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STRUMMER, SIMONON & HOWARD「CZECHOSLOVAK SONG / WHERE IS ENGLAND」

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2018年9月28日、Ingition Recordsからリリースのジョー・ストラマーのアンソロジー『Joe Strummer 001』より。 ジョーが亡くなってから16年、初めてクラッシュ以外に焦点を当てたアンソロジーがリリースされた。遅いよー。でもリリース形態がなぁ。まず限定盤のスーパー・デラックス・ボックスセット(2CD+アナログLP3枚+12インチ+7インチ+カセット+ブック+バッジやステッカー等)。このボックスセットの7インチに入っているストラマー、シムノン&ハワード名義の2曲 「This Is England (Unreleased demo) c/w Before We Go Forward (Unreleased demo)」 とカセット・テープに入っている「Full Moon (Unreleased basement demo)」はこのスーパー・デラックス・ボックスセットでしか聴けない。しかし価格は15,000円超えと高額のうえ、置き場所にも困りそうなので購入を見合わせた。 他はアナログLP3枚+12インチ仕様、ブック+2CDのデラックス盤仕様、通常盤の2CD仕様、と4形態(他にデジタルがあるが)でリリース。日本盤が出るのはCD2枚の通常盤のみ。ジョー・ストラマーは訳詞が読みたいので出れば国内盤を買っているが、今回は64ページのブックがどんなものか見たくてブック+2CDのデラックス盤を輸入盤で購入。国内盤でブック付きを作ってくれればよかったがなぁ。 注文したのはリリース日の少し前だったが、品切れだったのか届いたのは1ヶ月後だった。届いたブツはA4サイズのハードバック・ブックの裏表紙部分に2つの紙ケースに入れたCDを差し込んだ仕様。サイズがデカいが私のような既に老眼で細かい字が苦手になってる人には見易いか。ブックにはジョー手書きの歌詞(それも推敲の書き込みやイラストが描いてある)が掲載されていて、これは面白い。写真はあまり載っていなくて、レコード会社のプロモーション写真などで、あまり多くはない。まぁブック付きを買ってよかったかな。 収録された音源だが、CD1枚目はThe 101ersからメスカレロスまで既にリリースされた楽曲からクラッシュを除いて選ばれた20曲。 The 101ers「Key To Your Heart」、映画『シド・アンド・ナンシー

PANTA & HAL『マラッカ』・『1980X』再現ライヴ

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PANTA&HALがリリースした2枚のスタジオ・アルバム、『マラッカ』と『1980X』の再現ライヴが11月1日ビルボードライブ大阪、11月3日ビルボードライブ東京で行われた。私は行っていないので、ネット上で幾つかレヴューを読んだが、雑誌「MUSIC STEADY」初代編集長のブログ「 Let's Go Steady―Jポップス黄金時代! 」のレヴューに詳しく書かれている。 レヴューの中で、“グランドピアノに黒布を被せ、その上には村上元二、中谷宏道、石田徹という、今は亡きメンバーの遺影が置かれ、振り向きながら”パンタがメンバー紹介をした、と書かれていたのが心にしみた。 私がパンタのライヴを見始めた頃(『SALVAGE』の頃)は中谷宏道がベースで、渋いいで立ちで渋いベースプレイを聴かせてくれた。好きなベーシストだった。 右上の中谷宏道の写真はアルバム『16人格』インサートより。 それにライターの吉原聖洋も亡くなっていたのか...。パンタの詩集「ナイフ」の解説や1992年のパンタのアルバムCDリイシューで多くのアルバムのライナーノーツを書いていたのが記憶に残っている。紙ジャケ買ってもこのライナーノーツがあるからCD手放せないんだ。

My Wandering MUSIC History Vol.83 THE ROOSTERZ『GOOD DREAMS』

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1984年4月21日、日本コロムビアよりリリース。 1983年12月31日に池袋・西武劇場でおこなわれた年越しライヴ “第11回ニューイヤーロックフェスティバル”に出演、ルースターズは31日の午後10時過ぎに登場した(このライヴの中から「Sad Song」が1984年1月17日にTBSでTV放送されている)。明けた1984年1月1日にはシングル「Sad Song c/w Heart's Edge」をリリースし、1月1日、2日には新宿ロフトで2daysライヴと忙しく年を越したルースターズだったが、このロフト2days後、なんとベースの井上富雄がバンドを脱退してしまう。後に井上は脱退の原因を “リーダー(大江)が倒れて求心力がなくなったのが原因で音楽的対立はなかった”とインタビューで語っている。 元日にシングルをリリースし正月に2日間のライヴをブッキングするという “その年を迎えた” 意気込みを感じさせたルースターズだったが、井上の脱退により2ヶ月半程ライヴ活動を停止している。しかしライヴ・スケジュールのキャンセルが無かったようなので、このライヴで井上が脱退することは以前から決まっていたのだろう。池畑脱退後しばらくして井上はバンドを離れることを決意、周囲に伝えていたと思われる。 井上の脱退のアナウンスはどこで見聞きしたのか覚えていないが、おそらく雑誌で読んだのかな…。しばらくしてオーディションにより当時19歳の柞山一彦が加入(井上もデビュー時19歳だったな…)、プロの経験はなくテクニックよりも若さとルックスを買われてということだった。なんでも作山自身が軽い気持ちで電話をかけたところ、翌日には花田と安藤に会って、後日柞山のバンド(ルースターズのコピーをしていたバンドらしい)のライヴを花田と安藤がライヴハウス(ACBらしい)へ見に行き、他にもオーディションで何人か一緒にやったが、最終的に柞山に決めた、ということだ。 これだけキャリアのあるバンドが、経験のないプレイヤーを加入させるというのも、思い切った決断というか冒険というかパンクなバンド姿勢ではある。メンバーの出入りが激しかったこの時期、それほど自己主張のないメンバーを、という配慮もあったのかなぁ。まぁこの時期邦楽・洋楽問わず様々なパンクバンド、ポスト・パンクバンド、ニューウェイヴ・バンドが楽器を手にしたことのない