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イヌイジュン著『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』

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2020年6月26日 シンコーミュージック・エンタテイメントより出版。 ザ・スターリンのアルバム『trash』再発とほぼ同じタイミングで刊行されたイヌイジュンによるザ・スターリンと遠藤ミチロウ回顧録。 この本は、東京・国立市にあったぶどう園のアパートのシーンから始まる。 国立にあったぶどう園アパートについては、これまでに読んだことがあった。たとえば、元ミュートビートでDUBトランペッターのこだま和文は、 “ 国立市の西、当時「ぶどう園」と呼ばれていた一画があった。ぶどう畑を囲むように百軒ほどのバラック風のアパートがあった。売れないミュージシャンや画学生、ヒッピー風の若者たちが住んでいた、ぼくも、その中の一人だった。忌野さん縁の地でもある。” (こだま和文著『空にあおいで』K&Bパブリッシャーズ刊より) また、ガセネタのベーシストだった大里俊晴は、 “ 一橋大学の裏手にある、ブドー畑とか、ミュージシャン長屋、というと、知る人は知っているが、何十何百と知れぬミュージシャン、ミュージシャンの卵、自称ミュージシャン、その他モロモロの巣窟だ。 この、年間家賃滞納額が数百万とも噂される大集合住宅地に(中略)くだんのドラマー、乾の部屋を探し続けていた。”(大里俊晴著「ガセネタの荒野」月曜社刊より) ここでガセネタのメンバー(大里、浜野純、山崎春美)3人が訪ねて行ったのがイヌイジュン(乾純)だった。 イヌイはガセネタのドラマーになり、1度だけガセネタとしてライヴをおこなう。イヌイが遠藤ミチロウと出会う以前1978年のことだ。そして1979年春、イヌイは同じくぶどう園に住む遠藤ミチロウに声をかけた 。「パンク、好きなん?」 イヌイジュンはドラマーとして、ザ・スターリン以前のコケシドール〜バラシ〜自閉体から遠藤ミチロウと音楽活動を共にしていた。 コケシドール(1979年4月〜6月)〜バラシ(1979年7月〜10月):Vo&G・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、B・辻村信也 自閉体(1979年10月〜1980年2月):Vo・遠藤ミチロウ、D・イヌイジュン、G・尾形テルヤ、B・立山ヒロキ 尾形と立山が脱退した1980年初頭、ミラーズ のヒゴ・ヒロシがミチロウとイヌイの写真を撮りたいと連絡があり、吉祥寺マイナーがあったビルの屋上で撮影。この本の巻頭にこの時撮影された7枚の写真が

デボラ・ハリー著・浅倉卓弥訳『フェィス・イット:デボラ・ハリー自伝』

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2020年7月29日 ele-king booksより出版。 ブロンディのヴォーカリスト、デビー・ハリーの自伝の邦訳が刊行された。原書はDey Street Booksから2019年10月に出されていたようだ。 邦訳出版元はele-king books、訳者は浅倉卓弥と少し前に読んだ2冊のトレイシー・ソーン自伝と同様。ちなみにトレイシー・ソーンは自伝の中で、“ 自分が真にパンクの子供であった ” と書いていたが、1945年生まれのデビー・ハリーは、この自伝の5章めのタイトルを、“ 生まれつきパンク(Born To Be Punk) ” としている。 デビーは1945年7月1日フロリダに生まれてすぐニュージャージーへ転居、短大卒業後にニューヨークへ渡り、1960年代の中頃にチャーリー・ナッシングのバンド、ファースト・ナショナル・ユニフレニック・チャーチ・アンド・ザ・バンク(The First Uniphrenic Church and Bank Band)に参加し音楽活動を開始したが、アルバムをリリースする前にデビーは脱退している。 その後ポール・クラインに誘われザ・ウィンド・イン・ザ・ウィロウズにコーラスで参加、1968年に同名アルバムをリリースするがデビーはグループを脱退している。 この後レストラン/ナイトクラブのマックス・カンザス・シティでウェイトレスとして働いたり、プレイボーイ・クラブに勤めるが、ニューヨークに来て5年になる頃、一度ニュージャージーに戻り美容室の仕事についている。しかしニューヨークへは、ニューヨーク・ドールズなどのライヴに通っていて、そのドールズをマックスへ観に行った時に、エルダ・ジェンタイルと知り合い、ロージエンヌ・ロスと女性3人のトリオを組もうということになった。女性3人のリードシンガーに男性陣のバックバンド、スティレットーズ(The Stilettoes)を結成した。 練習を重ねるうちデビーはニューヨークに引っ越した。やがてロージエンヌが辞め、代わりにアマンダ・ジョーンズが加入。バックバンドのメンバーは流動的だったようだ。曲はカヴァーと数曲のオリジナルを演奏していた。スティレットーズのライヴ後デビーは楽屋でクリス・シュタイン(以前はクリス・スタインと表記されていた)と出会い、数日後にクリスはバックバンドのメンバーとなった。これが後々まで続

遠藤ミチロウ「オレの周りは」

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情況はいつも危機一髪で ウソをつくにはもってこいの話題ばかりなのさ

THE STALIN『trash』

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2020年7月1日、ポリティカル・レコードからリイシューのアルバム。 1980年6月26日、ザ・スターリン(Vo&B遠藤ミチロウ、G金子あつし、D乾純)が渋谷屋根裏(昼の部)でデビュー・ライヴ。しばらくしてベースに杉山シンタロウが加入、フレキシ「電動こけし/肉」、5曲入りEP「スターリニズム」を自らのポリティカル・レコードよりリリース、ギターが金子あつしからタムに代わったのち、ファースト・アルバムの制作に着手、1981年9月スタジオ(MOD-STUDIO)での録音に加えて、1981年10月31日の市ヶ谷法政大学学館大ホールと11月7日の京都磔磔においてアルバム収録用のライヴ・レコーディングをおこなった。 1981年12月24日、ファースト・アルバム『trash』をポリティカル・レコードよりリリース。A面スタジオ録音、B面ライヴ録音。定価2,000円。ディストリビューションはシティ・ロッカー・レコード。当初プレス枚数限定1,000枚だったが予約殺到により限定2,000枚に変更するも発売1ヶ月で完売となった。売切れ直後には1日100人以上の問合せと、追加プレスを望む抗議と怒りの声があがったものの、追加プレスされずに早々に入手困難、コレクターズ・アイテムとなった…。それから38年後…。 2019年12月31日、THE STALIN【公式】twitterで『trash』がCD(紙ジャケ仕様)、アナログ盤で再発売されると発表。デビュー・ライヴから40年後の2020年6月26日、渋谷WWWXで開催のTHE STALIN 40執念GIG「大破産」の会場にて『trash』が先行販売される…はずだったが、新型コロナ(COVID-19)感染拡大およびその予防により40執念GIG「大破産」の延期を6月12日に発表した。 2020年5月29日、『trash』CD、LP予約開始。 2020年6月4日、遠藤ミチロウのマネージャー伊藤玲育(遠藤ミチロウオフィス)がエンドウ ミチロウTwitterに「THE STALIN『trash』再発によせて」を掲載。 長らく再発されなかった『trash』がミチロウ逝去約8ヶ月後と短期に再発決定したこと、そこにミチロウの意思はあったのかという懐疑的な意見に対して発せられたものと思われる。 2020年7月1日、『trash』再発CD(税込2,750円)、