My Wandering MUSIC History Vol.19 ヒカシュー『ヒカシュー』
ヒカシューで強く印象に残ったのは、メンバーが真っ赤なブレザーに白いパンツスタイルの東京オリンピック(1964年)日本選手団制服を着ていたヴィジュアル。 “金曜娯楽館”だったか“ステレオ音楽館”だったか定かではないが1980年頃のテレビ番組のニュー・ウェイヴ/テクノ・ポップ特集を見た時だ。それに巻上公一のユーモラスで不気味な表情と強い発声、コミカルなイメージがありながらも機械的でユニークな楽曲も印象に残った。バンド名の“ヒカシュー”も奇妙ですぐ覚えられる。武満徹の “悲歌” に由来するが、無意味化するためカタカナにし、無意味な “ヒカ” として様々な楽曲を演奏する、そういった意味を無化する“集” 合体であることから、 “ヒカシュー”と名付けたと巻上が語っている(ばるばら著『ナイロン100%』アスペクト社発行)。
オリンピックの制服はファースト・アルバムのジャケットでも着用している。このアルバム・ジャケットで使用されている椅子は渋谷にあったニュー・ウェイヴ・バー“ナイロン100%”(ヒカシューのメンバーも訪れ、ライヴもしている) で使われていたものと同じものらしい。だけどこのアルバム・ジャケットはイメージが散漫な気がする。裏ジャケの滝本淳助による“路上でこたつに入りインターフェースのケーブルを抜き差しするヒカシューの面々”のほうが このグループの特徴を良くとらえていると思うけど。
当時ヒカシューはドラムレスでリズム・ボックスを使用していたが、ファースト・アルバム(プロデュースは近田春夫)では、ゲスト・ミュージシャンで泉水敏郎(8 1/2、ハルメンズ)や高木利夫(近田春夫&BEEF、ジューシー・フルーツ)がドラムで参加している。ドラムスのクレジットがないのは「20世紀の終りに」、「プヨプヨ」、「炎天下」、「ヴィニール人形」、「幼虫の危機」だが、「20世紀の~」はスネアだけ入れようとかリズム・ボックスのレコーディングには苦心したようだ。
アルバムの内容はどの曲も個性的。「レトリックス&ロジックス」や「ルージング・マイ・フューチャー」はロックンロール・ベースな スピード感があるナンバー、Xレイ・スペックスを彷彿とさせる。「モデル」はクラフトワークの日本語カヴァー。怪奇大作戦なムードの「ヴィニール人形」、 特に大好きだったクールなナンバー「雨のミュージアム」、先行してシングル・リリースされた「20世紀の終りに」は、“イヤヨ、イヤヨ”や“ハイハイハイ”といったユーモラスな合いの手と 20世紀末に恋を手に入れるのがいかに困難かというテーマが歌われ、ギターソロに被せたシンセも印象的な21世紀に聴いても名曲。
初期ヒカシューを代表する「プヨプヨ」と「幼虫の危機」はどちらもビザールな曲でフリーキーなサックス、鬼気迫る巻上のヴォーカルが迫力。「炎天下」の歌詞はレコード会社の自主規制で変えさせられたというが、 1996年にリリースされたデビュー前の初期音源集『ヒカシュー1978』では宅録音源ながらオリジナルの歌詞を聴くことができる。それでもこの曲の歌詞はアナログ盤の歌詞カードには掲載されていなかった(再発CDではどうなっているのだろうか)。
ヒカシューはこのあと2枚目『夏』、3枚目『うわさの人類』まで良く聴いていた。
石井聰亙監督1981年公開の映画『シャッフル』でヒカシューは音楽を担当(ヒカシューの他にバチラス・アーミー・プロジェクトも担当)しているが、練馬の居酒屋で石井監督に声を掛けられたことがあり、しばらくして『シャッフル』の音楽を頼まれたそうだ。巻上はオールラッシュのフィルムを見て画面の魅力に圧倒され、これで十分じゃないかと思ったが、石井は画面以上のエネルギーと疾走感を求めている、と感じた。そしてフィルムを見ながら即興で劇伴をつけたが、特にギターが監督の望む音にならないため苦労して録音した、ということが 巻上公一著『宇宙の右翼 水中の左翼』に記載されている。