追悼・忌野清志郎 RCサクセション「トランジスタ・ラジオ」
1980年12月リリースのアルバム『Please』より。 忌野清志郎が亡くなった。2009年5月2日のことだ。 その日はGWの初日、CD屋巡りをしながら「清志郎、再入院したけど最近情報がないね」なんて話しもしていた。夜遅く帰ってきて飛び込んできた訃報に愕然となって、その夜は眠れなくなり自分でもそのショックの強さに驚いた。 1980年(昭和55年だ)の冬休み私は初めてアルバイトをした。 年末年始に郵便局で募集していた郵便配達のバイトだ。自転車で自分の受持ちの地域へ葉書や封書や年賀状や時には現金書留なんかを配達した。最初の頃は配る家を間違えたりして注意を受けたりしたが、その休み中は雨が降らなかったこともあり、楽しい思い出だ。自転車に乗りながら口ずさんでいた歌が「トランジスタ・ラジオ」だった。 リリースされたばかりのこの曲(シングルリリースは1980年10月)をよく聴けたなと思うし、憶えていたなぁと思うのだが、友人がアルバム『プリーズ』を買っていて借りたのかもしれないし、ラジオでオンエアされたのを聴いていたのか、テープに録音したのかもしれない。 “ベイエリアから リバプールから”というところが妙に気に入っていた憶えがあって、毎日何回も歌いながら町中をくるくる廻っていた。 その時の幾ばくかのお金は、自分自身の初めてのラジカセになった。 だからこの曲を聴いたり歌ったりすると、実家の近くの細い道を郵便局に向かって走っている朝の風景や 配達先のアパートの近くを走っている風景が浮かんでくる思い出深い曲だ。もう少し、RCや清志郎について書いてみよう。 初めてRCを聴いたのは『ラプソディ』だった。やはり「雨上がりの夜空に」に強烈な印象を持った。ちょうど同じ頃リリースされた子供ばんどのアルバム『WE LOVE子供ばんど』に収録されていた「サマータイムブルース」とともに 私達音楽少年の愛唱歌になった。 やがて自分の興味がパンク、ニューウェイブへ移っていき、もっとソリッドで硬質な(当時のRCにその要素が無いとは言わないが)、日本のバンドだと東京ロッカーズ周辺やP-MODEL、ARB、ルースターズ、INU、スターリンなどを聴くようになり、しだいに成功していった RCを横目で見ながら、私は自主制作のシングル盤を出しているようなバンドを聴いたりするようになっていた。 1982年になる頃にはテレビ