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My Wandering MUSIC History Vol.24 PANTA & HAL『TKO NIGHT LIGHT』

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1980年10月5日フライング・ドッグ/ビクターよりリリースのライヴ・アルバム。 パンタの音楽を初めて聴いたのはおそらくこの2枚組のライヴ・アルバムだったと思う。もしかしたら当時出来はじめていたレンタル・レコード店で借りたかも。 このアルバム聴いたら虜になるよね。頭脳警察解散後ソロ~この時までの代表曲を選曲(と当時未発表の6曲)した全16曲のダブル・アルバム(CD化の際1枚にまとめられた)。アルバムの冒頭、曲がはじまる前の指慣らしのような何気ないギターやベースの音にもスリリングな雰囲気を感じる。1980年という時代のページがひとつめくられて、20世紀末へのカウントダウンが静かに始まり、日本の世相にとどまらず、世界の地図が動き出す予感と、 “HAL”というグループ名のもとになった21世紀への新たな冒険への期待と熱気をパッケージしたドキュメントでもある。 東京・日本青年館で行われたライヴが録音されたのは1980年7月16日でPANTA&HALとしては活動末期にあたる。バンドは1981年2月に解散してしまう訳だが、パンタが音楽方向性についてバンドのメンバーと移動中の新幹線の中で一対一の“面接”をするのは5ヶ月後の1980年12月。1981年1月早々に持たれたミーティングでパンタからバンドメンバーに解散が伝えられたという(『PANTA&HAL BOX』付属ブックレットより)。この時間の経過を見てみると、7月のライヴ・レコーディング時に“解散を前提とした記録”という意味付けはなかったと思う。『マラッカ』、『1980X』と2枚の傑作スタジオ・アルバムを世に問い、メンバーを変えながらも時代と時代の音楽に対峙してきたバンドの集大成として、また次へのステップ・通過点、一夜の記録として聴いてもらいたいと思う。 PANTA&HALの活動初期から演奏されていたテーマ曲「HALのテーマ」、オリジナル・メンバー今剛在籍時に作られたファンキーな「羅尾」、 次に制作される予定だったHALのアルバム『クリスタル・ナハト』に収録するはずのドイツを舞台にした「フローライン」、TOKYOでもなくTOKIOでもなくTYOでもなく“TKO=東京”の都市の風景、それも都市にテクニカル・ノック・アウトされた、かなり殺伐とした風景ばかりを切り取った歌詞と成田空港にまつわる逸話をあわせこんだ、

My Wandering MUSIC History Vol.23 MOMOYO & LIZARD!『SA・KA・NA』

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1980年7月ジャンク・コネクションよりリリースのミニ・アルバム(コンパクト盤)。 日本で作られた自主制作のレコードを手にしたのはこのモモヨ&リザード名義の『サ・カ・ナ』が初めてだったんじゃないか。シングル盤と同じ7インチ・レコード盤で回転数は33 1/3rpmなので、当時はミニ・アルバム(コンパクト盤)と呼ばれていた。折りたたんだポスタースリーブのジャケットにはモモヨの写真と歌詞、水俣病に関する写真や資料一覧、連絡先も記されていた。プロデュースはモモヨで、“This Mini Album Not Produced By J.J.Burnel”と記載がある。A/B面に1曲ずつ収録されていて、A面はDJスタイルと題されたヴォーカル入りのヴァージョン、B面はDISCOスタイルと題されたパーカッションなどを強調したダブ・ヴァージョンとなっている。 モモヨの自伝的著作『蜥蜴の迷宮』にモモヨが「サ・カ・ナ」という曲の構想を思い浮かぶ場面が出てくる。シングル「浅草六区」のジャケットに使用する写真のロケーションに出かけたバスの中で、車窓から見える東京の灰色の空と、バスに乗る虚ろな瞳の人々にサカナの目を想起したとき、数日来考えていた水銀や廃棄物によって汚染された海が、漁師たちの垂れる釣り針を待て、とサカナ達に語り掛ける“海の復讐”というテーマと結びついた、と書いている。 “不知火”(八代海沿岸)と“水銀”という言葉を使ったのは“おおかたの人がそれ(水俣)を忘れているからだ”と記しているが、ただ水俣の公害を取り上げたわけではなく、蜃気楼揺れる都会の底で毒を蓄えて機会を窺っている“ボクタチサカナ”をも表したかったのだろう。 繰り返すキーボードのフレーズとベースライン、フェイジングしたハイハットのビート、コラージュしたようなギターのサウンドを聴いた時には新鮮な驚きを感じたものだ。特にB面のDISCOスタイルのダブ・ヴァージョンはモモヨの奇怪な叫びと共に強烈な印象を残した。今ならポスト・パンク的なサウンドと言えるが、当時これを聴いたときはまだPIL『Metal Box』やポップ・グループ『Y』なんかは未聴だった。それに水俣病という具体的な社会的事柄を歌詞に込めるというのも印象的で、クラッシュ等の海外のパンク・バンドと同様に日本のバンドもポリティカルな楽曲を作れるんだと思ったものだ。 レコー

