NHK・ドキュメンタリー『追跡・幻のろっ骨レコード 』

「ろっ骨レコードって知ってる?」と友人に聞かれて、ドイツのバンド、Faustのファースト・アルバムの ジャケットが思い浮かんだが、あれは拳のレントゲン写真でろっ骨では無いな....などど思っているうちに、 「このあいだNHKでやってた番組で面白かったからビデオ貸すよ」と勧められたのがこの番組。

冬のロシア、御存じサックス・プレーヤーの坂田明がまるまると厚着をして幻のレコード探す場面から始る。 街頭で「ろっ骨レコードを持っていないか?」と聞いてまわるが、知っている人はいても持っている人はいない。 博物館などに保管されている場所もないようだ。 そこで地元のラジオ局に呼び掛けてもらい、聴取者から情報を集めることになった。

ろっ骨レコードというのは、アメリカなど西側の音楽(ロック、ジャズなど)のレコードの製造や販売、 さらに演奏することや聞くことが禁止されていた旧ソ連時代に、 若者たちが強制収容所行きや投獄の危険を承知で、病院で処理に困っていた使用済みのレントゲン写真を丸く切り、 真ん中に穴を開け、レコードから複製して製造、売買されていた海賊レコードのことである。 円盤の片面だけに録音がされており、感じはソノシートのようなものだ。 人間のろっ骨部分や頭部などが写っているレントゲン写真を使用していることから『ろっ骨レコード』名が付いた。 当時レコードは国営会社のみが製造を許可されていたものだが、このろっ骨レコードは数百万枚が製造されたという。

やがて、61才の女性が持っているという連絡が入り、さっそく訪れてみると古いトランクの中から SP盤に混ざって歪んだ数枚のろっ骨レコードがあった。彼女は街頭で「シェルブールの雨傘」のレコードは要らないか? と声をかけられ、ろっ骨レコードを買ったのだと言う。そのレコードには「シェルブールの雨傘」ではなく「アリババ」が 入っていたらしい。
彼女の家のレコード・プレーヤーに1枚を掛けてみるが、回転数が78回転のためうまく掛からない。 やがて坂田はその女性と音楽に合わせてダンスを踊り始め(おいおい...)、 どうやら1枚ろっ骨レコードをおみやげにもらって引き上げた。

もう一人ラジオ局からの連絡でレコードを持っているという人に会いにゆく。蚤の市に出店している74才の女性。 工場に勤めながら仲間たちと一緒にろっ骨レコードを聞き、踊ったのだと言う。 彼女が持っていたろっ骨レコードを掛けるために、その蚤の市のなかから蓄音機を捜し出してきた。 これもまた歪んでいたが、録音されていたのは、トリオ・ロス・パンチョスの「ベサメ・ム-チョ」だった。 過ぎ去った時の思い出に浸る彼女の表情や「私の汽車はもう往ってしまったわ...」(ブルースだな...)という言葉が印象的だった。

3人めは第二次世界大戦時に従軍していた男性で、連合国軍側の兵士だったため西側の音楽に入れ込んで、 禁止されてからも忘れられず、ろっ骨レコードを買っていたという。彼は売買の状況を再現してみせてくれた。 声をかけられるとレコードの内容や受け渡し日時、場所を決めて金を払う。 打ち合わせた日時に売る側は服の袖にレコードを入れ、買う方の懐へ押し込む...という取り引きだったようだ。
彼の紹介で67才のジャズ研究家を訪ね、そこでろっ骨レコードに録音されたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」 を聞く。少し回転が早いが、演奏とともに当時の熱い思いが部屋に満ちてくるようだった。 興奮して語る彼等が輝いて見えた。 このジャズ研究家の家の地下室には動作はしなかったが、ろっ骨レコードを作るための録音機もあった。

世はインターネット時代。検索サイトで調べると、ろっ骨レコード製作で数年間投獄されていたという、72才の 男性がいることが分かった。 タイギンという名のその男性が住むサンクト・ペテルブルグはろっ骨レコードの産地で有名らしく、 彼も19才だった1947年から15年間ろっ骨レコードを作っていたという。 彼の話では、レコードの素材としてレントゲン写真から質の良い厚くて丈夫、良い音で録音できる航空写真用のフィルムに 変わっていったという。写真の後ろに文字や絵の書かれたレーベルを貼り付け見栄えも良くしていた。

彼の仲間でまだ動く録音機を持っている人がいるというので、坂田は現地の病院でレントゲン写真を撮ってもらい、サックス持参で 訪れる。どうやら自分自身の骨の写った写真に自分の演奏を録音したいらしい.....。
結局、録音機は読み取り側が壊れていて坂田の演奏が録音出来なかったのだが、坂田のレントゲン写真で形だけでも作ることに。 ここでもまた、久しぶりにレコード作りに往年の情熱が燃え上がり、坂田そっちのけで熱中するオヤジたち。 その熱は半端なものでは無い。タイギンさんは国だけが作れるレコードを製造した罪で2年、西側の思想を流布させた罪で3年、 計5年の刑で投獄された。刑務所に1年服役したあと、強制労働のため北シベリアに送られた。 しかし、彼は出所後レコード作りを再開したという。「自分の好きな音楽は捨てられなかった」と語っていた。

登場した人たちは、ろっ骨レコードに「自由」を感じ、生きる上での万能薬として監視の目を逃れ、 仲間と密かに熱中していた。 彼等は困難な時代を生きてきた。みな60をこえる年を重ねてきた人たちばかりだ。苦労してきた場面は数多かったであろう。 しかし、レコードを掛けたり製作する場面では必ず笑顔を浮かべ、自分の若かった時を 懐かしむ楽しげな表情が見られた。それは取材する側の坂田明も同様だった。 それが”音楽”のひとつの力なのだと思った。
この番組は私が日常聴き、のめり込んでいる”音楽”について考えさせられる内容だった。
自然で人間の根本的な欲求を規制されるという恐怖について。 私が今、世界中のあらゆる音楽を聴くことの出来る意味も。

番組の最後、坂田明はモスクワのクラブで地元のサックス・プレーヤー(やはりジャズを演奏する=反体制ということで、 困難な時代を過ごした)と共演し、これまで取材してきた人々の音楽と、 ろっ骨レコードに対する情熱を演奏に込め熱演を披露した。

放送:NHK総合
タイトル:「地球に好奇心」”追跡・幻のろっ骨レコード~ロシア冷戦下の青春~”
制作:NHKエンタープライズ21・テレコムスタッフ

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