RICHIE HAVENS「JUST LIKE A WOMAN」
最近ボブ・ディランのデビュー30周年記念コンサート(1992年10月16日マディソン・スクエア・ガーデン)の映像を見た。ライヴCDは持ってるし、映像も所々観たことがあったけど、ほぼ全てのパフォーマンスを見たのは初めて。30周年とはいっても今よりも若い容姿のディラン、それに出演者。ルー・リードやジョージの姿も…。今から23年前だからなぁ。延々と続く大物たちによるディラン・トリビュート。当のディランは最終盤にしかでてこない。全ての大物を脇役にする、または全てのミュージシャンをバックバンドにする、なんてフレーズが思い浮かぶ。当時話題となったシニード・オコナーの場面も考えさせられるものだった。
そんな中でいいなぁと思ったのはリッチー・ヘイヴンズがギター1本で歌う「Just Like A Woman」。艶のある声と響きの良いギター。CDだとなんとなく流して聴いてしまっていたんだけど、演奏している姿を見て聴くと染みるというか感情に深く分け入ってくる。真っ直ぐに心に届くリッチーの声。彼もまた2013年4月に亡くなっている。リッチー・ヘイヴンズのアルバム欲しくなったな。
この曲のオリジナルはディランが1966年に発表したアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』に収録されている。ディランというと歌詞も読みたいので訳詞のある日本盤を手に入れる事になるのだが、その訳詞がいまいちフィットしないなぁ、と思ったのが「Just Like A Woman」だった。私が持っている『ブロンド・オン・ブロンド』は1990年代の前半に出たCDで訳詞は片桐ユズル。タイトルの “女の如く” という邦題もちょっと古めかしい。 “amphetamine”に“ヒロポン”という昭和20年代の薬の名前が使われているのに違和感があるし、 “She makes love just like a woman”が “いかにも女らしく股をひらくじゃないの” となっているのは訳し過ぎ、意訳し過ぎと思う。 “Woman”と“Little girl”の対比、大人の女性としての仕草や行動、容姿と、脆く傷つきやすい少女のような内面との対比がうまく伝わらない、と個人的には思うんだけど…何だか田舎のうらぶれた娼婦の歌みたいだなぁと。まぁそういう歌なのかもしれないけど。
この訳はCD『The 30th Anniversary Concert Celebration』(1993年年リリース)の訳詞でも同じ。
ただ片桐訳が全然受け入れらないという事じゃなく、あくまでこの曲は、ということで。
「Just Like A Woman」はアンディ・ウォーホルに気に入られファクトリーでモデル・女優として活躍、ディランと恋に落ちるも別れ、その後凋落していったイーディ・セジウィックの事を歌ったという説があるが、華やかな生活、名声や美貌、ドラッグや壊れやすい精神状態など、なるほどと思わせる。去年ミック・ジャガーが自殺した恋人ローレン・スコットの追悼式でこの曲を歌ったというのもわかる気がする。
そういえば、初めて買ったディランのレコードは、中古で買ったアナログのベスト盤『Bob Dylan's Greatest Hits』(1967年リリース)だった。「Just Like A Woman」も収録されている。取り出してみると訳詞はやはり片桐ユズルだが、 “amphetamine”はそのまま“アンフェタミン”だし、 “She makes love just like a woman”は “まるで女のように恋しているじゃないの”と訳されてる。いつから変わったんだろうな…。
しかし訳詞から受ける印象で曲の好き嫌いを判断してしまうのも良くない。私はたまにそういうことがある。洋楽じゃなくても邦楽のアーティストの歌詞カードをじっと見ながら曲を聴いていると、演奏とヴォーカル(メロディ)が一体となって、音の塊として耳に入ってこない時がある。音と詞を分けて受け入れないようにしないとね。特にディランみたいな歌詞に深い意味があるんじゃないの…というようなアーティストの場合は。
右上のジャケ写は1993年リリースのCD盤。最近ボーナストラック入りで再発されている。 ボーナス・トラックはシニード・オコナーのリハ・テイク「I Believe In You」だ。
ブルーレイも出てるんだ…。