晋也 ・河崎実 ・今関あきよし ・庵野秀明 ・緒方明 ・蓮實重彦 ・安田淳一 他に小中和哉と弟で脚本家・小説家の千昭の対談と、小中和哉の妻で小中兄弟の会社・Bear Brothersのプロデューサーの明子との対談、それに2024年の是枝裕和とのトークイベントでの対談を番外編として収録している。 まず読みたかったのは石井岳龍との対談。『高校大パニック』、『1/880000の孤独』、『突撃!博多愚連隊』といった8ミリ作品、傑作16mm『狂い咲きサンダーロード』、『爆裂都市』、『逆噴射家族』あたりまでが話の中心。1990年代〜2000年代の作品や、聰亙から岳龍に改名後の2010年以降の作品にも触れてほしかった気はする。『爆裂都市』制作時のエピソードは他でも読んだり聞いたりしていたがやはり壮絶だ。撮影時もハードだったが公開日という締め切りが迫り“使いたい撮影済みフィルムがどこにあるかも分からないような状態”で『爆裂都市』を”未完のまま”公開、そしてスタッフは誰もいなくなったという非常に過酷な状況に追い込まれていったことを話している。 『狂い咲きサンダーロード』制作直前の石井岳龍(聰亙)に出会い、いきなり同作の助監督となった緒方明のインタビューも興味深い…。『狂い咲き〜』の後ピンク映画の助監督で仕事を覚え、8mm作品『東京白菜関K者』を初監督(撮影は石井聰亙)した後に再び石井聰亙『爆裂都市』の助監督をつとめるが、現場や制作進行をコントロール出来ない監督に見切りをつけ、続く『アジアの逆襲』では石井監督に向かって放った言葉が強烈。 金子修介監督が見た日活版『高校大パニック』(...

地引雄一著『ストリート・キングダム』再刊!

イメージ
3月27日公開、田口トモロヲ監督・映画『ストリートキングダム自分の音を鳴らせ。』の原作、地引雄一著『ストリート・キングダム』が最終版として再刊。タイトルは、 『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』 刊行はSLOGAN / indies pressより。 下記はSLOGAN HPのインフォメーション。 https://www.slogan.co.jp/streetkingdom/ 上の画像は『ストリート・キングダム』2008年改訂版刊行時のフライヤー ミュージックマガジンより1986年に刊行された初版 『ストリート・キングダム 東京パンク/インディーズ・シーンの記録』 K&Bパブリッシャーズより2008年に刊行された改訂版 『STREET KINGDOM 東京ロッカーズと80'sインディーズシーン』

JEAN-JACQUES BURNEL with LIZARD and ARB

イメージ
1978年10月、ジャン=ジャック・バーネルは空手修行のために来日、住む所を探していたところ紹介されてARB(まだシングル「野良犬」でデビューした頃)のドラマー、キースのアパートに泊まることになった。ジャン=ジャックは池袋の極真会館本部へ行き、修行中に負傷、キースが手当するが翌日医者に行くと肋骨が4本折れていたという。 1978年10月27日、六本木S-KENスタジオでリザードとミラーズが「二大怪獣!? 世紀の大激突」と銘打ったライヴをおこなった。この時のリザードのライヴテープを、ジャン=ジャックがキングレコード担当者の紹介でS-KENスタジオを訪れた際に聴いて興味をもち、自ら働きかけて1978年12月に六本木のパブ・カーディナルでモモヨと会見、リザードのアルバムプロデュースを申し出た。 LIZARD『LIVE AT S-KEN STUDIO'78 and more !』(Magnet Records 2002年) 上の画像はジャン=ジャックが聴いてアルバムプロデュースのきっかけになった1978年10月27日、S-KENスタジオでのリザードのライヴを収録したCD『LIVE AT S-KEN STUDIO '78 and more !』。モモヨ所有のTEAC 4チャンネルテープレコーダー(オープンリール)でライン録音された8曲が収録されている(他は1978年〜1979年にS-KEN STUDIOで録音した5曲)。 1979年2月、ストラングラーズ初来日。2月10日にはリザードが出演した新宿ロフトのライヴにヒューとジャン=ジャックが客として訪れている。ストラングラーズが2月15日に京大西部講堂でおこなったライヴにはリザードがフロントアクトとして演奏した。他の会場ではフロントアクトのバンドがサポート料として招聘会社に1ステージ10万円を支払うよう要求されて実現しなかったといわれている。京大西部講堂はモモヨが“商業的保身”から最も縁遠いライヴ会場としてジャン=ジャックに紹介した場所だった。この来日中にジャン=ジャックからリザード側に正式にプロデュースの申し入れがあり準備が進められていった。 リザードのメンバーは渡英費用を自前で用意、自主原盤という形でロンドン録音しキング・レコードからリリースするという契約を結ぶ。1979年7月20日イギリスへ渡りロンドンに到...

