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追悼・BRIAN JAMES

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ザ・ダムドの創始者でありソングライター、ギタリストのブライアン・ジェイムスが逝去、70歳だった。UK3大パンクバンドのひとつとされ、1976年10月22日にリリースしたシングル「New Rose c/w Help」はイギリス初のパンクレコードといわれる。ブライアン・ジェイムスのいたダムドはスティッフ・レコードから5枚のシングルとアルバム2枚をリリース後、1978年春にあっけなく解散したが、すぐにブライアン抜き、ベースにアルジー・ワードを加えキャプテン・センシブルがギターとなりダムドは再始動する。 『DAMNED DAMNED DAMNED』(1977年) アートワークも最高な名盤、ザ・ダムドのファースト・アルバムでありグレイト・パンク・アルバム。収録されているのは、ほぼブライアン作(収録12曲中カヴァー「I Feel Alright」とスキャビーズ作「Stab Your Back」を除く)。 『MUSIC FOR PLEASURE』(1977年) ザ・ダムドのセカンド・アルバム。プロデュースはピンク・フロイドのドラマー、ニック・メイソン。なんでもバンドはシド・バレットにプロデュースを頼みたかったらしい。 『SKIP OFF SCHOOL TO SEE (The Stiff Singles A's & B's)』(1992年) ザ・ダムドがスティッフからリリースした5枚のシングルをコンパイルしたCD。1992年にデーモン・レコードからリリースされた。 『PEEL SESSIONS』(1991年) 1976年11月20日にレコーディングされた5曲と1977年5月10日にレコーディングされた4曲の“ピールセッション”を収録したCD。 RIP...

『キネマ旬報 2025年3月号・巻頭特集 追悼 デイヴィッド・リンチ』

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雑誌『キネマ旬報 2025年3月号』の巻頭特集は「追悼 デイヴィッド・リンチ」、発売は2025年2月20日(キネマ旬報社刊)。カラーベージを含め26ページの特集。もう少し特集の量が欲しいかな…と思ったけど、この表紙には逆らえず購入してしまった。映画雑誌買ったの何年振りかな…。 滝本誠のエッセイ「デイヴィッド・リンチの思い出」をはじめ、「撮影現場のデイヴィッド・リンチ」をカラー2ページで、リンチの映画作品を語るフィルモグラフィーでは、私的にSFの解説といえばこの人、巽孝之の『デューン 砂の惑星』、『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』の解説でミュージシャン/文筆家の菊地成孔が、“Fire walk with me”は“一緒にヤバい橋を渡ろうぜ”という意味のスラングだと記しているが、なるほど。…まぁ“Fire walk〜”の前段の文言に未来だの過去だの魔術師だの2つの世界だのというのがあるから“火よ、我と共に歩め”という訳にもなるんだろうけど…。 他に『イレイザーヘッド』と『エレファント・マン』を春日武彦、『ブルーベルベット』と『ロスト・ハイウェイ』を吉田広明、『ワイルド・アット・ハート』と『マルホランド・ドライブ』を伊藤俊治、『ストレイト・ストーリー』を岡本敦史、『インランド・エンパイア』を山形浩生が解説している。 『インランド・エンパイア』と『ツイン・ピークス THE RETURN』に出演した裕木奈江へのインタビューは、現場を見てきた日本人が語る内容で非常に興味深い。「アーティストとしてのデイヴィッド・リンチ」を飯田髙誉のコラムで、また「デイヴィッド・リンチの遺したことば」をキネ旬バックナンバーより紹介している。