頭脳警察『東京オオカミ』

パンタの遺作といっていいんだろうな頭脳警察のアルバム『東京オオカミ』が2024年、パンタの誕生日2月5日にBRAINPOLICE UNION/ROCKET PUNCH LLCよりリリース。プロデュースは秋間経夫。

ミュージックマガジン増刊『パンタ/頭脳警察 反骨のメッセージと叙情が交差するロック詩人の航跡』に掲載された志田歩の同アルバム解説とネット版Rooftopに掲載されたトシ達のインタビューを参照しながら紹介したい。

オープニング・ナンバーでタイトル・トラック「東京オオカミ」の烈しく扇動的な緊張感はどうだ。1972年の「ふざけるんじゃねえよ」、1990年の「Blood Blood Blood」を受け継ぎ比肩する楽曲。作詞はパンタと田原章雄(マネージャー)の共作で、東京の神社にオオカミの狛犬があること等から、かつて東京にオオカミが群れなし駆け抜けていた、その伝説から飛び出し、誇り高く吠え続けろ、という内容。オリジナル頭脳警察が活動していた政治の季節を感じさせるが、その連想を避けるように元は漢字だったタイトル“東京狼”をカタカナ表記にしているという。非常に印象的なギターリフはT.REX「Jewel」を思わせる。

地名の丹後をかけている「タンゴ・グラチア」。ガラシャ(Garacia)はキリスト教の洗礼を受けた明智光秀の三女・玉(たま)で、細川藤孝の息子忠興に嫁ぎ丹後の国で暮らした。後に石田三成の人質となることを拒み壮絶な最後を遂げる。辞世の句、“散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ”を歌詞に取り込み、余命宣告を受けていたパンタが歌う…。美しく気高くも切ない傑作。隠れキリシタンが口伝してきた「ぐるりよざ」(グレゴリオ聖歌)をサックスの竹内理恵が低音で奏で、タンゴのリズムに切り替わるイントロは特にスリリング。

パンタが1968年(18歳!)に作詞作曲したという「雨ざらしの文明」はザ・ビートルズの「Tomorrow Never Knows」にインスパイアされたようなサイケデリックなアレンジ。同じく1968年に作られたという「ソンムの原に」は、1989年に刊行されたパンタ詩集『ナイフ』に未発表曲として歌詞が掲載されていた(現行とは若干異なる歌詞)。コーラスのアレンジを含めGS的印象も受ける軽快なアレンジだが歌われている内容は現代まで性懲りも無く繰り広げられる殺戮の光景(そして花々が流す涙)。

かつてバイク雑誌『MASSIMO』に掲載されたというパンタの詞にメンバーが曲をつけた3曲を収録。ファンキーな「RUNNING IN 6 DAYS」(作曲:おおくぼけい/キーボード)はパンタのヴォーカル録りが間に合わずリハーサル音源を収録していると記載があるが雰囲気は悪くない。ジョン・リー・フッカーのブギのようなアレンジの「風の向こうに」(作曲:宮田岳/ベース)はメンバーとパンタの掛け合いのようなコーラス部分も面白い。“光の街では見つからない”という宝を歌う「宝石箱」(作曲:澤竜次/ギター)は澤のギターが炸裂する後半も聴きもの。

破綻しないように続けてゆく日常をドライブに例えたかのような宮田岳作詞作曲「ドライブ」は、頭脳警察のアルバムではないが『1980X』的なシャープで洗練された雰囲気がある。“どこかで転んでおけば良かったのさ”という歌詞が印象的だ。

「海を渡る蝶」は水族館劇場の公演『揺れる大地』のために書かれた曲(作詞は水族館劇場の桃山邑、作曲パンタ)でジャジーなアレンジが素敵だ。曲中の “世界はいつだって劇場だもの” というセリフをマリアンヌ東雲が担当している。

私は2002年にライヴで初めて聴き、2008年にCDシングルでリリースされ、2000年代頭脳警察を代表する曲といえる「時代はサーカスの象にのって」。このアルバムでは現メンバーで録音、さらりとした、よい意味での軽みを感じさせる、とてもいい仕上がりになった。

「冬の七夕」は、2019年に亡くなった盟友の橋本治に捧げたバラードだが、パンタ亡き今、この歌を聴くと非常にせつない。パンタに提供した歌詞の一節や、ご近所さんだった橋本とパンタの真夜中の密会、橋本にゆかりの毛糸も歌詞に織り込まれている。

ラストの「絶景かな」。2020年7月、当時新型コロナウィルスのパンデミックという未曾有の災厄の真っ只中にリリースされたシングルのタイトル曲。PANTA noteによればコロナ禍で“閉塞する「今」こそ未来を「絶景」として見据える決意を伝えるため”に聴いてもらいたいということだったが、個人的には未来というよりその時、三密回避、感染対策のためライヴ自粛・中止、東京オリンピック延期決定、緊急事態宣言やロックダウンにより人が消えた街、病院にあふれる感染者、毎日ニュースで伝えられる感染者数と死者数…全ての人々に分け隔てなく感染するウィルスの襲来した世界を“絶景かな”と歌える凄さをアイロニーとして感じたな。

そのシングルではあまり聴くことは無かったのだけど、基本ライヴ一発録りだったシングルとは違って、今回のスタジオ・アルバムでは現行頭脳警察の確かな結束と成長を感じさせる仕上がりとなっている。今、この歌の諦念とも思える歌詞が心に響く。さようならと手を振る姿が想い浮かぶ。あの時、来たるべきコロナ後には、差別なく命を大切に思う世界が来ることを期待したけど、やって来たのは戦争の時代だった。性懲りも無く繰り返してばかりの世界、だからこそ「絶景かな」はいつまでも鳴り響き続けるのだろう。今は分かる。この歌はただ希望の歌ではなく未来への決意を伝える歌なのだから。

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