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OMNIBUS a Go Go Vol.68『MODS MAYDAY '79』

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1979年にリリースされたモッド・リバイバル(ネオ・モッズ)バンドのライブ・コンピレーション。録音はロンドンのパブ、ブリッジ・ハウスで1979年5月7日(MAYDAY)におこなわれたイベントの模様を収録している。 イギリスに於ける1970年代末のモッド・リバイバルには、ザ・ジャムが大きく影響しているといってよいだろう。セックス・ピストルズ、クラッシュといった極初期のパンク・バンドに影響を受けたジャム(というかポール・ウェラー)は、1960年代のビートグループやモータウン/R&B/ソウルにパンクの加速力を加えた、そのビート・モダニズムをアルバム『ALL MOD CONS』(1978年)で完成させ、続く『SETTING SONS』(1979年)で更なる高みに到達した。 ジャムはその後、ややサイケデリックに寄り、ファンクやソウル色を強めていくのだが、このライブ・オムニバスに収められているバンド群は当然時期的にジャムのデビューから79年頃までの特徴である 性急なビート、手数の多いドラムス、掻きむしりギター、ポップなメロディ・ラインにハーモニーまたはダブルボーカルというサウンドから強い影響を受けていると思う。 パワーポップ・バンド、ニュー・ハーツからモッド・リバイバリストとなったイアン・ペイジ率いるシークレット・アフェアは、後にスタジオ録音され自らのレーベル、I-Spyからシングルとしてリリースされるモッド・アンセム「Time For Action」、これもシングル曲となるブギ・ナンバー「Let Your Heart Dance」、アレンジは全然違うがニュー・ハーツ時代に作られていた「I'm Not Free(But Cheap)」の3曲。どれもシークレット・アフェアの代表曲で引き締まったサウンドが魅力だ。 ベガーはウィルコ・ジョンソンばりのカッティングギターの「Broadway Show」やハープが活躍する「All Night」、ネオ・モッド・サウンド全開の「Don't Throw Your Life Away」の3曲。スモール・アワーズはキャロル・アイザックスのオルガンが特徴で「Hanging In The Balance」、後にEPに収録される「Midnight To Six」と名曲「End of The Night」の3曲。 後にI-Spyから

初音ミク『ミク★パンク創世編』クロスフェード

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   初音ミクというのは以前NHKの土曜の番組『週刊ニュース深読み』で特集されていたのを見たくらいで縁遠いのだが、これはどうなんだろうか。2012年10月24日にリリースされる初音ミク『ミク★パンク創世編』。発売はビクターより。 収録されているのは、サンハウス、ルースターズ、モッズ、INU、スターリン、じゃがたら、ARB、シナロケ、ゼルダ、ブルーハーツ、ラフィンノーズ、フリクション、頭脳警察、ボルシーという吉田豪により選ばれた強力なバンド達のカバー・バージョン。 選曲に関してはいろいろ意見もあろうかと思うけど、無機質な女性ボーカロイドの声で歌われると妙な哀愁感(?) があるような気がする。じゃがたら「裸の王様」、フリクション「Crazy Dream」、INU「気い狂て」、ARB「魂こがして」なんかは面白そう。一番の目玉は菊とのデュエット「レモンティー」か。ボルシー「ノスタルジック・ボーイ」やアナーキー「タレント・ロボット」の選曲もよい。

OMNIBUS a Go Go Vol.67『SUBTERRANEAN MODERN』

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ラルフ・レコードより1979年8月にリリースされたオムニバス。1979年当時、地下における最新の蠢き(New Wave/Post Punk)を記録したタイトルでもある。 クローム、MX-80サウンド、タキシードムーン、そしてラルフの創始者でもあるレジデンツというサンフランシスコゆかりの4バンドが参加している。その為か「I Left My Heart In San Francisco」(邦題:想い出のサンフランシスコ/霧のサンフランシスコともいう) が各バンド共通課題のカバー曲として収録されているのだが、クロームは実にあっさり、バッサリ渦巻く電子音と共に30秒程で片付け、MX-80サウンドは前衛的なリズムに“サンフランシスコ”のメロディをのせたギター・インストに調理、レジデンツは不気味なバックトラックに“I left my heart in San Francisco!”が繰り返されるストレンジな仕上がり、タキシードムーンは電話の会話にハーモニカ(?)による“サンフランシスコ”のメロディが物悲しく被さる、という工夫されたトラックに加工、とそれぞれ一筋縄ではいかない出来上がりだ。 クローム目当てで手に取ったのだが、目玉・シルクハット・燕尾服のルックスは知っていてもなかなか聴く機会の無かったレジデンツの エレクトロニックでアヴァンギャルドでユニークな楽曲(オリジナル曲の2曲ではギターでフレッド・フリスがゲスト参加している)や、サイケデリック・ロックとニュー・ウェイヴの合体したようなMX-80サウンドはこのオムニバスで初めて聴いたし、タキシードムーンもエレクトロニックかつノイジーかつダークで魅力ある演奏を聴かせてくれる。クロームは特に性急なビート感に満ちた「Meet You In The Subway」が素晴らしい。もう1曲は「Antifade」。 ジャケットはゲイリー・パンターによるもので、このイラストも購入欲をそそられた。CD化はされていないようだが、このジャケはアナログを薦めたい。

