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2月, 2013の投稿を表示しています

WILKO JOHNSON「WILKO JOHNSON SPECIAL PLAYING ANALYSIS」

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ウィルコ・ジョンソンが末期のすい臓癌で余命1年だという。知らなかったのだけれど1月に来日し東京と京都でライブもしていた。 この動画は「ギター・マガジン」3月号の記事と連動したもので、ウィルコ自らあのカッティングの秘密を解き明かしてくれる。右手はアップ&ダウン、左手はデッド&押弦。これがウィルコのベーシックなテクニックなのか。勉強になりました。 前半のインタビュー、ユーモアを交えながら話すウィルコの姿が悲しい。 東京のライブの様子は、 WILKO JOHNSON TOKYO SESSION 2013(Rooftop2013年2月号) にて。 少しでも良くなって、また来日してくれることを切に願う。

OMNIBUS a Go Go Vol.81『THE BEAT GENERATION AND THE ANGRY YOUNG MEN』

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1984年にウェル・サスペクトからリリースされたネオ・モッズのコンピレーション。ウェル・サスペクトは後にカウントダウンやアシッド・ジャズ・レーベルを設立するエディ・ピラーが1982年に始めたレーベルで、ファスト・エディやマートン・パーカスのシングルをリリースしていた。 ライナーによると収録されているのは、当時未発表だったデモ・バージョンやシングルのようだ。『モッズ・メイディ』でも紹介済みのバンド、マートン・パーカス(「Dangerous Man」と「You Say You Will」の2曲)とスモール・アワーズ「Underground」と「The Kids」の2曲でどちらも良い(「The Kids」はEPとは別バージョン)の他、ネオ・モッズの代表格だったパープル・ハーツはアコースティックでメランコリックな「I'll Make You Mine」とレゲエ/ダブ風味の「Concrete Mixer」(ポール・ウェラーがキーボードで参加しているという噂…)どちらもなかなか聴かせる。それから緩急のあるナンバー「Hazy Darkness…」の計3曲を収録。 エネルギッシュなサウンドのロング・トール・ショーティは「That's What I Want」、「I Do」、「All By Myself」の3曲。ハープも印象的だ。シングル1枚で消えてしまったダイレクションズはオルガンをフィーチャーしたポップな「Weekend Dancers」、キーボードのアレンジとギターのストロークが効果的な「It May Be Too Late」は名曲。ダイレクションズのボーカル、トニー・バークとベースのマーティン・ウィルソンは後にビッグ・サウンド・オーソリティを結成し、レスポンド・レーベルのオムニバスに参加している。ロケット・レコードのオムニバスに1曲参加したのみのバンド、エリートはジャムのフォロワーという印象で「Frustration」、「Get A Job」、「Carrer Girl」の3曲を収録。

OMNIBUS a Go Go Vol.80『RABID/TJM PUNK SINGLES COLLECTION』

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ヴィニ・ライリーがドゥルッティ・コラム以前に在籍していたバンドがあったというのを知ったのは、シンコー・ミュージックから出ていた『ROOTS OF PUNK ROCK』というガイド本だった。パンク・ロックの歴史や訳詞や対談、アルバム・レビューなんかともに、白黒だけどジャケ写つきで100枚のパンク・シングル・レビューがあった。そこで初めてヴィニ・ライリーが在籍していたマンチェスターのパンク・バンド、ノーズブリーズ(THE NOSEBLEEDS)のシングル「Ain't Bin To No Music School」が存在する事を知ったのだった。けれども今のように情報がすぐ手に入る時代ではない(本が出版されたのは1989年)、そんなレアなシングルはおいそれとは見つからず、カップリングの曲名さえもわからないまま時は過ぎ…。 このコンピレーションは1996年にレシーバー・レコードからリリースされ、ノーズブリーズやエド・バンガー(ノーズブリーズのボーカル)、スローター&ザ・ドッグス等の音源をリリースしたラビッド・レコードと、やはりスローター&ザ・ドッグスやヴィクティム等の音源をリリースしていたTJMレコードのシングルからセレクト、ノーズブリーズが1977年にリリースした唯一のシングル「Ain't Bin To No Music School c/w Fascist Pigs」のAB面を収録している。 個人的にはノーズブリーズに尽きる。ヴィニ・ライリーが後のドゥルッティ・コラムで繊細さの奥に秘めた激烈な情熱をここでは聴く事が出来る。シングルA面「Ain't Bin To No Music School」で、“ジャン!”とオーケストラが演奏する交響曲に被さるヴィニのギターは、ドゥルッティ・コラムの演奏ではお馴染みのディレイを深くかけた繊細な音ではなく、自らのカッティングとコード・チェンジでディレイ効果を生むような、独創的なイントロを聴かせた後、一瞬の静寂を切り裂く鋭く熱を帯びたカッティングに導かれ、ドラム、ベース、ボーカルが性急な演奏に突き進む、高速で拡散していくようなギターソロも素晴らしい至福の3分間。 B面だった「Fascist Pigs」はストレートなパンク・ナンバーで、太いヴィニのギター・カッティングが炸裂。後半ヴィニの突っかかるようなギターソロが聴け

OMNIBUS a Go Go Vol.79『FROM BRUSSELS WITH LOVE』

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カセットオンリーでリリースされた音源というのは、もちろんカセット・テープが現役の頃だが、1980年代には結構あった。ジャケットをコピー印刷、ダビングすれば商品として出来上がるカセット・テープは、レコードをプレスするよりは簡単で安価なメディアであったのだろう。世界各国のバンド・アーティストは手軽な発表の手段としてカセット・テープを使用していた。このページでも幾つか紹介しているアメリカのROIRはカセット専門レーベルとして、ニューヨーク・パンク、ノーウェイブ周辺の発掘・ライブ音源や、日本のミュート・ビートのカセットなんかもリリースしていた。1990年代になっても例えば日本のクローバー・レコードなんか手作りのカセット・テープ・レーベルとして活躍していたものだ。パソコンによるDTMが手軽になり、CD-Rメディアへの移行、インターネット普及による動画での発表があたりまえになる以前の話。 CDが登場する前にはメジャー・レーベルでも収録時間が長く設定できる事により、ライブ盤などアナログ・レコードとは別バージョンでのカセットリリースやカセットのみでリリースする事もあった。今やカセット・デッキを持っているという人も少数になりつつあるし、カセットオンリーの音源も売り上げが良かったり、ある程度売り上げが期待できる音源はその後レコード化、CD化されている(もちろんそのまま埋もれてしまっている音源も多数あるだろう…)。 ベルギーのクレスプスキュールから1980年11月にカセットのみでリリースされたこのコンピレーションは、初回のリリースがブックレット付き黒ジャケット、2ndエディションが通常のカセット・ケースに入れられた白ジャケット、後に数度アナログ・レコード化、CD化された時には収録曲や曲順、アートワークの変更があった。オリジナルのカタログナンバーは"TWI 007"、タイトル『ブリュッセルより愛をこめて』とともにジェームズ・ボンドへのオマージュ。 私が購入したのはオリジナル初回カセットに準拠した収録曲(収録時間の関係でA Certain Ratio「Felch」がオミットされた)で、アートワークはこれまでのリリースの集大成ともいえるブックレットとなった、2007年にリイシューされたリマスターCD。 ジャケットからも窺われるがその内容もヨーロッパ耽美的。 ジョン・フォック