平野悠 著『ライブハウス「ロフト」青春記』
15人も入れば満杯の山小屋風スナック烏山ロフトから始まり、ライブも出来る西荻窪ロフト開店(1973年)、騒音問題やキャパの狭さを解消する為 荻窪ロフト開店(1974年)、音楽シーンの動向を敏感に読み取り下北沢ロフト開店(1975年)、渋谷屋根裏や新宿ルイードに刺激を受け日本のロックシーンの最前線で走り続けたいという希望を持って新宿ロフト開店(1976年) という怒涛のロフト拡大のスピードは無謀ともいえるし驚嘆すべき事だ。その間様々なエピソードがあったろうし、実際書かれてもいる。例えば、
烏山の坂本龍一、
西荻窪の山下洋輔や森田童子、
荻窪のティンパンアレーセッション、
下北沢のタモリやサザンオールスターズ、
についてのエピソード、各店舗の出店に関してや客との関わり、苦労話なども書かれているが、話しの展開が早く、妙にあっさりしていて深く掘り下げて書かれていない印象を受けてしまうのが残念だなとも思った。ここまでで全体の半分くらい。
後半は新宿ロフトだ。
1976年に開店し、お店と平行して“新人発掘”や“ロフト・レコード”も企画したがこちらはうまくいかなかったようだ。周囲の影響もあり1979年3月には金土日祝日に限定していたライブを毎日おこなうようになっていく。時代はパンク・ニューウェイブ期。1979年夏のイベント“Drive to 80's”に関してや その企画者・地引雄一との短いインタビューもある。ロフト・ニューウェイブ御三家と題されて、ARB、ルースターズ、アナーキーの3バンドが短いながらも独立して取り上げられている(各2ページほど)。 興味深いところでは柏木省三に関するエピソードもちらり。
1976年に開店し、お店と平行して“新人発掘”や“ロフト・レコード”も企画したがこちらはうまくいかなかったようだ。周囲の影響もあり1979年3月には金土日祝日に限定していたライブを毎日おこなうようになっていく。時代はパンク・ニューウェイブ期。1979年夏のイベント“Drive to 80's”に関してや その企画者・地引雄一との短いインタビューもある。ロフト・ニューウェイブ御三家と題されて、ARB、ルースターズ、アナーキーの3バンドが短いながらも独立して取り上げられている(各2ページほど)。 興味深いところでは柏木省三に関するエピソードもちらり。
その他、タコ(山崎春美)、スターリン、非常階段、じゃがたら、ハードコア勢、東西ヘヴィメタル勢が取り上げられている。BOOWYには最も多い7ページほどをつかってエピソードが書かれている。私も通った西新宿の輸入レコード盤店・海賊盤店についても(短いが)言及があるのも面白い。
1980年に平野の息抜き場所ともいえる自由が丘ロフトを開店するも、1984年頃には平野にとってロフトの経営が苦痛になっており、1984年10月には無期限世界放浪旅に出てしまう。やがて新宿ロフトの移転話しが浮上し、それに伴い帰国、下北沢シェルター開店(1991年)、1999年に新宿ロフトは西新宿から歌舞伎町に移転する。
どちらかというとロフトの詳細な歴史というよりはタイトルにもなっているように“青春記”であるようだ。若さに任せた向こう見ずな行動力、音楽が好きで熱意と愛情と工夫にあふれた店作り(それゆえアーティストに愛された)の記録であり、現代の若者達への“見る前に飛べ”、“考えるより行動”的なテキストであるとも思う。1997年に出版された『ROCK is LOFT』(平野自身のインタビューや関係者の証言あり)とあわせて読むとなお面白い。
刊行に際して平野悠へのインタビューがRoof Topにある。
私の初ロフトは1982年5月9日新宿ロフトのヒカシューだった。