My Wandering MUSIC History Vol.22 SEX PISTOLS『THE VERY BEST OF SEX PISTOLS AND WE DON'T CARE』

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1979年日本コロムビアよりリリースのベスト・アルバム。 このHPの中でよくパンク/ニュー・ウェイヴVSハード/ヘヴィ・ロック(またはプログレ)という書き方をしているが、 2014年の今となっては両者の対立に何の意味があるのか、と思えるけれど、オリジナル・パンクが出現した1976年からハードコア・パンクが登場する1980年まで、少なくとも(特にイギリスでは)パンク・ロックはヘヴィ・メタルだけではなく、ブルース・ロックやプログレッシヴ、クロスオーヴァー、ディスコ・ミュージックへのアンチであり決別であった。パンク・ロッカー達はゼップやクイーンやシンリジィ、ピンク・フロイドやイエス、ビージーズ等を罵倒し、自分たちのサウンドが如何に真実味があるかを語っていた。 私もいよいよパンク/ニュー・ウェイヴ熱が高まるにつれ、それまでせっせと収集していたハード/ヘヴィ/プログレのレコード、ブラック・サバス(ブートもかなりあった)やオジー・オズボーン、ディープ・パープル、レインボー、ギラン、ユーライア・ヒープ、キャメル、ナザレス、バッド・カンパニー、アイアン・メイデン、ジェフ・ベック、テッド・ニュージェント、TOTO等、日本では紫やレイジー、スペース・サーカス等のアルバムを売りに行った。当時は手提げの紙袋にレコードを入れ、重たいのにわざわざ都内の中古屋まで売りに行っていたのだ。レコードが売れるとその金を元手に中古盤屋や輸入盤屋でパンクやニュー・ウェイヴのレコードを買った。そんな買い方をした覚えがあるのがこのセックス・ピストルズの日本編集ベスト盤。たしか渋谷のハンターで買ったと思う。 たぶんピストルズを始めて聴いたのは友人に借りた『グレイト・ロックンロール・スウィンドル』だったような気がする。見開きジャケでインナーに写っていたキャット・ウーマンの写真が話題になっていたけど、裏ジャケのバンビの写真が気持ち悪いし、なんかシンフォニーで始まるし、ヴォーカリストは変わるし、音質も良かったり悪かったりと内容については散漫な印象。もちろんシドの「My Way」や「Something Else」、「C'mon Everybody」はかっこよかったし、ポール・クックやスティーヴ・ジョーンズが歌う「Silly Thing」、「Lonely Boy」もポップで好きだった。なので、『グレイト・ロックンロ

My Wandering MUSIC History Vol.21 子供ばんど『We Love 子供ばんど』

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1980年5月5日キャニオン・レコードよりリリースのアルバム。 少し前にも書いたが1979年~1980年あたりは新しく興味を持ったパンク/ニュー・ウェイヴを聴き始めていたが、それまで聴いていたハード/ヘヴィ/プログレも引き続きレコードの購入、貸し借りも続いていた。日本のバンドでは、アイドル・バンドを捨て本来の自分達の表現を出し切ったレイジーのスタジオ最終作『宇宙船地球号』、謎の覆面バンド・シルバースターズ『銀星団』、野獣(と書いて“のけもの”と読む)『From The Black World(地獄の叫び)』等のハード・ロックや、プログレではスペース・サーカス『ファンタスティック・アライヴァル』、ノヴェラ『魅惑劇』、アインソフ『妖精の森』、ムーンダンサーや新月のファーストなんかを聴いたが、当時はやはりパンク/ニュー・ウェイヴ勢の魅力に急速に惹かれていて熱心に聴くという感じではなくなっていた。しかしこの時期に繰り返し聴いていたのが子供ばんどのファースト・アルバム『We Love 子供ばんど』だった。 当時和製AC/DCとも言われたが、アンガス・ヤングのギブソンSGに対して国産ヤマハSGを自在に掻き鳴らすうじきつよしのギタリストとしてのテクニックは確かなものだったし、頭にミニアンプをつけたヘルメットを被ったパフォーマンスなど見た目のおもしろさもあった。 このファースト・アルバムはジャケットがコミカル。楽曲も堅苦しいことは言わず、ガキの言い分も聞け!といった内容で、「のら猫」、「ロックンロール・トゥナイト」、「踊ろじゃないか」など、どうなるか分からない明日への不安やいらいらした気分を吐き出し、ロックンロールで吹き飛ばす、といった歌詞をハードなロックンロール/ブギーなサウンドでコンパクトに仕上げていて聴き易い。アカペラの「赤いBODY(鬼のハイウェイ・パトローラー)」も楽しい小品。 なかでも我々の間ではエディ・コクラン(というかTHE WHOのヴァージョンを下敷きにしたと思われる)「サマータイム・ブルース」の日本語カヴァーが大人気で、 “アンタはまだまだ子供だよ”の部分が皆気に入って歌っていた。1982年には「Summertime Blues あんたはまだまだ子供だよ(子供ばんどのサマータイム・ブルース)c/w Walkin' Away」として再録音・シングルリリース