My Wandering MUSIC History Vol.23 MOMOYO & LIZARD!『SA・KA・NA』

1980年7月ジャンク・コネクションよりリリースのミニ・アルバム(コンパクト盤)。

日本で作られた自主制作のレコードを手にしたのはこのモモヨ&リザード名義の『サ・カ・ナ』が初めてだったんじゃないか。シングル盤と同じ7インチ・レコード盤で回転数は33 1/3rpmなので、当時はミニ・アルバム(コンパクト盤)と呼ばれていた。折りたたんだポスタースリーブのジャケットにはモモヨの写真と歌詞、水俣病に関する写真や資料一覧、連絡先も記されていた。プロデュースはモモヨで、“This Mini Album Not Produced By J.J.Burnel”と記載がある。A/B面に1曲ずつ収録されていて、A面はDJスタイルと題されたヴォーカル入りのヴァージョン、B面はDISCOスタイルと題されたパーカッションなどを強調したダブ・ヴァージョンとなっている。

モモヨの自伝的著作『蜥蜴の迷宮』にモモヨが「サ・カ・ナ」という曲の構想を思い浮かぶ場面が出てくる。シングル「浅草六区」のジャケットに使用する写真のロケーションに出かけたバスの中で、車窓から見える東京の灰色の空と、バスに乗る虚ろな瞳の人々にサカナの目を想起したとき、数日来考えていた水銀や廃棄物によって汚染された海が、漁師たちの垂れる釣り針を待て、とサカナ達に語り掛ける“海の復讐”というテーマと結びついた、と書いている。 “不知火”(八代海沿岸)と“水銀”という言葉を使ったのは“おおかたの人がそれ(水俣)を忘れているからだ”と記しているが、ただ水俣の公害を取り上げたわけではなく、蜃気楼揺れる都会の底で毒を蓄えて機会を窺っている“ボクタチサカナ”をも表したかったのだろう。

繰り返すキーボードのフレーズとベースライン、フェイジングしたハイハットのビート、コラージュしたようなギターのサウンドを聴いた時には新鮮な驚きを感じたものだ。特にB面のDISCOスタイルのダブ・ヴァージョンはモモヨの奇怪な叫びと共に強烈な印象を残した。今ならポスト・パンク的なサウンドと言えるが、当時これを聴いたときはまだPIL『Metal Box』やポップ・グループ『Y』なんかは未聴だった。それに水俣病という具体的な社会的事柄を歌詞に込めるというのも印象的で、クラッシュ等の海外のパンク・バンドと同様に日本のバンドもポリティカルな楽曲を作れるんだと思ったものだ。

レコーディングは1980年6月4日深夜、マグネット・スタジオ(S-KENスタジオ)で行われ、1980年7月25日にモモヨが立ち上げたジャンク・コネクションの第一弾としてリリースされたが、ギターのカツ、キーボードのコウの在籍したオリジナル・リザードの最後のレコーディングとなってしまった。「サ・カ・ナ」は後に1980年9月21日キング/ウィンドミルからリリースされるセカンド・アルバム『バビロン・ロッカー』(ギターには螺旋の北川哲夫、コウもレコーディングに参加)にややポップなアレンジで再録音され収録されている。

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