My Wandering MUSIC History Vol.31 ARB『BAD NEWS』

1980年5月ビクター/インビテーションよりリリースのアルバム。

1980年代の初め頃になると私のまわりではそれまでフライングVを持ってマイケル・シェンカーのコピーをしていた友人達は、ジャズ・マスターにギターを変えARBの「TOKYO CITYは風だらけ」を演奏するようになっていた。そのソリッドなロックンロールと日本語で歌われる1980年を生きる若者達に向けた歌詞の描写は新鮮で、私達にとってはこれが今の・等身大のロック・歌なんだと受け取られていたと思う。 当時雑誌に掲載されていたARBのメンバーの写真はナイフのようにシャープだった。校則に逆らって伸ばしていた髪は短く刈った。ブラックジーンズにハイカットのコンバースを履き、Tシャツに古着か親父の古ぼけたジャケットを着るのが普段着になった。

私が聴いてきた日本のハード・プログレ、東京ロッカーズ周辺とは違った流れにある博多・北九州周辺のバンドとしてはARBを最初に聴いたのではないか。もっともARBは東京の音楽事務所主導で作られた企画バンドだった。当時少女達に絶大な人気のあったスコットランドのアイドル・バンド、BCR(ベイ・シティ・ローラーズ)の日本版として1977年の春頃に作られたバンドで、BCRに似せて頭文字がARBになるようにアレキサンダー・ラグタイム・バンドというバンド名も決まっていた。またメンバーもアルバム『バッド・ニュース』リリース時で言えば、石橋凌は久留米、田中一郎は博多と九州出身だが、ドラムのキースは秋田出身、ベースのサンジは大阪出身なので、九州から出てきたバントとは言い難い。それでも凌と一郎はARBのコンポーザーであり、凌は作詞作曲、一郎は作曲とサウンド・クリエイトのリーダーとしてARBの核となる部分を担っていた事から、九州という地方色は出ていたと思う。ARBを聴き始めた時にはそんなメンバーが九州出身とか気にもしなかったけど。

1979年10月、パンクにヤラレたメンバーはアイドル・バンドを強要し続ける所属事務所を飛び出す。5人だったメンバーは石橋凌、田中一郎、キースの3人になった。その3人でシングル「魂こがして c/w TOKYO CITYは風だらけ」を録音、1979年12月にリリース後、ベースに野中“サンジ”良浩が参加、再出発となるアルバム『バッド・ニュース』は1980年5月にリリースされた。

針を落とすと音の塊が耳に飛び込んでくる、1曲めの「乾いた花」。クラッシュ、ピストルズのパンクの攻撃性とフィールグッド、グラハム・パーカー等のパブ・ロック経由の黒っぽさをも感じさせるサウンド。緊張感のある「ノクターン・クラブ」。スライドギター炸裂「お前はいつも女だった」。Route66~国道3号線を経て辿り着いた無慈悲な都市TOKYO。凌もファンだったサンハウスの柴山俊之作詞による「TOKYO CITYは風だらけ」は新宿ロフトで録音されたライヴ・ヴァージョンでの収録。先のシングルは3人での録音だったから、サンジを入れてアルバムの為にスタジオで再録音するより、勢いがそのまま出るライヴ・テイクを、と思ったのかもしれない。客との掛け合いも込みでバンドの勢いをパックした。前曲の歓声が消えないうちにスタジオ録音に戻り、当時の凌の彼女をモデルにしたという「BLACK & RED」。この曲のコード感は田中一郎のセンスとテクニックを感じさせる。 “色褪せちまったカーテンが落ちて 新しい色をした時代が来るけど” というフレーズが80年代の幕開けを捉えている。“I Fought The Law”な雰囲気も感じさせるポップな曲調の「ラ・ラの女」。ここまでがアナログA面。

“政治屋は飛行機眺め 落花生の皮を剥く”という歌詞が当時所属事務所のひんしゅくを買いファースト・アルバム収録を見送られたという「空を突き破れ!」。シンプルなパブ・ロックにのせてお手軽なライフ・スタイルを歌う「パントタイム」。 “じょんじょん育ち”というのは、ずーっと何だろうと思っていて、今回ネットで調べてみたけど九州の方言で“じょんじょん”は“お利口さん”って意味らしい。坊ちゃま育ちって感じかな?「OK! OK!」はネヴァーマインドなラヴ・ソング。バンドの再出発にもふさわしい。こんな道行き憧れたなぁ。「Tiger」は柴山作詞のハードボイルドなナンバー。重心の低い演奏も睨みを効かす。

タイトル・トラック「バッド・ニュース」はARBが社会派バンドと言われるきっかけになった曲だろう。ストレートなロックンロールが並ぶアルバムの中でこの曲はマイナーな曲調にドラムのロールがドラマティックな効果を生んでいる。軍事的な脅威が忍び寄る不安感を歌いつつ、それが楽曲・ロックナンバーとして成功している珍しい例だと思う。ラストの「鏡の中のナイフ」も柴山俊之作詞。“太陽なんてくそくらえ”という歌詞が凌は恥ずかしかったというが、柴山にドアーズのジム・モリソンみたいに詞の世界を演じるんだと言われたと語っていた。当時聴いていた私もこの曲には少し抵抗があったな。セリフのところがね、クサい。でも良い曲。後に役者になる凌だが、少しシアトリカルな歌詞を作った柴山には先見の明があったかな。

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