投稿

11月, 2020の投稿を表示しています

NHK連続テレビ小説『エール』

  NHK朝ドラ「エール」終了。 新型コロナウィルスの影響で撮影と放送中断もあり、最後は駈け足となった印象だが、通じて面白く見ていられた。最初の原始人のシーンやオヤジ幽霊登場、途中のバンブーの2人のなれそめや、オペラ歌手の環(柴咲コウ)と恋人とのエピソードなど意表をついたり突然挿入された逸話も面白かった。 最終話の自宅の床から砂浜へ続く演出も優しく想像力にあふれたシーンだったと思う。戦場のシーンでは、歌の練習をする兵士たちの野太い声に混ざった森山直太郎の高い声に、寂しさと虚しさを感じ、赤く染まった水溜りのシーンに息を呑んだ。 主人公のモデルとなった古関裕而の作品だが、具体的に歌のタイトルなど知らないものの、メロディは聴いたことがあったり、この曲も古関作品かーという程度の関わりしかないけど、ネットで調べると軍歌、応援歌、社歌、自衛隊歌、仏教歌と、歌謡曲にとどまらない幅広い作曲活動していたんだな。 手元にある古関作品としては、ヒカシューの巻上公一がソロアルバム『民族の祭典』(1982年)の中で歌った「イヨマンテの夜」と、リザードのモモヨがTHE UNLIMITED DREAM COMPANY. Featuring NUTS名義でリリースした、12インチ・シングル『MOTH-LAH』(1983年)の中でRiekoにより歌われた「モスラの歌」。エキゾチックな旋律が耳に残る、この2曲がやはり馴染みがあるなー。 エールの最終回・カーテンコール、「イヨマンテの夜」を歌う馬具職人・岩城(吉原光夫)、 「モスラの歌」を歌う、藤丸(井上希美)と千鶴子(小南満佑子)、が聴けたのもよかった。 そういえば主人公の娘の結婚式でロカビリー歌手アキラ(宮沢氷魚)がバンドで歌うシーン、 結構な長さで演奏が放送されて、なかなかロカビリーな曲と演奏でカッコいいなと思っていたら、演奏にはロカビリーバンドThe Biscatsのメンバー、ギター&ベースが参加していた。

Kadoi The Heartbreak & Hiroshi The Golden Arm監修「『JOHNNY THUNDERS Complete Works - the Art of Cosa Nostra」

イメージ
2020年4月11日 シンコーミュージック・エンタテイメントより出版。 しばらく前に出版されたジョニー・サンダースの全仕事(2019年にリリースされた音源まで)をまとめた労作。大きさがA4判で、個人的にはこの手の本としては、ちょっと大きいなーと思って購入するのを迷ってたんだけど、結局6月頃に買ってみて、ジョニー本人、ウォルター・ルアーやパティ・パラディン、ニーナ・アントニア、グレン・マトロック等のインタビューを読んだり、メモラビリアや、アナログ盤ベースで大きく紹介されているニューヨーク・ドールズ、ハートブレイカーズ、ソロ作をパラパラと眺めて、やはり大きい、重い、と言う本だったのだが、日本盤CDの帯付ジャケット写真がずらりと掲載されているのが壮観。 初版から再発されてるもの、再々発されてるもの、小さい写真ながら125枚が並んでいて、リリース年、カタログ番号、短くコメントも記載されてるのを見て、これは凄い本だ、という思いがじわじわと湧いてきた。 ジョニー・サンダースはそれほど枚数聴いてない。 ソロ・アルバム『So Alone』を聴いたのは1980年代初め頃か。1984年にリリースされた『L.A.M.F. Revisted(邦題:L.A.M.F.〜復活)』、ライブ盤『DTK』、リチャード・ヘル在籍時のハートブレイカーズのライヴ盤『What Goes Around』や『Live At Mothers』、ROIRからカセットで出てた『Too Much Junkie Business』、アコースティックな『ハート・ミー』、このくらいか。『コピー・キャッツ』は聴いてないな。あとニューヨーク・ドールズのファースト、セカンドか。 1988年2月6日に渋谷公会堂でおこなわれたイベント、THE COVER SPECIALでジョニー・サンダースを見た。 ピンクのスーツに身を包んだジョニーは、ディランのカヴァー「Joey Joey」、ジョニーのオリジナル「You Can't Put Your Arms Round A Memory」をアコースティックの弾き語りで演奏した後、G花田裕之、B寺岡信芳、D Kiethという職人肌のミュージシャンをバックに、ギターをレスポールJr TVに持ち替え、「Gloria」、「Rock Me Baby」を演奏、その派手な佇まいもさることながら、次第に自

陣野俊史著『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』

イメージ
2020年10月26日 河出書房新社より出版。 陣野俊史が2000年に出版した、じゃがたらの評伝「じゃがたら」は、バンド活動当時じゃがたらを聴いていなかった私に、じゃがたらの音楽の素晴らしさを教えてくれた本だった。その陣野俊史が新たにザ・ブルーハーツの本を出版した。 ザ・ブルーハーツが1987年にインディで出したシングル「人にやさしく c/w ハンマー」、同じく1987年にリリースしたメジャーデビュー・シングル「リンダリンダ c/w 僕はここに立っているよ」は友人に借りて聴いた。ピストルズやクラッシュ・タイプのパンク・ロック。 1987年…。セックス・ピストルズの解散からは9年が経ち、1985年にはクラッシュも解散、ダムドやストラングラーズも音楽性を変えていたし、1982年にザ・ジャムを解散したポール・ウェラーはスタイル・カウンシルを結成、ジャズやソウルを取り込み音楽性を大きく変えていた。 1980年代も半ばを過ぎての初期パンク・ロック・スタイルには今更感があり、ブルーハーツの活動していた当時、私は特に好んで聴いていたわけではなかった。だけど1989年にリリースされた真島昌利のソロ・アルバム『夏のぬけがら』を聴いて気に入り、遡ってザ・ブルーハーツも聴くようになった。 『ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説』は、バンドの経歴や当時の世相を折り込み、現代の視点からザ・ブルーハーツの歌詞を詩として読み解く、という本で、新型コロナウィルス感染に怯える現代に再び読まれているというカミュ著「ペスト」を通して「リンダリンダ」で歌われるドブネズミを読み解き、「チェルノブイリ」は反原発なのかを考察、「手紙」でヴァージニア・ウルフを紐解き、マーシーのソロ作品をも取り上げる。「少年の詩」や「世界のまん中」で孤独と世界を対比し、「すてごま」や「やるか逃げるか」で自衛隊派遣との関連を検証、「幸福の生産者」や「ヒューストン・ブルース」でブルーハーツの解散について考えてみる、といった具合だ。 この他にもブルーハーツにとどまらず、ハイロウズ、クロマニヨンズからも歌詞がセレクトされ、取り上げられている。バンドメンバーや関係者の言葉は過去出版された書籍やインタビュー記事を参照していて、直接のインタビューはない。歌詞、および歌詞の背景の考察・解釈としては文学的側面からのアプローチとなっていると思うが、ヒロ