My Wandering MUSIC History Vol.20 P-MODEL『IN A MODEL ROOM』
1973年から活動していたプログレッシヴ・バンド“マンドレイク”がパンク/ニュー・ウェイヴに影響を受け1978年に解散。マンドレイクのメンバー3人(平沢進Vo&G、田中靖美Key、田井中貞利Ds)にベーシスト(秋山勝彦)を加えP-モデルを結成、1979年に発表したのがこのデビュー・アルバム。このアルバムを聴いたり、テレビの特集で見たパンキー・テクノなバンドの前身がプログレ・バンドだったとは当時知る由もなかった。後にリリースされたマンドレイク『アンリリースド・マテリアルVol.1』(1997年)のライナーには、"70年代中期に新月、美狂乱と並び称され” ていたと書いてある。新月のアルバム(1979年リリース)は聴いていたけれど、 どこかで名前くらいは見ていたのだろうか。
平沢進はパンクのヴィジュアルから大きく影響を受けたと語っている通り、ジャケットの配色はピストルズの『Never Mind The Bollocks, Here's The Sex Pistols』を意識したような色使いでヴィヴィッドなイエローとピンクが使用されている。初回プレスはピンク・ヴィニールだった。
シングルになった「美術館で会った人だろ」を始め、スカのリズムを取り入れた「ホワイト・シガレット」や「サンシャイン・シティー」など キーボードがカラフルでパンキーなスピード感のあるナンバーが多いけれど、ドラムのリズム、フィルの多彩さと安定感はさすが前身がプログレ・バンドだけのことはある(当時はそんな聴き方してなかったけど)。その分ベースはシンプルなルート音の演奏が多い。秋山はベース初心者だったようだが「偉大なる頭脳」ではベースのフレーズが効いている。平沢の出身地近郊をタイトルにした「Kameari Pop」の電子音のダンサブルな心地よさも特筆もの。この場合の“Pop”は“Population”の略だろうか、亀有の住人を観察したセカンド・シングル。後年歌詞が変更されている。
初期の攻撃的なパンキッシュなサウンドは3枚目のアルバムからは徐々に内向的な音作りになるが、その前触れとも(マントレイクの手法に戻っていくとも)いえる「偉大なる頭脳」、「アート・ブラインド」、「ソフィスティケイテッド」も面白い。歌詞の内容は「美術館で~」や「子供たちどうも」、「Kameari Pop」、「MOMO色トリック」などの管理された生活からくるストレスやそこから発生する出来事を切り取ったものと、「ヘルス・エンジェル」、「ルームランナー」、「サンシャイン・シティー」、「ホワイト・シガレット」など過度の清潔、洗練、健康志向を揶揄したものが多く見受けられる。いくつかは平沢進の兄・裕一の作詞によるもの。
プロデュースは佐久間正英で、“1978年にプラスチックスの渋谷屋根裏でのライブのあと平沢進に声を掛けられプロデュースを依頼され”、 “契約書をかわした初めてのプロデュースの仕事だった”と語っている。佐久間も平沢と同じく“プログレ・バンド”四人囃子から“テクノ/ニュー・ウェイヴ・バンド”プラスチックスへ転身しているから共鳴した部分はあったのだろうか。 平沢進は“もっとテクノなイメージにしたかった”と後年語っている。
P-モデルは『スキューバ』あたりまで聴いていた。