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OMNIBUS a Go Go Vol.58『DREAD MEETS PUNK ROCKERS UPTOWN The soundtrack to London's legendary Roxy Club December'76-April'77』

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副題に「Roxy Club December '76-April '77」とあるように、Vol.57で紹介したRoxy ClubでDJをしていたドン・レッツがコンパイルしたオムニバスで2001年のリリース。 70年代中頃にドン・レッツがズートスーツなどを販売しながら、レゲエ/ダブのレコードをかけていた“アクメ・アトラクションズ”というブティックには、ジョー・ストラマーやポール・シムノン、ジョン・ライドン、ザ・スリッツのメンバーもそのレコードを聞きに来ていたという。 1976年暮れに開店したパンク・クラブ“ロキシー”でDJを始めるが、プレイできるパンクレコードが無いため、レゲエ/ダブの他に ニューヨークドールズやストゥージズ、テレヴィジョン、ヴェルヴェッツ、MC5のトラックをかけたりしていた。またパンクのシングルがリリースされ始めて、それらをプレイしているとパンクスから「レゲエをかけ続けてくれ!」と言われたという。そんなジャマイカ系英国人のドン・レッツが当時こんな曲をパンクスに向けてプレイしていたんだぜ、というトラックが収録されている。 彼が影響を受けたU-Roy「Wear You To The Ball」、タッパ・ズッキー「M.P.L.A Dub」「Rush I Some Dub」、 ビッグ・ユース「Marcus Garvey」といったトラックや、そのマーカス・ガーベイの預言をもとにしたカルチャー「Two Sevens Clash」、ダブのパイオニア、キング・タビー「Bag A Wire Dub」、レゲエ/ダブのプロデューサー・エンジニアであるリー・ペリーのサウンド実験作ともいえる「The Tackro」やオーガスタス・パブロのメロディカとキング・タビーのダブ超名曲「King Tubby Meets Rockers Uptown」、クラッシュがカバーしたジュニア・マーヴィンの「Police and Thieves」、ニュー・エイジ・ステッパーズがカバーしたジュニア・バイルズ「Fade Away」、美しいハーモニーで“頭の上には屋根が必要だし、テーブルにはパンが必要だ”と歌うマイティ・ダイアモンズ「I Need Roof」、他にもコンゴズ、ホレス・アンディ、ジャー・スティッチ、U Brown、シルフォード・ウォーカーを収録。全16曲。 クラッシュのアル

尾米タケル之一座「怪人の唄」

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関西電力は7月1日、大飯原発3号機の原子炉を起動する。 昨年3月11日の東日本大震災で発生した東京電力福島第1原発事故後、 全国50基の原発は定期検査入りとともにすべて停止したが、大飯原発が初めて再稼働する

尾米タケル之一座「絶対原子力戦隊スイシンジャー」

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福井・大飯原発:再稼働決定 関電社長、他原発再稼働も要望。

OMNIBUS a Go Go Vol.57『LIVE AT THE ROXY LONDON WC2(Jan-Arr 77)』

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ジェネレーションXのマネージャーであったアンディ・チェゾウスキーによって1977年1月にオープンしたロキシー・クラブのライブ・オムニバスで1977年7月にリリースされた。演奏だけじゃなくバンドのMCや店内の会話、笑い声、電話のベル、グラスの割れる音、うめき声、叫び声なんかが曲の前後にかなり長く録音されていて、その場の雰囲気が再生される。 セックス・ピストルズによって発火したパンク革命は、マンチェスターなど各地でパンク・バンドを生み出し、1976年夏を過ぎる頃にはイギリスの音楽シーン全体へと広がっていくが、 このライブ・アルバムが録音された1977年初め時点でリリースされていたUKパンク・レコードはまだ少なく、デビュー・シングルのリリースで言えばダムドが1976年10月、ピストルズが11月、ストラングラーズが1977年1月、バズコックスの自主EPも1月、クラッシュは3月だ。だからこのライブ・アルバムに参加しているほとんどのバンドにとってはレコード・リリースもなく、ライブ・サーキットでしか自分達を認識してもらう手段はなかった時期だ。そして収録曲の多くは後にスタジオ録音され、それぞれのバンドのファーストアルバムやシングル等に収録される事になる。 スローター・アンド・ザ・ドッグスはミディアムでややルーズな「Runaway」、こちらはスピーディな音塊「Boston Babies」の2曲。グラム経由の荒くれロックンロール。後にRaw Recordからシングルをリリースするアンウォンテッドは「Freedom」を収録。バズコックスに通じる魅力があると思う。 ワイヤーは「Lowdown」と超名曲「12×U」(ワン・トゥ・エックス・ユー≒ウォント・トゥ・セックス・ユー)。どちらもシンプルでありロックンロール・フォームから外れつつ、スローであってもハイスピードでもシャープでクールでスリリングなカッコよさに変わりなし。 アドヴァーツは「Bored Teenagers」を収録、演奏が拙く突っ走ったりもたついたり、ふらふらしているが勢いは抜群、曲はポップ。これも初期パンクの魅力か。チズウィックからレコードをリリースするジョニー・モペッドは「Hard Loving Man」を収録。ハード・ドライヴィンなロックンロールナンバー。若きイーターは「Don't Need It」、アリス・クーパー

OMNIBUS a Go Go Vol.56『SUBMARINE TRACKS AND FOOL'S GOLD Chiswick Chartbusters Vol.1』

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1975年にシン・リジーのマネージャーだったテッド・キャロルとその友人ロジャー・アームストロングにより始められたチズウィック・レーベルのコンピレーション・アルバムで1977年にリリースされた。 チズウィック設立のきっかけでもあり、最初のリリース(1975年12月)でもあるカウント・ビショップスは4曲入りEP『SPEEDBALL』からビッグ・ジョー・ターナーのカバー「Teenage Letter」と「Route66」、EPリリース後ボーカリストのマイク・スペンサーが脱退しギタリストで曲の作者でもあるゼノン・デ・フルールがボーカルをとる「Train Train」(オランダのダイナモから1976年にリリースされたシングルでチズウィックからリイシューされた)の計3曲。いずれもやさぐれたストーンズ直系のロックンロールで特にEP収録曲はスピード感がありパンキーな魅力がある。 このコンピの1曲目に収録されていて目玉ともいえるジョー・ストラマーがクラッシュ以前に在籍していたThe 101'ersは1976年リリースのシングル「Keys To Your Heart」1曲のみ収録。ストラマーが当時スクワット(不法居住)していて、101'ersの練習場所でもあったウォルタートン・ロード101番地にちなむ名前を持つこのバンドは、1974年に結成され、「Keys To Your Heart」がストラマーによって書かれた1975年中頃にはバンドは順調に活動をするようになっていたが、 1976年3月にこの曲が録音された頃バンドは疲弊しており、同年4月に101'ersのサポートアクトであったセックス・ピストルズのライブを見たストラマーは衝撃を受け、5月には新バンド(クラッシュ)結成に向け動き出し、6月5日にThe 101'ersはラストギグをおこない、チズウィックからシングル「Keys To Your Heart c/w Five Star Rock'n'Roll Petrol」がリリースされたのは解散後の6月27日だった。ややシャープさに欠ける演奏といえ、ホットな演奏に“愛の力を信じる”と力強く歌われる。ストラマーの原点というよりは原石か (もしくはパンクという扉への鍵)。 ゴリラスは76年リリースのシングルから「She's My Gal」