クリス・セールウィクズ著・大田黒奉之訳 『リデンプション・ソング』
ジョーと個人的にも親しかった著者によるジョー・ストラマーの伝記。
2002年12月22日、50歳で生涯を突然閉じたジョー。著者は家族、バンドのメンバー、スタッフなど300人に及ぶ関係者を取材、生い立ちから、寄宿舎生活、兄の死、アートスクール、音楽への傾倒、スクワッテイング(不法住居占拠)、101'ers、The Clashの結成~解散、ソロ活動、映画音楽、ポーグスとの活動、メスカレロスの結成、野外イベントへの愛着、その死までが650ページ余に綴られている。家族、プライベート、バンドなどの写真、個人的な手紙、ジョーが描いたイラスト、メモなども豊富にある。
最大の核はクラッシュに関わる箇所だろうが、あらゆる箇所が興味深く読む事が出来る。音楽に目覚めていくところ、他ミュージシャンからの影響などをほんの少し紹介すると、 “初めて買ったレコードはビートルズの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」”とか“ビーチ・ボーイズがきっかけになりポップミュージックに取りつかれた”、“人生を変えたレコードはストーンズの「ノット・フェイド・アウェイ」”、“13歳にはチャック・ベリーの音楽を追い求め” 、『ストロベリー・フィールズ~」の頃にはビートルズへの興味を失い、ブルース・ブレイカーズやクリーム、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、レッド・ツェッペリン、ドアーズなどに興味は移る。
ウクレレでチャック・ベリーを弾いてバスキングしていたが、ギターを本格的に始める。初めはチューニングもままならかったが、1973年にはニューポートで初めてのバンドにボーカリスト兼ギタリストとして参加、「ヴァルチャーズ」というバンドで墓堀人をしながら活動した。 1974年にはロンドンへ戻り、101'ersを結成、75年にロンドンで行われたスプリングスティーンの3時間に及ぶライブを見て影響されたという。
読んでいて感じるのはジョーが音楽制作とライブへ捧げる情熱は相当なものだったということだ。音楽制作やオーディンスに対して正直でありたい、と自らを追い込んでいたとも思えるし、それがジョー本来の性格だったとしても、パプリックイメージに苦しめられていた気もする。加えてクラッシュをクビにしたトッパーやミックに対しての後悔の念は、かなりその後の生活、音楽活動にも影響していたようだ。
しかし、誰にでも分け隔てなく暖かい態度、言葉で接するジョーの人柄は、この本のいたる所で読み取れるし、 本の最後に載っているミック・ジョーンズの言葉が裏付けている。