『ジャン=ジャック・バーネル自伝(ストラングラー・イン・ザ・ライト)』取材・アンソニー・ボイル、訳・伴野由里子

イメージ
2025年7月26日、シンコーミュージック刊。 2022年にオリジナルのフランス語版が出版、2023年にはエリザベス・ケイによって英語版、2025年に伴野由里子により日本語版が出された。編集はジェズ・ドレイクとJ.J.バーネルとクレジットされている。 原題は『JEAN-JACQUES BURNEL STRANGLER IN THE LIGHT CONVERSATIONS WITH ANTHONY BOILE』、題名のあとに“アンソニー・ボイルとの対話”とあるとおり、自伝といってもアンソニー・ボイルによるジャン=ジャックへのインタビュー形式で語られたものだ。コロナ・ウィルスの影響と距離の問題でその対話は2021年2月から翌年3月までZoom上でおこなわれた。冒頭に幼少時やステージ上、オフステージなどの写真を36ページ掲載、本文はテーマ毎に12章に分けて生い立ちや母国(ジャンの両親はフランス・ノルマンディーからの移民でジャンはイギリス生まれ)、影響を受けた音楽、自身の作り出した音楽、バンドメンバー、武道、暴力、神話や三島由紀夫、ドラッグ、セックス、モーターサイクルなどについて語られている。 ジャン=ジャックはバンクが革命だったとし、次第に“パンク革命から弾き出され”、“俺たちは抹消され”、“完全に孤立し”、“「革命」の担い手であることのプレッシャーから解放された”という。しかしそれはストラングラーズが独自路線を歩むことに繋がり良かったと語っている。ジャン=ジャック自身が他のパンクバンドや客やジャーナリストとトラブルを起こしたり、フィンチリーボーイズというストラングラーズ親衛隊がらみの暴力沙汰など武勇伝多し。 原語にもあったんだろうが、気になるのはジャンの発言の後に(ニヤリ)が多用されてることで、これ必要なのかな。まぁともかく口語体で書かれているのでとても読みやすい。ストラングラーズのメンバーのヒューやデイヴ、ジェットとの出会い、その音楽的変遷、ヒューの脱退、デイヴとの別れ、ジェットの引退と、バンドとしての栄枯盛衰、近年のバンドの状態についても語られている。ジャンは知識豊富で、政治的、地政学的な会話、文学、芸術に関する会話はとても面白く読める。 ザ・ストラングラーズの結成は1974年、ヒュー、ジェット、ジャン=ジャックの3人にハンス・ウォームリングというギター/キーボード...

私の放浪音楽史 Vol.127 EVERYTHING BUT THE GIRL「NIGHT AND DAY」

イメージ
1982年、Cherry Redよりリリースのシングル。 チェリーレッドからシングル「Cant」を1981年にリリースしていたベン・ワットと、当時マリン・ガールズに在籍していたトレイシー・ソーン。この二人でシングルを出そうとチェリーレッドのマイク・オールウェイが画策、かくして同じハル大学に入学することになったベンとトレイシーは急接近し音楽的にも親密になる。マイクの思惑通りというか、二人が最初のクリスマス休暇に西ケンジントンのアルヴィック・スタジオでレコーディングしたのがこのシングル曲で、二人のユニットはEVERYTHING BUT THE GIRL(女の子以外ならなんでも)と名付けられた。 コール・ポーターのスタンダード「Night And Day」を取り上げたのは“ジャズを復活させようというヴィック・ゴダードの些か物騒な試みに、微力ながら加担しよう”というのが理由だったとトレイシーは自伝に記している。カップリングにはベン・ワット作「Feeling Dizzy」とマリン・ガールズがリリースしていたトレイシー作「On My Mind」のEBTGヴァージョン。上の画像はおそらく1990年代前半にリリースされたと思われるCDシングル。スリムケースでインサート(ジャケ)は白で曲名などのレタリングのみ。オリジナル・アナログ盤リリース時のジャケットであったトレイシーとベンの写真はCD盤にプリントされている。 エヴリシング・バット・ザ・ガールのシングル「Night And Day」は英インディ・チャート1位を獲得、エルヴィス・コステロ等がこのシングルを気に入り、特にポール・ウェラーはロンドンのICAで行われたETBG初ライヴに飛び入り参加するほどの熱の入れようだった。当時のセットリストをトレイシーの自伝から抜き出してみよう。 at London, Institute of Contemporary Art (ICA) 「Rock Week」5th January, 1983  1. On My Mind  2. Nevertheless (cover : The Mills Brothers etc..)  3. Waiting Like Mad  4. English Rose (cover : The Jam)  5. Nigh...