OMNIBUS a Go Go Vol.65『NO NEW YORK』

ノーウェイブと呼ばれたニューヨークの音楽シーンからピックアップされた4つのバンドを収録したオムニバス・アルバム。1978年アンティルス・レコードからリリースされた。

1978年4月の終わり、ブライアン・イーノはトーキング・ヘッズのセカンドアルバムをマスターする為ニューヨークを訪れていた。そこでDNAのアート・リンゼイと知り合っている。“キッチン” でセオレティカル・ガールズのライブを見たり、5月2日から5月6日迄 “アーティスト・スペース” でおこなわれたイベントに顔を出していた。
そのイベントには下記の各日2バンドずつが出演している。
5月2日...コミュニスツ、ターミナル
5月3日...ガイナコロジスツ、セオレティカル・ガールズ
5月4日...デイリー・ライフ、トーン・デス
5月5日...コントーションズ、DNA
5月6日...マーズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス

イーノはこれらのバンドを見て “イギリスのパンクとは違ってアートを意識していて、ファイン・アートの伝統とつながる素晴らしいシーンだ” と思い、しかしそれは “短い間にパーッと明るく燃えて消えていく火のように思えた” ことからドキュメントとして記録したいと考えた。
コントーションズ、DNA、マーズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスのメンバーが集められ、MUDD CLUBの創設者スティーヴ・マスのアパートでミーティングが開かれた。セオレティカル・ガールズも招待されていたが参加していない。そこで話されたのは4バンド4枚では無く、4バンドで1枚のアルバム、今ニューヨークで “何がおこっているか、のある種のカタログを作る” という計画だった。計画は動き出し1978年6月ビッグ・アップル・スタジオでレコーディングは予算の関係もあり1バンド1晩というハイペースで進められた。時間の制約もありイーノはあくまでドキュメントという側面に重きを置いたプロデュースで、それぞれのバンドの音に関与、サゼッションはほとんどおこなわなかったという。バンド側にはそれが安易な制作とも思われ不満に感じる面もあったようだ。

アルバムのトップはジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ。ジェームスの怒気を孕んだボーカルにフリーキーなサックス、バックに鳴り続けるオルガン、それに独特の響きを生むパット・プレイスのスライドギターが特徴だ。このセッションで初めて演奏したというジェームス・ブラウンの「I Can't Stand Myself」 など4曲を収録。

リディア・ランチ率いるティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは閉塞した息苦しさを呟き、呪術的とも思えるスローでダークなサウンドが特徴で、引き摺る様なギターも彼女が弾いている。インストのショートチューン「Red Alert」など4曲を収録。

1977年初めから活動を開始していたマーズはノーウェイブのバンド達に大きな影響を与えたバンドだ。捻れ、叫ぶボーカル、キィキィと擦れた弦の音や金属的な薄い膜を作り出すギター、 単調とも不連続とも思えるドラミング、ほとんどリズムを生み出さないベース、そのアヴァンギャルドでノイジーなサウンドは殆ど恐怖に近い感情を生み出す。マシナリーな「Helen Fordsdale」など4曲を収録。

DNAはドラム初心者のモリイクエを迎え、ロビン・クラッチフィールドのオルガン、アート・リンゼイのギターとともに独特のフォームを作り出している。ギターではなく違う機械から発せられているようなサウンドを作り出すアートのギターと、電子音のようなブザー音のようなロビンのオルガンを結びつけるモリイクエの原始的打法とも言えるドラミング。 そのサウンドは冷徹ともいえるが歌われている言葉はとてもロマンティックなものだ。キラキラと光の乱反射のようなギターの音色が美しい「Size」他4曲を収録。

ジャケットはイーノのアイデアで撮影も彼がおこなった。
イーノは数人でワールド・トレード・センターへ行き “暗い中を無茶苦茶なカメラの使い方で” 撮影をしたという。出来上がった儚いイメージは彼がノーウェイブのシーンに感じた印象と一致していた。ジャケット裏のメンバーの写真はメンバー各自に写真を持ってきてもらい、サイズを統一、イーノによれば空港や駅に貼ってあるバーダー・マインホフ(ドイツ赤軍)やレッド・ブリゲイド(イタリア赤軍)の指名手配犯が並んだポスターをイメージしてつくったということだ。

ノーウェイブ…。ヴェルヴェッツから初期のニューヨーク・パンク、特にスーサイドの伝統を受け継ぐムーブメント。マーズ(初期はチャイナという名だった)からリディア・ランチへ繋がりシーンは広がりをみせた。ロックンロール・フォームの解体、装飾を排し、フレーズを排し、メロディを排し、楽器や声のそのまま、出したい音を、出たまま空間に投げつける。まるで気の向くままに絵の具をつけた筆を振り回し、飛び散らして“絵”を描くように。

日本におけるこのアルバムの評価は以前から高く、フリクションのレック、ヒゲが当時のシーンで直接演奏に加わっていた事もあり、1978年以降日本のパンクシーンにも様々な影響をあたえ続けている。また、長い間廃盤状態がつづいていたが1997年に日本で初CD化された。

[参考文献:NO WAVE POST-PUNK UNDERGROUND NEW YORK 1976-1980 / THURSTON MOORE BYRON COLEY、発売:ミュージックマイン]

このブログの人気の投稿

TH eROCKERS「可愛いあの娘」

NICO『LIVE IN DENMARK』

ザ・ルースターズ「PLAYLIST from ARTISTS」