OMNIBUS a Go Go Vol.66『A FACTORY SAMPLE』

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設立されたばかりのファクトリー・レコードから1978年12月(1979年1月という説もあり)にリリースされた。33回転のアナログ・7インチ2枚組でプレス数は5,000枚だった。 ジャケット・デザインはピーター・サヴィルでヒート・シール・プラスチック(薄いビニール・コーティングのような)仕様の見開きジャケット。 5枚のステッカーが付属していた。 4組のアーティストが1面ずつに収録されている。 マンチェスターのグラナダ・テレビで音楽番組のホスト等をしていたトニー・ウィルソン、 DJで後にジョイ・ディヴィジョンのマネージャーとなるロブ・グレットン、 ア・サーティン・レシオのマネージャーのアラン・エラスマス、 バズコックスやスローター・アンド・ザ・ドッグス等のシングルをプロデュースしていた、マーティン“ゼロ”ハネット、 デザインをさせて欲しいとウィルソンを訪ねてきた若きデザイナー、ピーター・サヴィル、 この5人によってマンチェスターのラッセル・クラブに“ファクトリー”を1978年5月にオープン。 ウィルソンとエラスムスが共同マネージャとなっていたドゥルッティ・コラムが最初にギグをおこなった。 エニグマからシングルをリリース(1978年6月)後、地元マンチェスターのファクトリーと契約したジョイ・ディヴィジョンは 後のニュー・ウェイブ・サウンドのベーシックとなるようなサウンドを持った「Digital」と、より音響的な「Glass」の2曲を収録。 ワルシャワ時代の直線的なイメージから奥行き/陰影を持ったサウンドへの変化が感じ取れる。 スペイン内戦時にカタロニア出身のアナキストが率いた小隊の名前からグループ名をとったドゥルッティ・コラムは、 まだバンドスタイルでヴィニ・ライリーのギターの他、コリン・シャープ(Vo)、フィル・レインフォード(Vo)、 スティーブン・ホプキンス(Key)、デイヴ・ロウボザム(G)、 後にシンプリー・レッドに参加するクリス・ジョイス(Dr)とトニー・バウワース(B)がクレジットされている。 レゲエ・スタイルのリズムとヴィニの様々なサウンドを奏でるエッジーなギターのマッチングが素晴らしい「No Communication」、 語り調のボーカルとディレイ・ギターが断片的なリズムにのる「Thin Ice(Detail)」の2曲を収録。 コメディアンでもあるジョ

OMNIBUS a Go Go Vol.65『NO NEW YORK』

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ノーウェイブと呼ばれたニューヨークの音楽シーンからピックアップされた4つのバンドを収録したオムニバス・アルバム。1978年アンティルス・レコードからリリースされた。 1978年4月の終わり、ブライアン・イーノはトーキング・ヘッズのセカンドアルバムをマスターする為ニューヨークを訪れていた。そこでDNAのアート・リンゼイと知り合っている。“キッチン” でセオレティカル・ガールズのライブを見たり、5月2日から5月6日迄 “アーティスト・スペース” でおこなわれたイベントに顔を出していた。 そのイベントには下記の各日2バンドずつが出演している。 5月2日...コミュニスツ、ターミナル 5月3日...ガイナコロジスツ、セオレティカル・ガールズ 5月4日...デイリー・ライフ、トーン・デス 5月5日...コントーションズ、DNA 5月6日...マーズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス イーノはこれらのバンドを見て “イギリスのパンクとは違ってアートを意識していて、ファイン・アートの伝統とつながる素晴らしいシーンだ” と思い、しかしそれは “短い間にパーッと明るく燃えて消えていく火のように思えた” ことからドキュメントとして記録したいと考えた。 コントーションズ、DNA、マーズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスのメンバーが集められ、MUDD CLUBの創設者スティーヴ・マスのアパートでミーティングが開かれた。セオレティカル・ガールズも招待されていたが参加していない。そこで話されたのは4バンド4枚では無く、4バンドで1枚のアルバム、今ニューヨークで “何がおこっているか、のある種のカタログを作る” という計画だった。計画は動き出し1978年6月ビッグ・アップル・スタジオでレコーディングは予算の関係もあり1バンド1晩というハイペースで進められた。時間の制約もありイーノはあくまでドキュメントという側面に重きを置いたプロデュースで、それぞれのバンドの音に関与、サゼッションはほとんどおこなわなかったという。バンド側にはそれが安易な制作とも思われ不満に感じる面もあったようだ。 アルバムのトップはジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ。ジェームスの怒気を孕んだボーカルにフリーキーなサックス、バックに鳴り続けるオルガン、それに独特の響きを生むパット・プ