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BOYS BOYS「MONKEY MONKEY c/w CONTROL TOWER」

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1980年3月25日、PASSレコード/トリオからリリースのシングル。 遂に2019年再刊となった佐藤ジンの写真集『GIG』を見ていて、1978年〜1980年はほぼ東京ロッカーズ周辺のバンドが被写体となっているが、結構写真点数が多いなと思ったのがボーイズ・ボーイズだった。写真集に付属のインデックスでボーイズ・ボーイズのクレジットがある写真を数えてみると、1978年〜1980年にかけてオフショットやステージ写真が27枚掲載されている。 1978年5月28日六本木にS-KENスタジオがオープン、そこで行われていたフリクション、リザード、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KEN等のライヴに客として観に来ていた女子4人、クミ、エミ、チホ、カズミが S-KENのメンバーから“君たち絵になるからバンドやってみなよ”という勧めもありボーイズ・ボーイズを結成したのは1978年8月頃。といってもただの客じゃないんだが…。 紅蜥蜴や3/3、ラリーズ、村八分といった日本のアンダーグラウンド・シーンを取り上げたミニコミ「ロッキン・ドール」を発行していたチホ(ベース)、レックやエスケンとともにミニコミ「WATCH OUT」を編集、1978年8月に発行したエミ(ギター)、ラモーンズ・ファンクラブのスタッフでエスケン(田中唯士)とも知り合いだったクミ(ヴォーカル&ギター)、そしてドラム演奏経験があったカズミ。 彼女達は手始めにヴェルヴェット・アンダーグラウンドのコピーから始めた…。 ボーイズ・ボーイズのライヴ・デビュー1978年12月23日S-KENスタジオでの「クリスマス・ギグ」だった。共演は東京ロッカーズ・セッション、 アーントサリー、SS。続いて1978年12月31日下北沢ロフト「大みそかギグ」にも出演、その後もライヴ活動を行っていたが、1979年3月頃には初代ドラマーのカズミが脱退し、ベースのチホも“つまんなくなって”脱退(チホはその後ゼルダを結成)、1979年4月新たにDサキ、Bヤヨイが加入し活動継続した。 このメンバーで録音、PASSレコードから1980年3月25日にリリースされたのが7インチ・シングル「Monkey Monkey c/w Control Tower」(PAS-201)で、突然段ボール「ホワイト・マン c/w 変なパーマネント」(PAS-202)、Phew「終曲 c/w