My Wandering MUSIC History Vol.16 THE CLASH『PEARL HARBOUR '79』
クラッシュのアルバムではこのアメリカ向けに編集されたファースト・アルバムでジャケを日本独自アウター・カヴァーで覆った『パール・ハーバー'79』を気に入って聴いていた。
クラッシュのファースト・アルバムはその音質の悪さにアメリカでの発売が見送られていたが、輸入盤として売上が良かったため、UKオリジナル・ヴァージョンから「Deny」、「Cheat」、「Protex Blue」、「48 Hours」を削り、アメリカでリリースされていなかったシングル曲を追加、「White Riot」はシングル・ヴァージョンに差し替え、初回盤は「Groovy Times c/w Gates of The West」のボーナスシングルを付けて1979年7月にリリースされた。『Give 'Em Enough Rope(邦題:動乱)』は既に前年リリースされており、1979年1月~2月に初めてのアメリカ・ツアー“Pearl Harbour Tour”を行い、9月からの2度目のアメリカ・ツアー“Take The Fifth Tour”直前というタイミングだった。
日本では1977年にリリースされていたオリジナルUKヴァージョンのファースト・アルバムも聴いていたと思うが、アメリカと同じように日本でもリリースされておらず聴くことができなかったシングル盤からの曲を聴けるということが、当時この『パール・ハーバー'79』の価値を高めていたと思う。もちろん輸入盤のシングルは日本に入ってきていたが、田舎町に輸入盤屋は無いし、都会に行ったとしてもアルバムの半分くらいの値段がして2曲しか聴けないシングルは当時ほとんど買うことは無かった。
「Clash City Rockers」、「Complete Control」のパンキーなナンバーも良かったが、ゆったりとしたレゲエ・ナンバーの「(White Man)In Hammersmith Palais」にはクラッシュの新しい魅力を感じたし、ミックが歌うポップな「Jail Guitar Doors」がとても好きだった。それにイギリスで発売された「Cost of Living EP」からの3曲、超名カヴァー(今ではクラッシュがオリジナルと思っている人もいるかも)「I Fought The Law」、パワーポップな「Groovy Times」、泣きメロの「Gates of The West」はどれもキラーチューンだ。このアルバムと同時1979年7月にクラッシュのアメリカとしては初めてのシングル「I Fought The Law c/w(White Man)In Hammersmith Palais」がリリースされている。このあたり後のアメリカでのクラッシュ人気の導火線となっているか。
日本盤アウターカヴァー・デザインのポスターを自分の部屋のドアに貼ってたな…。