ニック・ホーンビィ著・森田義信訳『ぼくのプレミア・ライフ』
先日紹介した『ハイ・フィデリティ』はホーンビィの2作目で、今回紹介する『ぼくのプレミア・ライフ(原題:フィーバー・ビッチ)』が彼のデビュー作だ。イギリスではWHスポーツ・ブック賞を受賞、100万部のベストセラーになった。
サッカーというスポーツや応援するサポーターについて書かれた本は数あれど、これほどサポーター個人の一つのクラブ・チームに対する偏愛を綴った作品は他に無いのではないか。サッカーのゲームや戦術を分析したのでも、ワールド・カップの試合についてでも、スポーツ・ジャーナリストが一つのクラブを取り上げたのでも無く、フーリガンについてでも無い。この作品はイングランド・ファースト・ディビジョン(現在のプレミア・リーグ)に属するチーム、アーセナルのサポーターとして、チームやサッカーを見続けてきたホーンビィが1968年~1992年までを日記風にまとめたエッセイである。
ホーンビィがサッカーにとりつかれたのは11才の頃、夫婦別居状態であった父親が、母親と暮らす子供とのコミニュケーションの手段としてサッカーの観戦を父子で行くようになる。その当時は家族の問題や、引っ越し、自身の病気など心に傷を負う事柄が多く、著者の心の隙間を埋めるようにアーセナルとサッカーは吸収されていった。その後の人生はアーセナルの試合日程、開催場所、試合結果、順位、好不調に左右され、この傾向は少年期から現在(本が出版されたときは三十代半ば)までほぼ変わらない。
私は熱心にスタジアムに通うサポーターでは無く、ほとんどTV観戦だが、ひいきのチームや日本代表の試合を見て何気なく思っていたことと同じことが、この作品にはたくさん登場する。
例えば、
◎退屈なゲームを受け入れるということ。
◎我がチームを勝利に導くためにするバカげたジンクス(決まった時間に決まった行動をするとか、この音楽を聞けば点が入るとか)。
◎家族行事や友人との約束(飲み会など)と試合観戦の優先順位。
◎サッカー・ファンの攻撃性、及びフーリガニズムについて。
◎男と女の偏愛の違いについて。
◎応援するチームへの帰属心とは、どう定義するのか。
◎サポーターに対して、選手が認めたり理解する以上の責任が生じる時はあるのか?
などなど.......。
著者はシーズンの途中で死んだらハイベリー(アーセナルのホーム・スタジアム)に自分の灰を撒いて欲しいとまで思っている。私より熱狂的なサポーターが読めば、さらに深くうなずけるだろうし(少々ナイーブでシニカルな作品ではあるが)、サッカーをあまり見ないし知らない人が読んでも、この著者の異常な偏愛ぶりに感心するだろう。もしその人が、サッカーでは無く他のものを偏愛していたら、共通点が見つかることだろう。
とにかく楽しい作品だ。書いてある文章を読んで“あーこの気持ち分かるなー”というか、自分が抱いていた気持ちを“分かってくれるか”という感じだ。何度読んでも、拾い読みしても楽しめる。なお、この訳者は音楽雑誌『DIG』でコラムを執筆していた(している?最近買ってないのでわからない)人のようだ。
2001年のJリーグ開幕は3月10日。今の時期はキャンプの最中で、ちらちらと新しい情報も耳に入ってくる。新しく加入した選手や外国人選手、去って行った選手、替わった監督、戦術、システム.....。今年の順位はどうなる?開幕ダッシュは?等々、期待に胸踊る時期である。
今年もシーズンが始まればホーンビィのようにシニカルになり、時に我を忘れる試合もあるのだろう。
原題:Fever Pitch
著者 : Nick Hornby
訳者 : 森田義信
出版 : 新潮文庫
日本版発行 : 2000年3月