トレイシー・ソーン著・浅倉卓弥訳『アナザー・プラネット:郊外の十代』
『安アパートのディスコクイーン』に続くトレイシー・ソーン・二作目の著書。
帯には“ トレイシー・ソーンの自伝第二弾! ”と書かれている。が、こういうのを自伝というのかな?郊外に家族と暮らすということが十代のトレイシーにあたえた影響、ということに焦点をあて、 ルーツ探訪、またはファミリーヒストリー(by NHK)的なエッセイ、コラムをまとめたものになっている。音楽的な面の記述はそれほど多くない。
トレイシーによれば、これはイギリスの郊外に育ったトレイシー自身の成長を語る「グリーンベルト」という長いエッセイとして始まり、並行して書き起こしていたレビューや小さな記事やコラムを飲み込み、再構成、削除、書き直しをしてこの姿になった 、と本書の著者覚え書きに記している。
帯にはさらに “「これから恋人はオレンジ・ジュースだけ」” というトレイシーの日記から引用したキャッチコピーとか、“ この本に登場するアーティスト、バンド、作家、映画など ”として、デイヴィッド・ボウイ、バンシーズ、ピストルズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、キュアー等々が紹介されているが、多くはジャムやコステロやドゥルッティ・コラムやエコー&ザ・バニーメンのレコードを買ったとか、バンシーズやキュアーをテレビで見たとか、マキシマム・ジョイのギグに行ったとかという十代当時の日記の短い記述であったり、ボウイやJ.G.バラードにしても彼らと郊外という土地についての考察、ジョイ・ディヴィジョンはブルックマンズパークにある電波中継塔に絡めてとりあクリッシー・ハインド、スリッツ、スリーター・キニー、ビキニ・キルの行動や言動からフェミニズムを論じる、といった具合だ。
エヴリシング・バット・ザ・ガールは名前もでてこなかったよ(歌詞は登場する。
エヴリシング・バット・ザ・ガールは名前もでてこなかったよ(歌詞は登場する。
短いエピソードを重ね、組み合わせてひとつの流れをつくり上げたように思える今回の著作は、ブルックマンズパークという地域の極めて英国的な内容を描いた部分があるものの、前作同様シニカルでユーモアもあり興味深く読むことができる。
まるでガイドブック的に書かれているブルックマンズパークの地名、建物、店名を読めば、グーグルのストリートビューで見てみたくなるし、実際見た。ブルックマンズパークの人口は約3,500、緑に囲まれた村でゴルフ場が目立つ。木立にかこまれた細い道、英国的な住居、電波中継塔、ロンドンへ続くA1000、トレイシーの生家があるペブリンズ・ウェイ、駅の近くのお店もトレイシーの説明通りだ(名前が変わっている店もあったけど)。これら森にかこまれた小さな住宅地の画像をみているとまるで『ツイン・ピークス』だなと思ってしまうが、確かにデイヴィッド・リンチについての記述もある。
映画『ジョーズ』を観たあとのトレイシー少女の反応にはうなずけるし、ブルース・スプリングスティーンの『闇に吠える街』を手にしたときのトレイシー少女の眼差し、そしてスプリングスティーンのサウンド、歌詞に対する感情は、私にとってはちょっと意外だったかな。あのトレイシー・ソーンがブルース・スプリングスティーンに!?そういえばスプリングスティーンの「Tougher Than The Rest」(アルバム『トンネル・オブ・ラヴ』収録)をEBTGでカヴァーしてたな。
両親との関係や友人・異性関係など、前作よりもあけすけに書かれている。1976年から1981年、トレイシー13歳から18歳までの日記。そこに書かれていないもの、書かなかったもの、
肉親や他人に話さなかったこと、話せなかったことを確かめるために過去を巡る旅に出た2016年と2017年、トレイシー55歳。
ブルックマンズパークを訪ね、この本を書き終えてトレイシーは、なにか答えというか腑に落ちるものはあったのだろうか。トレイシー自身、故郷ブルックマンズパークに対して抱く想いはとても複雑だ、と書いている。それでも激しく反抗していた両親に対しては答えが出たように思える。
読み終えてトレイシーの最初のソロアルバム『A Distant Shore』(1982年)を聴く。
このアルバムの曲は1981年の冬に書かれたというから時期的にはこの本でトレイシーが引用していた日記のすぐ後、19歳の時に書かれたのだろう。
1曲目「Small Town Girl」。確かに小さな町の、というか村の少女だよなー。
囁くようにこんな歌詞が歌われている。
“ some thing are better left unsaid ”
囁くようにこんな歌詞が歌われている。
“ some thing are better left unsaid ”
それにしても前作と本のサイズは一緒にしてよ…。