追悼・渋谷陽一 『季刊 渋谷陽一 BRIDGE』

雑誌名に自分の名前を冠した『季刊 渋谷陽一 BRIDGE』。創刊号1994年2月号の冒頭「創刊にあたって」で渋谷陽一は“雑誌業界から編集者の顔が失われている”危機感を訴え、この本を“徹底した個人誌、同人誌以下の個人的作業で作ってみよう”と思い、”全てのインタビューを自分で行なったし、かなりの写真も自分で撮った”、“『ROCKIN' ON JAPAN』は若手のミュージシャン中心だが、この本はベテラン・ミュージシャンを中心に構成”、そして“今の日本の音楽シーン支えている大物ミュージシャン達が主体となるメディアが存在していない”状況を“音楽雑誌業界の持つ構造的な問題”それは”情報をいびつなものにしてまっているのは確かだ”と記載している。

創刊号は忌野清志郎、カールスモーキー石井、浜田省吾、佐野元春、大沢誉志幸、CHAR、少年ナイフ、いまみちともたか、山下達郎、吉川晃司のインタビューを掲載、先にも書いたが全てのインタビュアーは渋谷陽一。どれも読み応えあり、少年ナイフの会社勤めしながらバンド活動&パックツアーで海外ライヴの話で盛り上がるインタビューが微笑ましい。

第2号は1994年4月号で「佐野元春の10曲」と題し「アンジェリーナ」、「サムデイ」、「コンプリケーション・シェイクダウン」、「約束の橋」といった代表曲10曲を選定、その曲を通して渋谷陽一が佐野元春というアーティストに迫るという企画。もっともCDが売れていた時期の強気のユーミン、阿久悠に作詞を依頼した時期(シナロケ のアルバム『ROCK ON BABY』)の鮎川誠、バンド名通りの神経質な内容のナーヴ・カッツェ、その他に仲井戸麗市、シュークリムシュ、久保田利伸、サンプラザ中野、EPO、松浦雅也、平沢進、MIX NUTS。すべて渋谷陽一がインタビューしている。渋谷陽一が撮影した写真も前号に比べて増え、佐野、シュークリームシュ、ユーミン、久保田以外はすべて渋谷の写真が使われている。

第3号1994年7月号も10曲を選び、その曲からアーティストに迫る企画の第2弾「浜田省吾の10曲」。「路地裏の少年」、「片想い」、「愛の世代の前に」といった代表曲10曲が選ばれた。2025年の現代にそのまま通じる内容をもつ「愛の世代の前に」は、広島と核兵器をテーマにし8月6日に作ったと語られている。ほかに2・3'Sが活動休止した時期の忌野清志郎、デーモン小暮、ハートランドを解散した佐野元春、坂本龍一、大沢誉志幸、パーソンズのJILL、辻仁成、種ともこのインタビューを掲載。すべて渋谷陽一がインタビュアー。写真も渋谷が全て担当したのは、墓地で撮影したデーモン小暮、古い家屋前で味のある写真になったJILL、大沢誉志幸、辻仁成、種ともこ。

私が購入したのはこの3冊のみだが、渋谷陽一が自身と同じく歳を重ねた同世代のアーティスト達をインタビューという手法で深く掘り下げ、作品に込められているものを読者に伝えようとしていたことが強く感じられる。
雑誌名の“渋谷陽一”はいつの間にか外れていた。

第2号の仲井戸麗市のインタビューのなかで渋谷陽一は“音楽評論家としてのデビューは18歳、雑誌ロッキン・オン作ったのは20歳”、さらに“喫茶店(ソウル・イート)でDJやってた時は17歳(高校生)だ!”と語っている。それから50年以上、ロックに関わり続け、ロックを追求し続け、ロックを日本に紹介し続けた。今、おつかれさまと言いたい。

RIP...。




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